第36話 占領
「わしらは国を追われた身じゃからな。ディーボンに亡命してもおかしくはないじゃろ」
荷車の上で揺られながら、飄々としたさまで老師は言う。
確かに、もとからディーボンに渡ることも考えてここまで来たのだから。
それでもベイオは内心、気が気でなかった。なにしろ、こっちには女性がいるのだ。
「もしお母さんを差し出せなんて言われたら……」
老師の呪法があれば、いざという時は守ってもらえるかもしてないが、無敵と言うわけではない。戦国武将ともなれば、目の前に雷が落ちたくらいで泣き叫んだりはしないだろう。
「まあ、そんな無粋なやつなら論外じゃがな。可能性は低いじゃろ」
「なぜそこまで言えるのですか?」
ゾエンも懸念を示した。
しかし、老師はカラカラと高笑いして言った。
「そんなボンクラは、とうに死に絶えとるはずじゃからな」
……ああ、そうか。
「
「そうじゃ」
うなずくと、老師はゾエンに向かって言った。
「未来の息子に負けとるぞ。しっかりせい!」
「いや、私はべつに……」
あたふたするゾエンに、赤面するエンジャ。
自分の母親が、若い娘のように頬を染めてる。いや、年齢だけなら本当に若い……。
ベイオは、妙に息苦しい感じがした。
「あの……俺、頭悪いからわかんないんだけどさ」
おずおずと、ヨンギョンが会話に入ってきた。
「何で、戦が続くとそうなるんすか?」
「うむ。いい質問じゃの」
にこやかに老師はそう言うと。
「ベイオ、教えてやれ」
丸投げした。
「……ええとさ、戦争が続いてて、生き残るにはどうしたらいい?」
「そりゃ……強い軍隊がいるよな」
「そう。強い兵士を沢山抱えないといけない。それには、……何が必要かな?」
最後の部分は、荷車を引くボムジンに投げ掛けた。
「メシ! たっくさんのメシ!」
「大正解!」
ベイオはヨンギョンに向き直って微笑んだ。しかし、彼はまだ首をかしげてる。
「ごめん。俺ホント頭悪くて。食い物なんて、いくらでも集められるよな? 力ずくでさ」
微笑みながら、ベイオは指摘した。
「ずっとそれができる? 春先とか。何年もずっとやられたら、奪われる側の人達、どうなるかな?」
「……死んじまうよな。……そうか!」
ようやく、ヨンギョンにもわかったらしい。
ベイオはまとめた。
「強い軍隊が欲しかったら、できるだけ沢山の民を、飢えさせないように、憎まれないようにして、囲わないといけないんだよ」
老師に向き直る。
「それは、占領地でも同じなんだ。そうですね」
「うむ。免許皆伝して良いくらいじゃな」
満面の笑みで、老師は言った。
「敵対の素振りさえ見せなければ、無体なことはせんはずじゃ。そのため、あえて丸腰で来たのじゃからな」
追っ手たちが棄てていった武器は、拾い集めてあの洞窟に隠してきた。
「ディーボン軍にも負傷者はおるじゃろ。敵味方関係なく治療していれば、印象も悪くないじゃろて」
意外と計算高い。
* * *
結果的に、老師の読みは当たった。
敵味方関係なく、老師は治癒の呪法を施し、エンジャとファランは熱心に看護した。獣人たちと筋肉組は、瓦礫の中から負傷者を救出した。ベイオとヨンギョンは、なけなしの食料で炊き出しを行った。
ディーボン軍に獣人が沢山いたのも大きかったようだ。ただ、みんなアルムのようなヒト族との混血で、そのせいか純血種のアルム父やジュルム、ジュルムの「爺や」は尊敬の念すら向けられてるようだった。
特に、年若いジュルムはまるで王子のような扱いだ。獣人たちにとっては、何が感じるところがあるのだろう。
……アルムは感じ取れないようだが。
そうした働きが認められたのだろう。ブソン攻略隊指揮官との目通りが叶ったのだ。
ブソンに着いて三日目の朝。迎えに来た兵に続いて、宿営となった代官屋敷に向かう。
先頭にはゾエン。ディーボン語も辰字を使うので、筆談で交渉事を一手に引き受けていたからだ。
でも、その後ろに何で自分が? と、訝しむベイオだった。
何より、前回こうして並んで立った時には、自分が暴走して死刑宣告の口実を与えてしまったのだ。あれだけは避けたい。
そんなわけで、ベイオの横にはアルムが並んでる。異常なまでに鼻が利くので、相手が緊張や苛立ちを感じれば、たちどころに嗅ぎ付けてしまうのだ。
失言で相手を怒らせたら、すぐに土下座でも何でもするつもりだった。……のだが。
「……アルムを下げろって?」
筆談の文章を覗き込んで、思わず声が出た。
「鼻が利きすぎるから、心を読まれてるようなものだそうだ」
苦虫を噛み潰した顔のゾエン。
と、ベイオの袖がツンツンと引かれた。アルムがささやく。
「このオッチャン、獣人だ」
……え?
一般の兵卒ならまだわかる。しかし、第一陣の指揮官という大役を任せるなんて。
背丈はアルム父と並ぶくらいある。筋肉も、ボムジンやイロンとは違い、俊敏さを感じさせる付きかたっだ。
唇が割れてないから、アルムのようなハーフなのだろう。むしろ、この世界の獣人のほとんどがそうだ。
ケモノ耳は被り物で見えない。袴はゆったりしてて長いから、尻尾の有無もわからなかった。
体臭だけでわかってしまう、アルムの嗅覚はすごい。
……すかしっ屁したら、すぐ謝らないとな。いや、そうじゃなくて。
考えを戻す。
しかし、考えてみたら当然だ。獣人の身体的能力は、ヒト族を遥かに上回る。それを恐れるあまり、武器を手にすることを厳重に禁止したのが麗国だ。
しかし、百年も戦乱の世を過ごしたディーボン国なら? 活用しなければ、たちまち滅ぼされてしまうだろう。
そして、手柄を立てれば出世させるべきだ。
戦争は惨たらしいものだが、だからこそ合理性が重視されることにも繋がる。
仮初めの太平のなかで不条理に潰されかけている、この麗国とは全く対照的だった。
一瞬でそこまで考えを巡らせると、ベイオはゾエンから筆を借りて、さらさらと紙に走らせた。
実際に書いたのは、漢文のような辰字だが、意味はこんな感じだ。
『あなたも獣人の血を引くのに、こちらだけ下げるのは理がないのでは?』
指揮官は、それを見てニヤリと笑うと、被っていた頭巾のようなものを脱ぐ。
黒くて丸みのある耳が現れた。
……熊だ!
熊人族の武将は、獣人語で二言三言、アルムに向かって話しかけた。わりと穏やかな声だ。
アルムはベイオにピタッと寄り添うと、獣人語で何か言い返した。すると熊侍の目がわずかに見開かれ、豪快に笑った。
「アルム、何だって?」
話が見えないベイオ。
「ベイオのこと、おらの主人かと聞いたから、大きくなったら結婚すると言っただ」
……け、結婚!?
今度はベイオの目が大きく見開かれた。
隣ではゾエンがクスクス笑ってるし、熊侍も何かニヤニヤしてる。
アルムの爆弾発言のせいで、堅苦しい雰囲気はすっかり吹き飛んでしまった。
熊侍はガフ・スガセイと名乗った。なんとなく日本の人名のような響きで、漢字が浮かばない名前だ。
どうやら、九州にあたる島の半分を支配する領主らしい。麗国のある半島に近いため、第一陣となったのだろう。
ゾエンは自分達の境遇について筆談で伝えた。ベイオも、アルムの通訳でそれを補う。
『すぐには信じがたいが、その娘は嘘をつけなさそうだ』
熊侍ガフは、アルムが気に入ったようだ。
「熊のオッチャン、あの荷車もベイオが作ったのか? って」
アルムの通訳で、ベイオはうなずいた。
「俺たちにも作ってくれるか? と言ってるだ」
これは微妙だ。
ベイオはゾエンを見上げた。うなずいてる。
「作ってもいいけど、直接、戦闘には使わないでほしい。人や物資を運ぶのは良いけど、ヒトを殺す武器にはしたくない」
「わかんない言葉、多すぎる……」
アルムが通訳するには長すぎたようだ。
筆をとって筆談で伝えた。
ガフはうなずくと、その紙に漢数字を書いた。
荷車を百両。しかも、ボムジンが引いてる大型のだ。
材料の調達だけで頭が痛くなる。
しかし実は、材料なら腐るほどあった。放置したら本当に腐るものが。
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