第33話 脱出

「ゾエン! ゾエンてのはどこだ!?」


 子供の叫び声が近づいて来る。縛られたままのゾエンが顔を上げると、金と黒の髪の少年が、鉄格子の向こうに立った。

 ゾエンはかなりひどく殴られていたが、腫れあがった唇で呼びかけた。


「君は……確か、ジュルムだね」


 少年はうなずくと、扉を殴りつけた。当然、壊れない。


「無理だ、何かないと」

 ゾエンの言葉に首を振ると、ジュルムは言った。


「下がってろ」


 そして、瞳が金色に燃え上がった。

 サッと右手が振られる。次の瞬間、鉄の扉が真っ二つに切り裂かれた。

 修行の成果で身に着けた、「虎の爪」の技だった。


 ゾエンは戦慄した。純血種の獣人とは、ここまでの力があるのか。

 身体を縛る縄も切り裂かれ、自由になったゾエンは立ち上がった。


「何と礼を言ってよいか……」

「そんなものいい。来い!」


* * *


 ……さて、そろそろわしの呪力も尽きるが、どんな塩梅かの。


 ひたすら鷹揚な老師だが、呪力が切れれば身を護ることもできない。散発的になった雷も細くなってきている。衛士のほとんどは逃げ去るか失神しているが、何人かは武器を取ってこちらを伺ってる。


 と、宮城の中が再び騒がしくなった。先頭を走るのはベイオを担いだアルム。その後ろを、ゾエンを担いだジュルム。二人の大人は、追いすがる番兵を蹴散らしながら、その後に続く。


「おお、上手く行ったようじゃのっ――」


 そのまま、シェン・ロンの身体はアルム父に担ぎ上げられた。


 幸い、南大門の門衛はまだ熟睡していたので、その横を全員が疾走する。そのまま、郊外の茂みの中へ。ファランたちが隠れている場所だ。


 ベイオは母親に駆け寄った。


「ベイオ! よくぞ無事で!」

「お母さん……心配かけて、ごめんなさい」

 母の抱擁は、痛すぎることはない。


「ああ、ゾエン様! なんてお姿に」

 ベイオを抱きしめたまま、母親のエンジャが声をかけた。


 ……おや?


「面目ありません。ご子息をこんな目にあわせてしまって」


 謝罪するゾエンをいたわるエンジャ。


 ……それも悪くない、かな。


 あたりを見回す。

 良かった、みんないる。僕の大切な人たち。


 みんな。……みんな?


「早く乗って! 逃げましょう!」

 ファランの声に、全員が動きだした時。


「待って!」

 ベイオが叫んだ。

「せめて、挨拶だけでもしないと!」


 もう二度と、都に来ることはないだろう。だったらせめて、一言でも、彼に別れを告げたかった。


「イロンか?」

 ゾエンの言葉に、ベイオはうなずいた。


「やれやれ、この老骨にまだ鞭うつとはのう」


 自ら肩をトントン叩きながら、シェン・ロンは言った。そして呪文を唱え、この場の保護結界を上書きする。


「ほれ、おまけじゃ。二人で行ってくるがよい」


 ベイオとアルムに不可視の呪法をかける。「見られたくない相手」からだけ姿が見えなくなる、優れものだ。


「老師、ありがとうございます!」

 礼を言って、ベイオは荷車に飛び乗った。

 当然とばかりにアルムが車を引いて、都の中へと駆け込んで行った。


「ジイサン、やるな」

 ジュルムがポツリとつぶやいた。

 シェン・ロンはカラカラと笑うと答えた。


「昔から言うじゃろう。『学びて老いるは若さに勝る』とな」


 残念ながらそれは、こちらの世界限定の格言だった。


* * *


「……誰だこんな夜に。サガンか?」


 扉を叩く音に、手にした酒杯を卓に叩きつけると、イロンは立ち上がって戸口に向かった。

 そして、扉を開けて怒鳴る。


「うせろ変態野郎! 俺は張形なんて作らんぞ!」


 が、正面には誰もいなかった。おや、と思って視線を下げると。


「なんだ、ベイオか。どうした?」


 いきなり文字通り頭越しに怒鳴られて、ベイオはびっくりした。しかし、自分に向けたものではなかったようだと悟る。


「あの、夜分済みません。実は、お別れを言いに来ました」

「うん?」

 ベイオの言葉と、彼にしがみついてこっちを見上げてる獣人の幼女を見て、イロンは顎鬚をガシガシと掻いた。


「まあいい。立ち話もなんだ。入れ」

 二人が入ると、扉は閉じられた。


 何事かと外を伺ってた近所の住人に二人の姿は見えなかったので、「また酔っ払いのイロンか」と誰も不審に思わなかった。


「……で、随分とまた急な出立だな」

「はい、あの、実は……」


 かいつまんで事情を話す。


「はぁ? 水車を作ったから死刑だと?」

「……ええ、まぁ」

 かいつまんだら、要するにそういう事だ。


「腐りきった国だとは思ってたが、ここまでとはな」

 そう言うと、イロンは立ち上がり、旋盤にかけてあった布を剥ぎ取った。そして引き出しを開け、旋盤の刃やその他の工具をそれに包んでいく。


「あの……イロンさん。一体、何を?」

「決まり切ったことよ」

 旋盤を台に固定していたネジを外し、担ぎ上げる。


「俺も行くぜ。この旋盤は、変態野郎のために張形なんぞ作るためにあるんじゃねぇからな!」

 忌々し気にそう言うイロン。


「……あの、その『張形』って一体――」

「聞くな」


 良い子はググらないように。


* * *


「さーて、どうなったかねぇ、ベイオたち」


 たき火で串に刺した干し肉を炙り、スープの鍋をかき混ぜながら、ボムジンは満天の星空を見上げてつぶやいた。

 村を出て二日目。

 日が落ちたところで街道の横の草地に荷車を止め、野営を準備しはじめたところだ。


「この先の峠は、春まで凄い風が出るらしいが。その手前で帰りのみんなに合流できりゃ、楽なんだけどな」


 一人旅が長いから、独り言が癖になる。

 干し肉の油が融けていい香りがしてきた。鍋のスープもいい感じだ。


「これで、酒があればなぁ」

 とっておきの蒸留酒は、「怪我人が出た時の消毒に使える」と言う老師が持って行ってしまった。まぁ、ことが済んだら倍にして返してもらおう。


 干し肉の串にかぶりつく。上手い。スープも上等。


 このあたりは、ごくまれに野犬が出るだけだと聞いている。焚火を絶やさなければ、見張りも要らない。

 食事を終えて片付けも済ますと、後は寝るだけだ。


「お休み、ベイオ。ベイオの母ちゃん」


 なんだかんだで、多少は未練があるようだ。


 しかし、安眠はじきに破られた。街道の先、都の方角から近づく気配がある。しかも、多数。

 すぐにボムジンは目が覚めた。

 みんなが戻って来たのだろう。ただ、追っ手かもしれない。


 念のため、焚火を消して草地に伏せて待つ。星明かりでも、夜空の方がわずかに明るいので、この方が人影など見やすいのだ。


 草地の前に東西に延びる街道を、左に行けば都だ。そちらから近づくのは、聞きなれた車輪の音。ベイオの作った荷車だ。

 身体を起こすと、遠くから声が響いた。


「あー、ボムジンだ!」

 元気なその声はアルムだ。元気なら、上手く行ったのだろう。

 ボムジンは両手を振って、一同を迎えた。


 再び焚火を起こして、今度は全員の分の食事を作る。荷車が大きいだけに、食料もたっぷり積んできた。


 アルムもジュルムも大活躍だったので、ガツガツ食べてはお代わりをしている。ベイオはと言うと、緊張から解放されたので、一杯目を食べ終えたと思ったら熟睡していた。その彼に抱き着くように、ファランも寝ている。

 そんなベイオの頭を撫でながら、母のエンジャはゾエンと親し気に語っている。


 ……なーるほど、そうなったのか。


 多少、妬けるが仕方がない。こう見ると実の夫婦、いや、ベイオも含めて親子三人にしか見えないのだから。


 ……俺も、カミサン欲しいなぁ。


 偉丈夫だし、気さくな性格のボムジンは、女性から人気がないわけでもない。ただ、木こりとして村から村へと渡り歩く生活なので、そこが難点だった。


 ふと、新顔の男に目が留まった。たしか、イロンと名乗っていた。背は低いが、筋肉のつき方はボムジンに負けないほど。

 で、今は老師と親しげに話している。話の内容なんてどうでもいいが、問題は二人が手にしてる盃の中身だ。


「やぁ、どうもお疲れさまっす」

 愛そう良く二人に語り掛け、何気に盃を差し出してみる。

「おう、あんたの用意してくれた晩飯、美味かったぞ!」

 酒が回ってご機嫌なイロンが、気前よく注いでくれた。

「それは何よりで……うわっ、強いなこの酒!」

 一口含むと、むせ返るような酒精が喉を焼いた。


「うはははは! 火酒と言うんじゃ。強いだけじゃないぞ!」

「お、おう。なんか凄く、良い香りがする!」

 一気に意気投合した筋肉同士だった。


 飲んで食って、呪力の回復した老師の結界の中で一同は眠りに着いた。

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