第27話 基準

 測量が終ったと思ったら、いきなり忙しくなった。


 うまい具合に、村の畑から川までは見通しのよいなだらかな斜面だったので、三角測量は必要なかった。荷車に仕込んだ距離計と、三角法を応用した標高差の測定で充分だったのだ。

 しかし、ゾエンは麗国全土にこの水車による灌漑設備を作りたいと言っている。

 そうなると、三角測量でしか測れないケースが出てくる。距離がわかってる二点から目標が見える角度を測り、三角関数で距離を算出する方法だ。


 ……やっぱり、これが必要なんだよなぁ。


 三角関数は、電卓を叩くか、一覧表から引く方法しか教わっていない。前者はあり得ないから、実測して自分で表を作るしかないのだ。


 作業台一杯に広げた紙に四分の一の円を描き、その円弧を九十に等分する。まず、これが大変だった。

 半径の長さで円周は六等分できる。円周は三百六十度だから、頂点から一つたどれば六十度、残りが三十度だ。これで三等分できる。二等分は簡単だから、十五、四十五、七十五度はすぐに出る。


 問題はこの先だ。円弧を十五等分する「美しい」方法はない。定規を当てて、大体の等分を算出するのだ。


「あー、ノギスが欲しい!」


 ノギスとは、一ミリ以下の精度で測れる定規だ。工業高校では必須の道具。

 しかし、当然ながらここにはないし、自作も非常に困難だ。


 そもそも、今使っている定規にしても、ベイオが自作したものでしかない。メートル・センチ・ミリと馴染んだ目盛りを振ってあるが、そもそも長さの基準になるメートル原器なんてないので、ベイオが「大体、これが百二十八センチ」とした長さを等分しているに過ぎない。

 ちなみに、百ではなく百二十八にした理由は、一になるまで二等分していけるからだ。


 なんとか円弧を九十等分すると、そこから垂直・水平の軸に直角に降ろした線の長さを計り、記録していく。これが三角関数表だ。

 三角測量では、目標の見える角度でこの表から引いた値が重要なのだ。


 午後、作業小屋に来てからずっと続けて、ようやく終わった時にはもう夕暮れ時だった。

 二度と同じことは繰り返したくない。明日、もう一枚の紙に書き写しておこう。いや、火事で燃えちゃったら泣けるから、石の板に定規の目盛りと一緒に刻んでおこう。


 やや偏執的なほどの思いだが、それがまさしく、後々大きな意味を持つことになる。だがそんなこと、この時のベイオは夢にも思っていなかったのだった。


* * *


「ベイオ、距離を測る道具はもうあるのに、なんでまた作るだ?」

 アルムに問われて、ベイオは手を休めて答えた。


「この前使った測距儀は、僕が手にした標尺がアルムの目に見える範囲が測れる限界なんだ。その分、かなり正確だけどね」

 ふんふん、とアルムはうなずいて聞いている。その隣にはファラン。

 そして小屋の外では、ジュルムが虎視眈々と覗いていた。虎人族だけに。


「でも、この先はもっと長い距離を測らないといけない。そうなると、いくらアルムの視力でも、人なんか砂粒にしか見えない。そんな遠距離でも測れる道具が、別に必要なんだ」

 当然、深い森や谷間を越える場合もあるし、灌漑だけでなく橋なども必要になって来る。荷車の距離計を押して行くのは無理だ。

 ただし、その分精度は落ちる。それを出来るだけ上げるため、先日ベイオは必死で円弧に定規を当ててたわけだ。


「よし、出来た!」


 構造は簡単だ。三脚の上に扇形の板が載っていて、扇の支点に目標を指す矢印が立っている。板の円弧には、先日ベイオが引いたとおりの目盛りが写し取られていて、支点を軸にして動く細木の先にも矢印が立ってる。


「早速、試してみよう」

 庭の片隅で、巻き尺(これも手製)で正確に十メートルの二点間を測定する。その片方から直角に進んだ庭のもう片隅に、目標を置く必要があるのだが。


「誰か、ここに立っててくれる?」

 アルムが元気よく手を上げた。じっとしててくれるといいんだが。


 二点のうち、まっすぐに進んだ方に戻ると、三脚を据えて角度のゼロがアルムの鼻の頭を指すように向きを合わせた。そして、板の上にゾエンから借りたままの方位磁針を載せて、方角を記録する。

 次に、もう一点の方に移動して方角を合わせ、細木を動かしてアルムの鼻の頭に向ける。

「角度は三十二度か」

 懐から計算表を出して、二点間の十メートルをかける。

「あの場所からアルムまで、六メートルと二十四センチだ」

 そうベイオが伝えると、アルムは大喜びで謎ダンスを踊り出した。


 ……何のことか、分ってるのかな?


 まぁ、喜んでるからいいか。と、問題を受け流したベイオだが。


「そのメートルとかセンチってのは何?」

 受け流してくれないのがファランだ。


「えーと、これは長さの単位だよ。僕が勝手に決めたんだ」


 この国の度量衡、長さ・面積・重さの基準は、実にバラバラだった。人間の手足や指の長さが単位となるのは、近代化するまでどこの国も同じだが、体格など人それぞれだ。

 時代によっても差が大きい。日本の「一間」など、信長は六尺五寸、秀吉は六尺三寸、江戸時代は六尺一寸と何度も変わり、明治になって六尺ちょうどに統一される前は地域によっても差があった。


 それが、この国では輪をかけて酷い。日本の「尺」に該当する単位が、測る対象で長さが異なるのだ。土地、建物、器、布で全く異なる。土地と布のサイズだと、同じ一尺の長さが倍も違うのだ。

 これではやってられない。標準化は工業化の第一歩だ。


 ベイオは作業小屋の横に置いてある、横長の石を指さした。片側が直線に削られていて、目盛りが彫られている。その横に書き連ねてあるのが、三角関数表だ。


「あれが大体、僕の身長くらいあったから、均等に分けて決めたんだ」


 正確には、ベイオ券を作った時の長さが基準なのだが、細かい話だ。

 とりあえず、この石がベイオにとってのメートル原器だ。

 そして、十センチ立方の桝を作った。これが一リットル。それに満たした水と同じ重さに削りだした石が、一キログラム。

 彼が作るものも全て、この単位で測ってる。車輪も車軸も、歯車も滑車も。


 作る人によって、板の厚さや穴の大きさが違っていたら、分業なんて出来ないし、資材の売買も意味がない。しかし、全部自分でやっていたら、手工業で終わりだ。


 残念ながら、ファランの興味もそこで終わってしまったようだ。本当は、単位の標準化と部品の共通化についてもっと話したいところだが。


 ……老師に話した方が喜んでくれそうだな。


* * *


 その老師は、ジュルムとその「爺や」に突撃インタビュー中だった。

 例の、山中で出会ったと言うヌシ、あり得ないほど大きな熊について詳しく聞いていたのだ。

 彼らの小屋で。


 本来なら、屋敷に招いて話を聞きたいところだが、流石に獣人を招くと言うのは女官たちの反発が大きく、無理だった。そのため、大賢者自らが粗末な小屋に出向くことになった。

 身分制度というものを考えると本末転倒な気がするが、老師本人は気にしていない。話の内容の方が、遥かに重要だった。


「では、冬眠するほどの食料が無いから、山を下りたわけじゃないのじゃな?」


 何度も確認しているところだ。

 ジュルムが「爺や」と呼ぶ壮年の人虎は、うなずくと獣人語で答えた。それをジュルムが翻訳する。


「そうだ。俺たちが山で修行してる時も、食べるに困らないくらい木の実も草の実もあったし、ウサギとかも沢山いた」

 彼が指さす先には、保存用に干された果実や燻製になった肉類などがぶら下がっていた。二人で冬を越すには充分な量だ。

 実際、ヌシは越冬に充分なほど食べていたらしく、分厚い皮下脂肪が毛皮の上からも見て取れたと言う。


「なら、穴が見つからなかったのか……」

 その言葉にも虎人はかぶりをふった。

 ジュルムは自分の言葉で答える。

「穴ならいくつもあった。俺たちが使ってた洞窟も十分広かったし、暖かかった」


 ……なるほどのう。ヌシと呼ばれるほど大きくて強いなら、他の熊を追い出すくらい造作もないじゃろうし。


 この半島に生息する熊は、日本にもいるツキノワグマの近縁だ。体長は一・八メートル程度。比較的小型で大人しく、滅多に人を襲うことはない。

 それに対して、ヌシは体長三メートルはあったと言う。別種と呼びたくなるほどのサイズだし、強さもそれだけあるはずだ。

 餌も住む場所も問題なければ、山から出て行く必然性は全くない。


 つまり、不自然極まる。やはりこれは、あの夢と関連があるとしか思えない。


「これから話すことは、くれぐれも内密にお願いしたいのじゃが……」

 そう断って、老師はファラン姫の見た夢の内容を語った。

 余りにも異例だ。上民が賤民に頭を下げてものを頼み、教えを乞う。


 ……わしも、ベイオに感化されとるのぅ。


 それを決して不快に思うことなどない自分に、老師は新鮮な驚きを感じすらしていた。


 ……まるで、世の中を見る基準が、一気に変わって行くようじゃ。

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