第30話 夢、ふたたび

 ……ああ、またあの夢だわ。


 予知夢だ。神か悪魔かわからないが、ファランに強制的に見せる悪夢。


 牢屋を思わせる闇の中。目の前には、手足を縛られうずくまる子供の姿。

 その前で身動きひとつできず、声もあげられない自分。瞬きすら許されない。

 そこへ現れたのは、黒装束の人物。服と同じ黒い頭巾で、顔どころか性別すらわからない。そのせいで、手にした抜き身の剣の輝きが、ただひたすら禍々しく映る。

 もう片方の手が延び、子供の髪の毛を掴む。乱暴に上を向かせ、喉に剣の切っ先をあてがう。

 その子供の顔は――


「ベイオ!」


 叫んで飛び起きる。

 寝室は、まだ暗い。

 季節は春だが、まだ早朝は肌寒い。それなのに寝汗で寝間着は絞れそうなほど湿っていた。そう、前回と同じ。

 寒さに震えていると、女官の一人が入ってきた。着替えを頼んで暖かい白湯をもらう。これも同じ。

 一息ついたら、女官に言伝てする。


「ロン老師に伝えて。また夢を見ました」


 違うのは、対象がはっきりしていること。


* * *


「ベイオが殺される夢じゃと……」


 いつもとは逆で、壇上に座る姫を見上げる老師。

 いつもと同様に、長く白い顎鬚をしごく。


「ゾエン殿が付いていながら、それはないと思いたいところじゃが」

 言うそばから、自ら首を振る老師。


「老師さま。まだ殺されると決まったわけではありません」

 壇上のファランは、毅然として言った。

「わたくしは、彼が殺される前に目覚めましたから」


 老師は顔を上げ、目を細めた。


「なるほど。つまり、確定した未来ではないと」

「はい。殺されそうになるのは事実でしょうけど」

「まだ助かる余地がある、と?」


 ファランはかぶりを振った。


「助ける、のです。私たちで」


 その瞳には、決意が宿っていた。

 ベイオがゾエンと出立する日。自分は熱を出して寝込んでしまった。あれも、もしかしたら予知夢と同じ警告なのかもしれない。


 ならば、今度は自分が行こう。


 ベイオを助けることができれば、この国に降りかかる災厄を跳ね除けることもできるはず。


「力を貸してください、老師さま」


 ファランはそう言って立ち上がった。


 ……やれやれ。この老骨、まだまだ隠居はさせてもらえなさそうじゃのぅ。


 老師も立ちあがり、弟子と師匠は共に歩みだした。


* * *


 夜が明け、日が昇る。

 二人が最初に訪ねたのは、アルムが父親と暮らす小屋だった。


「はい、どちらさま……って、ええ!?」

 出迎えたのは、居候しているヨンギョンだった。老師とファランを見て目を丸くしている。


「おお、お主か」

 ヨンギョンは以前、代官屋敷に居たので、老師も顔なじみだ。


「アルムとその父君は御目覚めかな?」

「ええ、あの、暗いうちから裏山に行ってます」

「ほう……」


 朝の水汲み巡廻は、別な子供たちが当番らしい。

 そう思った矢先、アルムが裏山の方から駆けて来た。


「ヨンギョーン! 朝ごはんだー!」

 手にしていたのはキジだった。夜のうちに罠にかかったのだろう。

 だが、老師の後ろにファランを認めて、急ブレーキがかかった。


「何しに来ただ!」

 敵意むき出しで、牙を剥いている。


「アルム。あなたに話があってきたの」

「話すことなんてない! ベイオはおらの!」


 ファランは一歩前へ出た。


「そう。そのベイオが大変なの」

「……大変?」

「殺されるわ。このままだと」


 ばさり、と地面に落ちた。アルムの手から、キジが。


「ウソだ」

「嘘じゃないわ」

「だって……だって、ベイオはなんも、悪い事してない!」

「悪い人がベイオを殺そうとしてるの」


 ぽろり、と琥珀色の瞳から涙が落ちた。


「悪いヤツ、許せない!」

「そうよね」

「ベイオ、助ける!」


 うなずくと、ファランはアルムの手を取った。


「助けましょう、わたくしたちで!」


 ベイオがさんざん「都に行くと食べられちゃう」と脅したのに、既にアルムは綺麗さっぱり忘れているようだった。


「なら、俺も行かないとな。ベイオには恩がある」

 ヨンギョンが胸を張って宣言したが、少女二人はまるで聞いてない。

 なので、気の毒に思った老師が声をかけた。


「お若いの、よろしく頼むぞ」

「は、はい!」


 その背後から、巨体がのそりと……いや、老師からすれば「ズズン!」と効果音付きで現れた。アルムの父だ。

 獣人語で父は娘に話しかける。


「おとうが、自分も行くって」


 心強い限りだ。そう老師は思ったのだが。


「なら、俺たちも行く!」


 すぐそばの小屋から声がした。ジュルムと壮年の「爺や」だ。

 そしてさらに。


 通りの方から、ガラガラと荷車を引く音が近づく。


「おーい、アルム。朝の水汲み巡廻、終ったぜ……って、あれ?」


 木こりのボムジンだ。


「なんで勢ぞろいしてるんだ? みなさん」


 ……なるほど、今朝の当番はコイツじゃったか。


 納得した老師だった。


* * *


 ベイオの母、エンジャは自宅で一人、朝を迎えていた。

 息子が留守にしている。ただそれだけなのに、狭い小屋が空虚に感じる毎日。

 今感じている不安は、多分そのせいなのだろう。思えば、政変で王都から落ち延びて以来、ずっとあの子がそばにいてくれた。だからこそ、自分は夫や父の後を追おうとはしなかったのだ。


 ……今、生きているのはベイオのため。あの子のおかげ。


 そんな静かな朝は、突然破られた。


「ベイオのおっかあ! ベイオが大変だよ!」

 アルムが小屋に飛び込んできたのだ。


「アルム、いったいどうしたの?」

 ただならぬ様子に、思わず腰を浮かす。

 すると、何人も小屋に入って来た。


「あなたは……」

 屋敷で何度も見かけた、禿頭の老人。


「ベイオの母君ですな? わしはシェン・ロン」

 名乗りに続けて、老人は告げた。


「ベイオを迎えに行きます。御同行願いたい」


* * *


 アルムは走る、跳ぶ。

 王都へ至る道を。

 その傍らを駆ける、金と黒の縞はジュルム。

 二人の後ろを走るのは、二台の荷車だ。片方をアルム父、もう片方をジュルムの「爺や」が引いている。荷車に乗って必死に捕まってるのは、片方に老師とヨンギョン、もう片方にファランとベイオの母、エンジャだった。


 ボムジンはと言うと、自分の荷車を引いてはるか後方からついて行く。怪力自慢だが、流石に獣人の脚力にはかなわない。

 それでも彼の荷車には、ベイオとゾエンを助けるた後に役立つはずのものが積まれている。全員の分の食料や着替え、野宿の用意だ。怪我をしているかもしれないので、傷薬なども。


「ゆっくりでもいいからついて来い、か」


 いささか納得いかないボムジンだが、獣人と体力で張り合っても意味がない。

 自分にできることをやるまでだ。


「でもなんか、俺が着くころには全部済んでたりして」


 ベイオの村から王都までは、馬に乗っても数日の距離だ。馬を乗りつぶすつもりで休まず酷使すれば、もっと早いだろう。しかし、普通はあり得ない。

 だが、あの獣人たちなら今日中についてしまいそうだ。


 それに比べて、多少速足ではあるがボムジンが着くのはやはり数日かかる。日が暮れたら野宿するしかない。


 まぁ、それも良いだろう。思い切り暴れまわりたい気もするが、彼らがベイオたちを助けて戻ってきたら、合流すればいい。

 さぞかし、腹もすいていることだろう。疲れてるだろう。


 ……昔から、腹が減っては戦は出来ねぇ、って言うしな。


* * *


 車上で激しく揺られながら、老師は考え続けていた。


 ……身近で陰謀が動いていて、それに気づかないゾエンではないはずじゃ。


 そもそも、監察使に求められている役割は、隠れた策謀を察知し、王に報告することだ。それゆえに敵も多くなる反面、その動きは常に監視している。

 ということは、二人を襲うのは計画的なものではなく、何か突発的なものかもしれない。


 ……それが何なのかが、さっぱりじゃがな。


 懸念していた冬の特別税も給料の遅配も免れたようだが、それ以外の何かが都で起きている……あるいは、起きようとしているのか。


「ゾエン。油断するでないぞ」


 そうつぶやいた瞬間、老師は思いっ切り舌を噛んでしまった。

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