第31話 宮城
ベイオとゾエンが国王への謁見を許されたのは、都について六日目だった。
朝、早い時間にゾエンの邸宅を出て宮城へ向かう。後ろには荷車を引く下男が続く。そこには、水車小屋の模型や測距儀といった、ベイオの作品が積まれていた。
流石に国王の住まいだけあって、宮城は立派な作りだった。城の周囲に巡らされた城壁は綺麗な石組だ。三つのアーチ型をした入口を持つ城門など、南大門より小ぶりだが装飾はさらに手が込んでいた。……ようだ。
事前にゾエンから「あまりキョロキョロするな、問われたこと以外喋るな」と言われていたので、ベイオは自重したのだった。
そして、宮城の本殿だが。
中華風の壮麗な建物だからこそなのだろう。どう観ても「寺社仏閣」だった。
うん……多分、日本の皇居だって、戦争で焼けなければこんな感じだったんだ。きっと。
そう考えれば、単なる文化的な話だ。
……そう思ってるときが、私にもありました。
本殿の内部へと案内される。
キョロキョロしない約束なので、ベイオは必死に正面を凝視しながら、案内係に付いて歩いてるのだが。
視界の隅に見えてしまうものが気になって仕方ない。
(ゾエンさん)
そっと小声で話しかける。
(僕の見間違えでなければ、護衛の兵士の刀が逆向きなんですけど)
脇の下に挟むように刀を下げている。それはまだいい。問題は、そこから前に突きだしてるのが、どう見ても
最初はものすごく長い
すると、ゾエンも小声で答えた。
(気にするな。宮中のしきたりだ)
……ということは、「殿中でござる」防止なのかな?
忠臣蔵の例のシーンだ。江戸城内で、浅野内匠頭が吉良上野介に切りつけるところ。前世の母がよく見ていた。
多分、前につきだした鞘を下に向ければ、肩越しに刀を抜けるのだろう。ワンアクション余分になるから、居合い抜きみたいに、いきなり切りかかられることはないのだろうけど。
……そこまで、自国の兵士が信用できないのか?
建国以来、何百年も他国と戦争していないため、平和ボケになってるのかもしれない。そう思うと、あまりよい状況とも言えない。
ベイオはそう感じた。
「苦しゅうない。
……やけに時代がかった物言いだな。
そう内心思いながらも、ゾエンとの約束なので従う。
そして、ベイオは国王を見た。
……ああ、代官のヤンドンに悪い事をした。彼は別に太ってない。この「国王さま」に比べたら。
正直な感想だ。それだけ、麗国の現国王は肥満体だった。前世の基準から比べても。たるんだ肉の
前世なら、何も気にしなかっただろう。誰もが食べ過ぎを気にするような、飽食の世界なら。
しかしこの国、麗国は違う。この国の九割がたを占める下民や賤民で、どれだけいるだろう?
生まれてこの方一度でも、満腹になるまで食べたことがある者は。
……でもダメだ、感情的になっては。
ダメなのだ。たとえこの国王を殺したとしても、似たような者があとを継ぐだけだ。それより、今のこの国王をこそ、味方につけるべきなのだ。
国王一人がどれだけ飽食しようと、たかが知れている。むしろ、国民が困窮しないように、国全体の生産力を上げるために力を尽くしてくれるなら、どれだけ美食にふけろうと構わない。
そのための、灌漑事業なのだから。
王をすげ替える。王朝を倒して新たに建てる。これが、普通の意味での「革命」だ。
でも、そんなものに意味はない。
……僕が目指すのは、産業革命。この国の、あらゆる分野での「生産性」を爆発的に高めることなんだから。そのための「工業化」なんだ!
怒りも恨みも、その一瞬に消え失せた。
「そちがベイオか」
「はい」
「そちは今日、余に何を見せてくれるのじゃ?」
「水車小屋の模型の実演と、これを各地に建設して灌漑を行うための、測量の実演でございます」
ベイオの言葉を合図に、打ち合わせ通りに下男たちが動き、水車の模型とそこに水を流す仕掛けが作られた。
まず、
その水車小屋の模型は、今回のために揚水に特化したものとなっていた。揚水機で汲み上げられた水が、別な樋で第三の瓶に流れ込む。
ベイオは、この第三の瓶が第一の瓶より上に置かれている事を強調した。
「このように、川の流れを利用して、川の水面より高い位置に、水を流し込む事ができます。つまり、丘の上の畑などに灌漑ができるのです」
「うむ。見事じゃ」
鷹揚に国王はうなずいた。そして、問いかける。
「して、もう一つの『測量』とは?」
「はい。灌漑のための水路を引くためには、水車小屋から田畑までの距離を知る必要があります。測量とは、遠く離れた目標との距離を、そこまで移動することなく知る方法です」
「ほう。それはまた、まるで呪法のようじゃの」
「やり方を覚えれば、誰にでも出来る技術です」
謁見の間の隅に置かれた花瓶が目標に選ばれた。ベイオは測距儀を使い、その花瓶に近づくことなく、正確な距離を言い当てた。
一番面倒だったのは、ベイオが決めたメートルと「尺」の間の換算だった。何しろ、土地尺と建物尺の両方に換算する必要があったからだ。
「うむ。見事じゃ、ベイオ。そちに褒美を取らせようぞ」
その国王の言葉で、ベイオは声を上げてしまった。
しかし、ベイオは気がつかなかった。その声が、妙に平板だったことを。
「いえ、滅相もございません。褒美などより、是非ともお願いしたいことがございます」
褒美とは金銭の類だろう。しかし、銅銭をいくらもらっても意味はない。
「どうか、この灌漑事業を進める御決断を! 技術を広めるための、学校の設置を!」
最後のひと押し。これで裁可が下れば、この国は変わる。
ベイオが懸命に訴えた、その時。
バン! と音を立てて、謁見の間の扉が開かれた。
「もう充分でしょう。証拠は全て揃いました!」
入ってきたのは青い衣の男。ゾエンと同じ位階の、上級官吏だ。ギラギラと目を光らせて、その口元はニヤケて歪んでいる。
そしてベイオを、次にゾエンを指さして叫んだ。
「この者たちは、反逆を企んでます!」
「イル・サガン! 何をもってそんな言いがかりを!」
血相を変えてゾエンが叫んだ。
「決まっておろう! 下民ごときがこんな大業をなしたとあっては、、国王を頂点とするこの国の権威が揺らぐではないか!」
サガンと呼ばれた男の主張に、ベイオは面食らった。あまりの言いがかりに、思わず声がでた。
「僕は、名誉も称賛もいりません! ただ、誰もがこの技術や知識を使えるようになれば――」
必死の訴えを遮って、サガンは罵倒した。
「下郎が! 貴重な知識を愚民どもに与えては、身分制度など成り立たぬではないか!」
あまりのことに、思わず反論してしまった。
「無茶苦茶です! 知恵や知識がないから愚民と蔑まれるのでしょう? 教育を受けてそれらを身に着けたら、良民と呼ぶべきです!」
その瞬間、ゾエンがギョッとしてこちらを振り返った。
……ああ、やってしまった。
身分制度を全否定したら、その制度によって立つ支配階級を敵に回すことになる。
……革命だった。僕がやろうとしていたことは、本当の「革命」だったんだ。
産業革命と前後して、フランスやイギリスで革命が起きたのは、歴史の必然だったのだ。工業化は教育の普及をもたらし、知恵と知識を得た民衆は、特権階級の収奪に甘んじてはいられなくなる。
自覚のないまま革命を叫んでいた。
そのショックでベイオは言葉を失い、沈黙が謁見の間を包む。
「サガンよ。そちはいかにしてこの謀反を知りえたのじゃ?」
あまりに平板な国王の声が、沈黙を破って響いた。
「密告であります」
胸を張って告げるサガン。
……それって、誇らしいことなの?
もう、ベイオには声を出す気力もない。
サガンは開かれたままの入り口を振り返り、合図をした。
それに応じて入ってきたのは、代官のヤンドンだった。しずしずとサガンの横まで歩み、国王の前に拝跪した。
「このものが、老師シェン・ロンの講義を盗み聞いておったのです。その内容は、身分制度の是非を問うものでした」
終った。ゾエンは観念し、瞑目する。
ヤンドンにも当然、監視は付けてあった。今までは、なんの動きも無かった。
しかし、その心中までは分らない。そこに溜まっていた鬱憤が突発的な行動を招いたのであれば、ゾエンの人脈で捉えることが出来なかったのも当然だ。
「良かろう。ベイオの所有するものは、製作物・道具・書面も全て没収する。ゾエン、ベイオは反逆罪で処刑せよ。シェン・ロンは指名手配とし、捕らえたなら同様に処刑せよ」
国王は、平板な声で死刑宣告を下した。その視線は手元の笏に落されていた。
笏とはそもそも、儀式での拝礼の手順や祝詞などを書き記した手札が由来。すなわち、高貴な身分の持つカンペだ。この判決も、そこにあらかじめ書き記されていたのだろう。
つまりは、最初から用意されていた判決だったのだ。
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