第28話 王都へ

 冬が過ぎてようやく暖かくなり、ゾエンに連れられてベイオが都に旅立つ時がやって来た。

 代官屋敷の庭で、ベイオの母はゾエンに挨拶をする。


「どうか息子を、ベイオをよろしくお願いします」

 丁寧に頭を下げる母、エンジャ。


「……は、はい。どうかお任せください」


 ん? なんでそこでどもる?

 こっそりベイオが目を向けると、何とはなしにゾエンの頬が赤い。


 ……もしかして?


 もっとも、今それを持ち出している場合ではない。


「行ってきます、お母さん」

「気を付けるんですよ」

 母と子の分れは、すんなりと終った。


 残念なのは、ファラン姫の姿が見えないことだ。ゾエンが言うには、朝から具合が悪いらしい。都から戻る一カ月後まで、顔を見ることは出来ない。


 すんなりと行かなかったのは、案の定、アルムだった。


「ベイオ、行っちゃヤダーー!」

 獣人パワーでハグして号泣だ。何度も話して、諭して、なだめすかしたのだが。

「泣かないで、アルム。ひと月したら帰って来るから」

 泣き止むまでの間、出発はお預けとなってしまった。


 ちなみに、「自分も行く」と言わないのは、ベイオがさんざん「都では犬肉がご馳走なんだ、特に女の子が」と脅したせいだ。流石に獣人を食べたりはしないだろうし、アルムでさえ捕まえるだけでも大変だ。

 が、そこは幼女だけのことはある。ベイオの言うことだからと、あっさり信じてしまったのだ。


 ロン老師も、ファラン姫につきっきりで看病なので、顔を見ることは出来なかった。心残りではあるが、戻ったらその分、二人に沢山話すこともできるはずだ。


 そして、ジョルムは少し離れたところから腕組みしてこちらを見ていた。ベイオが手を振ると、うなずき、背を向けて立ち去った。


 ……なんか、サマになってないか?


 外見は同年齢なのに。ちょっと納得いかないベイオではあった。


* * *


 旅は平穏無事に進んだ。半島の春の野山は、麗国という名にふさわしい美しさだ。馬に乗るのも楽しい。ベイオは小柄なので、ゾエンの前にちょこんと乗せられているが。

 しかし、例外はある。


「こ……ここって、いつも……こんなに風が強いんですか?」

 峠に吹く風はすさまじく、ベイオは吹き飛ばされそうだった。

 その首根っこをしっかりと掴んだゾエンが答える。

「そうだ……冬はさらに、血も凍る寒さになる」

 半島の背骨と言える、中央山脈を越える峠だ。麗国でも一、二を争う難所。ゾエンも馬から降りるしかなかったほどだ。

 その後ろでは、荷車を引いて付いて来る人足たちも難儀していた。


 正直、代官が冬の間に都から帰ってこないのは、都で贅沢三昧をしているからだと思っていた。そして、律儀なゾエンが春まで都に帰らないのも不思議に思っていた。

 しかし、この風に氷点下の寒さが加わったら、納得だ。下手をすれば死ぬ。


 ベイオの生まれ育った村は、半島の南東部。都は中央部の西側にある。その間を隔てる山脈は、標高千メートル級の山々が連なる。ただ、その中央部はくびれており、峠となっている。……のだが。

 秋から春にかけて西高東低の気圧配置となるため、常に西側から東へと強風が止むことがない難所でもあった。

 北側は半島の東海岸沿いに伸びる大山脈とつながっており、踏破はさらに困難。南へ下って海岸沿いに迂回することもできなくはないが、そうなると距離が倍以上になってしまう。事実上、ここを通るよりほかにないのだ。


 突然、風が強まった。ベイオの軽い身体が持っていかれる。


「わ、わわわ!」

「気を付けろ!」


 ゾエンに襟首を掴まれてぶら下がる形で、なんとか峠を越えたベイオだった。


* * *


「流石に都だけあって、立派な門ですねぇ」

 ゾエンに連れてこられた王都の第一印象は、素直な称賛だった。


 もちろん、前世日本の高層ビルに比べるのは論外だし、修学旅行で行った日光の東照宮などの寺社仏閣に比べるのも酷だろう。


 ……多分、時代が違うはずだよね?


 実際には、東照宮の建立は十七世紀前半なので、ベイオが思うほど時代差はないのだが。


 それでも、都の南にある南大門は大きかった。石組の基部は高くそびえ、アーチをなしている。その上に建てられた木造の部分は二階建てになっており、幾多の装飾を加えられた柱に支えられ、弓なりに反り返った瓦ぶきの屋根がその上にあった。


 文句なく、この国の技術の粋を凝らして建てられた建築物だ。ベイオは「ぜひ、中に入って見聞したい」と願い出たが、ゾエンに「まずはやるべきことを終えてから、帰りでも遅くはないでしょう」とたしなめられて、その機会を失った。


 ゾエンの言う「やるべきこと」とは、国王の面前での実演だった。水車小屋の模型と、三角法による測量。


 ……国王、なんだよね。


 そこがちょっと、気が重い。

 ゾエンは「国王直属の監察使」なのだから、その報告に付き合うとなれば、当然そうなる。しかし、報告されるのが「水車小屋」やそれによる「灌漑」、そのための「三角測量」となると、様子が変わって来る。


 水車小屋は、あくまでも模型でしかない。このままスケールアップしても、動くモノは作れないのだ。水車一つとっても、模型では一枚板の羽根が、実物では何枚もの板を継がないと作れないはず。

 一事が万事で、模型を見てそれがすべてと思われると、むしろ悪影響しかない。


 測量もそうで、扱う人材の教育が重要だ。

 ものを測るときには、当然誤差がでる。何桁目までを誤差が無いと考えていいかは、有効桁数と言って物理や工学では非常に重要な概念だ。これがいい加減だと、何を測っても計算しても、ゴミデータにしかならない。


 しかし、権力者はそんな細部は気にしない。妙なもので、前世の日本の社長さんたちも、この世界の代官ヤンドンなども、その点は変わらない。


 では、細部を無視してイケイケドンドンでやるとどうなるか。

 前世のSNSで、日野少年が目にした悲惨な事例の数々となる。

 事故ではなくても、大河の両岸から建設していった橋が、いざ繋ごうとしたら数メートルもずれていた、なんて事例もあった。二十一世紀でもそうなのだから、ベイオの見立てで十六世紀あたりのこの国ではどうなることやら。


 ……もっと草の根的に、職人意識を育てるとかできないものかな。


 それこそ、職人養成学校、工業高校のようなものが必要なのだろうが、この国では望み薄だった。

 職人に対する認識が低すぎる。国の上から下まで、全ての階層で。


 これは以前、老師やファランからも聞かされていた。

 この国の国教とも言える呪教。魔法に該当する「呪法」に理論的背景を与えるその教えでは、手や身体を動かす労働は、一段低く見られている。そうした「労働階級」を上手に使いこなすのが「支配階級」なのだと。

 ベイオにとって、そんな身分制度はどうでもいい。労働階級ならそれでいいから、自分の労働に価値を見出し、深め高める喜びを知ってくれさえすればいい。そうなれば、職人養成学校の門戸を叩く者も増えるだろう。


 しかし、現実はそうも行きそうにない。

 この冬ずっと、老師に学んで得た結論では、そうならざるを得なかった。

 同じ長さの単位が、測る対象によってコロコロ変わる。これも、職人が作るものによって細分化され、一緒に何かを作る機会が無いためだろう。器具を測る「尺」と、建物を測る「尺」がまるで長さが違ったら、水車小屋の建設が大混乱になるのは絶対に間違いない。


 ……国全体の工業化は、まだまだかかりそうだなぁ。


 それが、正直な感想だった。


* * *


 麗国の王都は、初めの頃の印象こそひどかったものの、だんだんと回復しつつあった。


 ゾエンの実家に招かれ、夕食に出された人数ごとの膳は、多数の小皿が載せられていて、どれも珍味と言えた。ジャンルとしては、魚や肉の煮物・焼き物、野菜の漬物・煮物で、村で食べたものと大差ないのだが、食材の範囲がずっと広かった。

 前世ではお馴染だが、村では見たことのない根菜や魚の煮つけ。単純な塩味でも、具材の出汁が効いている。


 何より、毎日、市が立つのだ。この国中の文物が、毎日やり取りされる。これは素晴らしいことだ。

 ゾエンから小遣いとして与えられた銅銭を握りしめて、今、ベイオは猛烈に感動していた。


「お金が足りれば、そこにあるものなら何でも好きなだけ買える。当たり前だけど素敵だな」

 対価として魚の干物を差し出して「いらん」と拒否られることもない。銅銭がちゃんと通貨として扱われている。さすがは「都会」だ。


 ……が、幸せは長続きしなかった。


 ゾエンの邸宅に戻って、部屋でボリボリと菓子をかじる。大豆を炒って塩を振っただけのもので、村でも食べられる珍しくもないものだ。それが一抱えもある袋一杯に詰まっている。


「そんなに豆が好きだったか?」

 様子を見に来たゾエンは呆れた声で言った。


「……無かったんです」

「何が?」

「僕が欲しかったもの……都なら手に入ると思ったものが!」

 サイズの大きな紙に、切れ味のよい工具。特に、金属加工用のヤスリや坩堝るつぼが欲しかった。鉛筆の材料にする黒鉛も。

 そして書籍。


 ……ああ、日本の蚤の市が恋しい!


「それで、ヤケ買いしてヤケ食いか」

「……ほっといてください」


 こうして見ると、外見そのままの子供なのだが。

 ふと愛おしさを感じて、ゾエンはベイオの頭をガシガシと撫でた。


「もう! 子供だと思って!」

 さらにむくれるベイオ。


「まあ、そう言うな。良いところに連れてってやるから」

 聞きようによっては怪しい言葉だが、ゾエンにその手の趣味は無い……と思いたい。

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