第32話 処刑

 手足を縛られて地下室へ放り込まれた。

 処刑は、様々な呪教のしきたりに基づき、夜明けと同時に行われると伝えられた。


 ……また、お母さんを悲しませてしまうのか。


 前世に続いて今生でも、先立ってしまうとは。親不幸にもほどがある。

 しかも、前世は無差別テロだったから、貧乏くじを引いただけだ。

 なのに今回は、自業自得。ゾエンから色々警告されていたのに、その真意を理解せず暴走した結果だ。


 ……ゾエンさん、老師さま、ごめんなさい。


 謝ってどうなるものでもない。

 それに、一番気がかりなのはファランだ。彼女も老師の講義を一緒に聞いていたのだから。

 さすがに、王族を表立って処刑することはないだろうが、病死に見せかけたり遠島ぐらいはやるだろう。


 しかし、とベイオは心の中でつぶやく。


 ……水車六百年の話は、本当だったんだな。


 前世のSNSで見かけた話題だ。水車を実用化しようとして六百年も取り組んだのに、遂に実現できずに滅びた国があると。

 いくらなんでも、それはないだろうと思ってたのだが。


 ……当然だよね。こんな風に、片っ端から処刑してたんだ。


 サガンの断罪がまさにそれだ。「下民ごときが大業をなすとは」だった。

 皮肉なことに、彼自身が「大業」だと認めている。しかし、それを下民がやるのは許せない、と。


 いや、身分すらどうでもいいのだ。自分以外が大業をなせば、自分の地位が脅かされる。まさに、「出る杭は打たれる」だ。そうして叩き合っているから、この国は全く進歩しない。


 それを危惧したからこそ、ゾエンは「余計なことは喋るな、見るな」と警告したのだ。ベイオならそれで充分理解できると思ったのだろう。


 ……お母さんに会いたい。アルムに、ファランに会いたい。ジョルムや老師さまやみんなに会いたい。


 かなわぬ望みと知りつつも、思いは募る。


 が、その面々がまさしく今、王都を目指していることを彼は知らない。


* * *


 ヨンギョンは緊張していた。

 ベイオを助けるためなら、何でもする。そう宣言してみたものの、こんな大役を仰せつかるとは。


 強行軍で夕暮れに都に着いた一行は、まず情報収集が必要だという老師の言葉に従った。

 とはいえ、アルムたち獣人は自由に出歩けないし、老師やファラン姫の身分で供もつけずにいるのはおかしすぎる。

 消去法で、ヨンギョンが選ばれた。


「……洗浄」


 老師が呪文を唱えると、ヨンギョンの頭上から大量の水が降り注ぎ、髪と身体を洗い清めた。


「……乾燥」


 暖かい風が吹き付け、あっという間に髪も体も乾く。


「では、これに着替えるのじゃ」

 手渡されたのは緑の衣。


「こんなの、着れません! もしバレたら……」

 身分詐称は、間違いなく打ち首だ。


「案ずるな。ベイオを助けるならば、わしらは間違いなく反逆者じゃからのぅ」

 何一つ安心できない助言だったが、ここに至れば従うしかない。

 着替えが済み、高位の官吏らしい髪型に結い、鍔広の黒い帽子をかぶる。


「うむ、馬子にも衣装とはこのことじゃ」

 全く褒め言葉になっていないが。


「では、口上を伝えます。記憶してください」

 ファランが話す言葉を、一語一句余さず暗唱させられた。

 これには下男として働いていた経験が役だった。読み書きができない分、伝言のための暗唱は幼いころから仕込まれているのだ。


 そして彼は今、ゾエンの屋敷の前に立っていた。

 もう日は落ちているというのに、屋内には煌々と明かりが点り、バタバタと駆け回る使用人たちがいた。


「た、たのもう! われはリウ・ヨンギョン。リウ・ゾエン殿に用があってつかまつった」

 ゾエンの遠縁の中級官吏、というのがファランの設定だった。

 すると、使用人の一人、この屋敷の家令が叫んだ。


「ゾエンだと!? 奴は反逆罪で死刑が決まった。もうこんな所にいられるか!」

 そう言うと、手にした貴重品を抱えて屋敷を飛び出して行った。


 主人が没落すれば使用人は見捨てる。それがこの国の常だった。しかし、ここまであからさまに略奪の限りを尽くすとは。


 呆然としたヨンギョンだが、こうしてはおれないと気づいた。急いで客室に飛び込み、ベイオの持ち物を探す。運よく、工具などが詰まった道具箱が見つかったので、それを引っ掴む。ファランが、それだけでも回収するように命じたのだ。


 ヨンギョンが荷物を抱えて屋敷を出ても、混乱のせいで誰も見咎めるものはいなかった。

 そして、足早に都の外の仲間のところへ戻る。屋敷でくすねた酒をあてがえば、門衛は機嫌よく通してくれた。


「ゾエンまで死罪か。これは誰かが仕組んだのじゃな」

 報告を聞いて、ロン老師は嘆息した。

 監察使に敵は少なくない。それを排除してこその役職なのだが。


「まぁ、良かろう。一人逃がすも二人逃がすも大差ないわい」

 何とも緊張感を欠いた声で、老師は呟いた。


「死罪となれば宮城の地下牢じゃな。処刑は夜明けじゃろうから、今夜しかない」

 淡々とした口調だ。まるで、天気の話でもするかのような。


「おらたちは、何をするだ?」

 アルムが尋ねた。流石に、こちらは緊張している。


「わしが宮城の衛士たちをひきつけるから、お主らは夜陰に乗じて地下牢に忍び込み、二人を解放するのじゃ」

 そう言いつつ、ヨンギョンが持ち返ったベイオの道具箱を漁る。


「ほれ、これを持って行くが良い」

 取り出した工具、バールのようなものをアルムに渡し、獣人たちに指示を伝える。


「大人の二人が牢のすぐ外で暴れて番兵をひきつけ、小柄なおぬしら二人が忍び込んで助けるのじゃ」


 ファランにはおおざっぱすぎる気がしたが、実行部隊の四人はうなずいていた。


「老師さま、わたくしは何を……」

 弟子の問いかけに、シェン・ロンは微笑みながら答えた。


「ベイオの母君、ヨンギョンと三人で、ここで待っておるがよい。保護の結界をかけておくから、安全じゃ。皆の無事を祈っておくれ」

「はい……」


 老師は声を張り上げた。


「では皆の衆、かかるぞ!」


* * *


 老師が獣人たちを従えて都の南大門に近づくと、門衛たちは何事かと身構えた。しかし、老師が呪文を唱えるとたちまち昏倒する。

「すげえな、呪法って」

 目を丸くするジュルム。そばを通ると、門衛らはいびきをかいて熟睡していた。


「万能というわけではないがの。行くぞ」

 そのまま、宮城の城門まで進む。誰も見咎めるものはいない。老師が全員に認識阻害の呪法をかけたからだ。


「さて。流石に宮城の衛士ともなれば、呪法よけの呪符くらいは身に着けておるな」

 物陰から城門前を伺い、老師は呟いた。


「どーすんだ、ジイサン」

 ジュルムの口調には遠慮がない。苦笑して、老師はその金と黒の頭にポンと手を置いた。

「ちょっと派手にやらかすとしよう。見ておれ」


 老師はすたすたと広場の中央に歩いて行った。そこで大仰に印を結ぶと、声高く呪文を唱えた。たちまち、城門から衛士たちが駆け寄り、十重二十重と取り囲む。


「……雷神の舞!」


 城門のすぐ手前に、大樹かと見まごう太さの電光がくだり、ズドン! と轟音と共に衝撃波が広場を駆けた。

 たちまち、衛士たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った。そこへ、第二、第三の落雷が襲う。いや、これはもう、落雷の集中豪雨だった。


「行け!」


 こちらを振り返って老師が叫ぶと、獣人の四人はあけ放たれたままの城門へ飛び込んだ。

 内部はもう大混乱だった。使用人たちは逃げまどい、あるいはその場で突っ伏して泣きながら震えていた。

 それでも、雷は人や建物などを巧妙に避けて落ちていた。恐慌を引き起こしてはいても、実質被害はない。


 ……しかし、やはり近衛の衛士と言えど、この程度か。


 宮城の庭で、腰を抜かして失禁しつつ震える男たちを見て、シェン・ロンはため息をついた。


 ……仕方があるまい。大国に寄り添うことで手に入れた、三百年の太平がもたらした弊害じゃな。


* * *


 獣人たちは宮城の中に飛び込むと、老師に教えられた道筋をたどり、地下牢を目指した。

 アルム父とジュルムの「爺や」が門番たちを蹴散らし、奥に突き進む。


「ベイオだ! ベイオの匂いがするだ!」

 アルムの鼻がひくつき、牢の一つに突進する。


「ベイオ!」

 名前を呼ばれて、はっと顔を上げる。


「……アルム!」


 信じられなかった。どうしてこの子がここに?


「いま、ここを開けるだ!」

 そう言って鉄格子の扉に手をかけるが、いかに獣人パワーと言えどもおいそれとは開かない。獣人を投獄することもあるのだから、当然だ。


「まって、アルム。今、そっちへ行く」

 事情はどうでもいい。目の前にアルムがいる。助けようとしてくれる。

 なら、自分にできることをやらないと。


 手足を縛られたまま、尺取虫のように這いずって、扉の近くまでにじり寄り、身体を起こす。

 扉は頑丈だが、開け閉めする以上は構造的に弱いところがあるはずだ。


「ここ! 留め金の部分に何か挟んでこじれば――」

 見回したが、使えそうなものはない。


「わかっただ! これ、使う!」

 アルムは着物の首筋からバールのようなものを引き抜き、先端の尖った部分を留め金に突き立てた。


「ふん!」

 力を籠めると留め金がはじけ飛び、扉が開いた。

 バールのようなものを放り出し、アルムは牢に飛び込んでベイオに抱き着いた。

「ベイオ! ベイオ! 怪我はないか?」

「ないよ、大丈夫。あと、ちょっと苦しい」

 力任せに抱きしめられると、骨がきしむ。


「これが悪いだ!」

 ベイオの身体を縛る縄に、がぶりと噛みつく。そのまま、まるで木綿糸かのようにブツリと噛み切った。


 本当に、この子とケンカだけはするまい。

 そう、硬く心に誓ったベイオだった。


「さあ、逃げるだよ!」

「うん、でもちょっと待って」


 放り出されたバールのようなものを拾い上げる。


「僕の工具箱から?」

「うん。ヨンギョンが取って来てくれただ」

 これには驚いた。

「ヨンギョンが? 他には誰が?」

 地下牢の出口へ走りながら、ベイオは救出にきたメンバーを聞いた。


 ……なんてこった! 僕の大切な人がみんな来ている!


 それは嬉しくもあったが、心配でもあった。

 全員無事なまま、果たして逃げおおせるのか?

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