第29話 ネジ

「ほんとに? 本当に、鉄でネジが作れるの?」

「出来もしねぇことを言うわきゃないだろ」

 黒い顎鬚をしごいて、男は言った。


 ベイオにアルムみたいな尻尾があったら、千切れんばかりに振っていただろう。

 それくらいベイオは感動していた。朝の市でのぬか喜びとは違う。


 ゾエンに連れられて来たのは、貴族御用達の店のある地区だった。店とはいうものの、店舗と言えるような構えではなく、ごく普通の民家ばかりだ。最初は違和感を感じたベイオだったが、貴族というのはそもそも、滅多に出歩かないらしい。その証拠に、道行く誰もがゾエンの空色の衣を見て振り返る。

 なので、この国の商人たちは商品の見本を持って貴族の屋敷を訪れ、注文を取って実物を納めるのが習わしだ。


 そして、ベイオが欲しがってる紙や書籍は、貴族しか必要としない。工具に至っては、貴族御用達の職人が持っているだけで、仲間内で融通はするものの、基本的には彼らの手作りだ。

 その一人である鍛冶屋を紹介してもらった結果が、冒頭の喜びようだ。


 背丈はさほどないが、全身が筋肉の塊といった中年の男性だった。筋肉の量なら木こりのボムジンが上かもしれないが、見るからにゴツイその両手は意外にも器用だった。

 イロンと名乗ったその男は、大きな手で引き出しから何かをひと掴み取り出すと、作業台の上にバラバラと落とした。


「ネジだ……金属のネジだ!」


 ダイヤや真珠のアクセサリーを見つめる乙女のように、ベイオの目がハートになった。


「凄い! ゆるみやがたつきが全くない!」

 ナットにあたる「雌ネジ」が六角ではなく四角だが、そんなことは些細なことだ。ベイオの指くらいの太さの「雄ネジ」を回すと、「雌ネジ」の中にするすると入って行く。逆回転で出てくる。


 何度も雄を雌に出し入れして悦に入るベイオだが、見た目は心のキレイな六歳児なので、変な想像はしないように。


 これが……これさえあれば!


 測距儀の製作で苦労したのは、三脚の方だった。

 完全に水平にするために長さをその場で調節する必要があるのだ。しかも水盤の水を揺らさないように、静かに。

 そのために作ったのが木製ネジだ。雄ネジの方は旋盤で比較的簡単に作れたが、雌ネジは難しかった。何より、精度を出すためにかなり太くなってしまったのだ。

 しかも、木材はどうしても湿気などでサイズが変わってしまうので、その分の余裕が必要だ。結果として、ガタついてしまう。牛脂をグリースのように塗って誤魔化すしかなかった。


 やはり、強度や精密さを考えると、木材では限界がある。


「あの……このネジ、どうやって作ったんですか?」

 目を星のようにキラキラと輝かせて、ベイオは鍛冶屋のイロンにたずねた。

「変なやつだな、オマエ」

 そう言いながらも彼は、部屋の隅にある布を被ったものに歩み寄った。その布をめくると現れた機械に、思わずベイオは叫んだ。


「旋盤だ!」


 駆け寄り、食い入るように見る。

 回転軸に材料を取り付け、直角に刃物を当てて削る。間違いなく、旋盤だった。しかも、ミシンのように足踏みで回せるようになっている。

 そして、何よりも金属製だった。


「なるほど、ベイオの小屋にあったものとよく似てるな」

 背後でゾエンがつぶやく。

「あん? ベイオってのは、このガキか?」

「そうだ。その子が自力で作った。木製だけどな」


 イロンは呆然とした。


「こんなガキがか? 信じられん」

「私もだ。何度も見たし触れもしたが」

 ゾエンが言うのは旋盤のことだ。勘違いしないように。


 ベイオは、ゾエンに向かって熱っぽく訴えた。


「この旋盤なら、金属製の部品が作れます! そうしたら、測距儀はもっと軽くなるから、アルムでなくても運べます!」


 木製ネジのために三脚の脚が太く重くなり、ベイオには担げないほどだった。しかし、金属ネジならもっと小さく細く出来る。金属そのものは重くても、全体はずっと軽くなるはずだ。


 そして、最大の課題も解決する。大きな水車の力を受け止める、軸と軸受だ。

 ベイオが作った木製の軸受では、あまり大きな力には耐えられない。ボムジンの荷車がいい例だ。

 しかし、強度を出すために軸受を分厚くすれば、摩擦がその分増えてしまう。

 だが、金属製の軸と軸受けならその心配はない。それどころか、ベアリングだって作れるかもしれない。


 ベイオの脳裏では金色の玉が輝いていた。

 もちろん、ボールベアリングだ。異論は認めない。


* * *


 ゾエンは用事があると言ってすぐに帰ったが、ベイオは鍛冶屋に残った。

 同じ職人気質だからか、イロンはベイオと意気投合した。


「俺は遠い西の国の生まれでな」

「西と言うと、中つ国ですか?」

「もっと西だ。そこも半島の国でな、師匠と大喧嘩して国を飛び出して、流れ流れてここまで来たのよ」


 なるほど。良く見ると、髪も顎鬚も黒いが、瞳の色はやや薄い焦げ茶だ。掘りも深いので、西洋風にも見える。


「じゃあ、あの旋盤は……」

「おう。師匠が設計だけしてほったらかしてたのを、俺がここで作ったのさ」


 その後は、師匠の悪口がしばらく続いた。どうも、特定の弟子を贔屓にしていたのが気に食わなかったらしい。しかも、「ベッドに連れ込んだ」とか言い出すので困った。


 ……女性の弟子だったのだろうか、「絵のモデルにした」とも言ってるし。


 とは言え、その師匠も弟子も、既に故人らしい。

「何十年も前のことだからよ」


 どうやら、イロンは見かけ以上に長く生きているらしい。獣人がいる世界だから、他の国には寿命の長い種族もいるのだろう。


 ……でも、画家でもある発明家って……まさか、ね。


 あれこれ話しこんだので、すぐに夕暮れとなった。

「じゃあ、僕、そろそろおいとましますね」

「おう、そうか。じゃあ、これ持っていけ」

 数本のネジ渡された。


 ベイオはそれらを後生大事に抱えて、ホクホク顔でゾエンの館に戻るのだった。


「目当てのものが見つかってよかったな」

「はい! それに、初めてです。自分の仕事に、あんなに誇りを持ってる人は」


 この国の職人は、ほとんどが兼業だ。下民はほぼ全員が農夫で、農作業の片手間に生活に使う道具を作る程度でしかない。

 都には専業の職人もいるが、大抵は王族や貴族の贅沢品を作るための、お抱え職人だった。


「それが、やたら偏屈だが腕の立つ鍛冶屋がいると聞いたのでな。もしやと思ったわけだ」

 そう言うゾエンは人を見る目があるようだ。監察使を務めているのは伊達ではない。


 翌日は、全紙サイズの大きな紙を一束、そして念願の坩堝が手に入った。

 書籍の方も、ゾエンの使いがあちこち探してくれている。だが、金属の加工や精錬に関する本は非常に少ないらしい。これも老師なら「実学を軽視するからじゃ!」と青筋を立てることだろう。

 だが、この国では貴族が必要としない知識が書物になることはない。


「仕方ないな。イロンさんたちに直接聞いて、自分で書くしかないか」


 そう結論付けて、ベイオはイロンの工房へ通う毎日となった。

 そのイロンはと言うと、ベイオが読み書きできると知って大喜びだった。


「助かるぜぇ、坊主。よく御役人の注文が書面で届くんだが、そのたんびに読んでくれる奴を探してたんだ」

 手渡された注文書の厚みにちょっとひるむベイオだが。


 ……これだけ世話になってるし、しょうがないよな


 観念して、片端から読み上げる。……のだが。


「あの、イロンさん。ここに書いてある『張形』ってなんでしょう?」

「チッ。……またアイツからの注文か。」

 その注文書を取り上げて、別な引き出しに放り込む。


「気にすんな。ガキには必要ない物だ」


 吐き捨てるような口調が気になったが、ベイオはそれ以上聞かなかった。

 なので、これ以上は気にしないように。


* * *


 一方、ゾエンは気になることがあった。


「主上からのお返事はまだか?」

 館の家令に何度も確認するが、返事は否定的だった。


 国王ともなれば、多忙なのは当然。いかに直属の部下と言えども、謁見の順番待ちはある。しかし、こんなに何日も待たされたことは、今までになかった。


 ……これも、姫さまが見た夢と関係しているのだろうか?


 政変の兆候が既にあり、その対策に追われているのなら話はわかる。だが、それなら都での自分の人脈から何か引っかかるはずだ。

 今のところ、そんなことを臭わすものはいなかった。


 おかしな点と言えば、ただ一つ。自分が待たされていること。それだけだ。


 ……もう何日も、同じところで堂々巡りだ。


 妙な胸騒ぎがする。堂々巡りのようでいて、実は厄介ごとに嵌り込んでいるような。

 そう、雌ネジに潜り込む雄ネジのように……。

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