第26話 測量

「木立が冬枯れしてると、見通しが良くなりますね」

 測距儀に載せた水盤の上の浮きを揺らさないように気を付けながら、ベイオは傍らに立つゾエンに話しかけた。

「うむ。ここ数日は北風も吹かず、助かるな」

「ええ、ほんとに。風で水盤の水が揺れたら、大変でした」


 測距儀は、三脚の上に載せた細長い木の板だ。水平に回転するようになっている。

 設置する際には、この板を完全に水平にする必要がある。そのため、板の上に水盤を載せ、水の上に浮かせた十字型の浮きが正しい高さを指すように、三脚を調整すのだが、これが一番手間がかかった。

 ようやく水平になったので、水盤と浮きをどける。手桶に水を戻し、小さな荷車に載せた。


「じゃあ、アルム。こっちは頼むよ」

「わかった」


 アルムはご機嫌だった。いつだってそうだが、ベイオの役に立てるのが嬉しいのだ。

 ベイオは荷車を押して、まっすぐ川へと向かう。ゾエンもそれに続く。


「この方位磁針、ありがとうございました。すごく、助かります」


 本来は旅から旅の監察使なので、ゾエンは方位磁針を持っていた。磁石は今のところ、ベイオには自作できないものの一つだ。さらに、風を防いでくれるガラスの蓋も。

 この国の技術かと期待したが、中つ国からの輸入品だと聞き、ベイオはがっかりした。


「よし、百だ。ここで測りましょう」

 荷車には仕掛けがしてあって、車輪に付けた歯車で回転数を落とし、何メートル進んだかが分るようになっている。自動車の走行計と同じ原理だ。


 そして、紅白に塗り分けた長さ二メートルの棒、標尺を取り出した。真ん中から直角に取っ手が左右に付きだしているので、これを両手に持って垂直に構える。


「いいよ! 目盛りを読んで!」


 ベイオが叫ぶと、向こうに残ったアルムが手を振って、測距儀を覗きこんだ。


 測距儀の先端と後端には、小さな三角形が二つ、内側を向かせて立ててある。銃の照準の要領で後ろから覗き、板の前後の三角形が完全に重なるように調整する。すると、きっちり百メートル先に立っているベイオの顔が、三角形に挟まれて見えた。


 獣人の身体能力の高さは、筋力だけに留まらない。その視力も優れていて、これだけの距離でもベイオの表情までしっかりと読み取れた。


 測距儀の角度をわずかにずらし、彼が持つ赤白に塗られた標尺を三角形の間におさめる。この赤白の塗り分けは十センチ間隔の目盛りとなっているので、どの高さかを読むのだ。

 この標尺の長さは、測距儀を載せた三脚の高さの二倍になっている。だから、ベイオとアルムのいる土地の高さが同じなら、三角形は標尺の真ん中の目盛りを指すはずだ。


「下へ八つ半!」


 アルムの叫んだ数字を、ベイオは手にした木の板に書き込んでいく。

 測距儀の目盛りは十センチ刻みなので、ベイオのいる場所は、アルムのところより八十五センチほど低いわけだ。


「終わったよ! こっちに来て! 待ってるから!」

 声を張り上げて、アルムに呼び掛ける。


 こうやって高低差を測りながら畑から川まで進めば、川辺でどれだけの高さに水を汲み上げれば良いかがわかる。もちろん、途中には高すぎたり低すぎたりする場所もあるから、溝を掘ったり盛り土をする必要もあるだろう。


 老師が看破したように、水路の建設は水車の開発以上に大事おおごとだった。流石に、代官の留守中に勝手にはじめるのは、国王直属の監察使と言えど、越権行為となる。

 なので、工事は代官のヤンドンが戻ってからとなり、冬のうちに工数見積もり等を済ませておくことになったのだ。


 ……が。

 まさか、その監察使であるゾエンが付きっきりとは思わなかった。


「まあ、そう邪険にするな、ベイオ」

「え? 邪険になんてしてませんよ、やだなぁ」

 ベイオにしてみれば、川までの数キロをこうして歩くだけの測量作業に、まさかゾエンがついてくるとは思わなかったのだ。てっきり、女官か誰かが一人、お目付け役に当てがわれるだけだろうと。


「そなたといると、それだけで興味の尽きることはないのでな」

 ベイオが数字を書き込んでいた板を指差す。

「例えばその、丸と直線からなる文字だ」


 丸と直線の文字。

 思わず、前世の日野清として最期に見た貼り紙が脳裏に浮かんだ。

「どうした、ベイオ?」

 気遣わしげに、ゾエンが覗き込んでいた。この子供が眉間に皺を寄せるのは珍しい。

「あ、いえ別に」


 ……そうか、木の板に自作の鉛筆で算用数字だと、そう見えるのか。


 紙とペンと違って、天然の黒鉛や木板は滑りが悪いので、滑らかな曲線が書きにくい。


「これは、数を表す記号です。素早くかけるように工夫しました」


 この世界の数字は、漢数字とローマ数字を合わせたような文字だ。桁が増えると書きにくいし読みにくい。

 つくづく、アラビア数字を考えたアラブ人は偉いな、と思う。


 アルムは元気いっぱいに全力疾走でやって来た。測距儀は精密機械だから、あまり揺らさないように言ってはあるのだが。

 三脚を開いて、上に水盤と浮きをセットし、水平になるように調整する。


「じゃ、先に行くから、ここで待っててね」


 測距儀から水盤を外して荷車に乗せ、また歩き出す。

 こうして、尺取虫そのままに畑から川まで進み、距離と高低差を算出するのが、今日の作業だった。


 川辺が見えて来た頃には、もう日が傾いていた。

 ベイオは呟いた。


「日が短くなりましたね」

「そうだな。それでも今年は、冬至までまだ一月ある。財政が厳しいわけだ」


 この国の暦は太陰太陽暦だ。月の満ち欠けをそのまま一カ月にしているから、太陽の運行とはズレがある。それを調整するために、数年に一度、うるう月という月が年末に入る。今年はその年なので、一年が十三カ月になるのだ。

 これは国にとってはかなりの負担で、全国の官吏にひと月、余分の給料を渡さなければならない。年貢などは同じ量なのに、だ。


 ……財政難の冬が、春に起こるかもしれない内乱の火種になるやもしれん。


 先日、ファラン姫の予知夢について話した際に、シェン・ロン老師から出た言葉だ。

 給料の遅配が官吏の反乱を産むのか。それを防ぐために、年内に緊急の特別税を徴収して、農民の反乱を招くのか。

 閏月になるのは何年も前から分っているのに、何の備えもできていない。すべてが後手に回る。この国の支配層の腐敗を、老師が嘆くわけだ。


 さらに、老師は先日、獣人の少年から気になることを聞いたと言う。

 ここより少し離れた山でヌシと呼ばれていた巨大な熊が、冬眠もせずに山を下りて北に向かったと言うのだ。


 色々なことが符合し過ぎていて、ゾエンは内心、不気味でならない。こんな時に、代官のヤンドンは都で何をしているのやら。


 ……まずは、自分にできることをしていこう。


 監察使として、国民の実情を調べ、朝廷に報告すること。書面では何度も報告しているが、春になったら上京して、直接伝えなければならない。


 そう、良い報告もある。ベイオだ。


 彼の才能と、作り出した数々の品は、この国に必ず役に立つ。特に、水車による灌漑が上手くいけば、収穫量を今よりかなり上げることができる。そうなれば、長期的には反乱の芽を摘むことにもなる。

 ゾエンは、傍らを歩む少年に話しかけた。


「なあ、ベイオ。春になったら一度、都に行ってみないか?」

「え? 都ですか?」


 意外な申し出にびっくりして、手にした標尺が藪に引っかかってしまった。

 これこそ、藪から棒だ。


「この水車小屋の建設許可も必要だしな」

「建設の方は、代官さまが春にもどってからでも……」

「いや、これはもう、国を挙げて全国各地でやるべきものだ」

「ええ!?」


 いきなり話が大きくなった。

 いや、ベイオが目指す工業化は、最低でも国単位だ。そうでないと経済規模が無さすぎる。とはいえ、それには何年も準備が必要で、本格的な「産業革命」は自分が大人になったころだろう、などと思い描いていたのだ。


 ……見かけは子供、中身は大人。どこかの名探偵みたいだけど。


 外見は重要だ。六歳の幼児と二十四歳の青年では、話の信憑性に差がありすぎる。

 工業高校で、就職の面接に向けた指導を受けた時、立ち居ぶるまいにも気を付けるように言われた事を思い出す。


 ……あの少年名探偵も、犯人を名指しするときは大人の口を借りてたっけ。


 ならば。

 自分にとっては、その大人がゾエンであり、老師なのだろう。

 二人とも、ベイオの力になろうと言ってくれている。国王直属の監察使と、この国きっての大賢者だ。これ以上の助力はないだろう。


「……よろしくお願いします」


 そう言って、ベイオは頭を下げた。

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