やりたくないのは戦争!
第35話 陥落
ディーボン軍の軍船がブソン港の沖に現れたのは昼過ぎ。第一陣の総大将は、まず書状をブソン砦の司令官に送りつけた。
『我々は中つ国へ攻め込む。通行を認めろ』
大意、そのような意味であった。
しかし、砦からは何の返事もなく、黙殺された。これにより、ブソン攻略が決定された。
ベイオたちが峠の上から目撃したおびただしい軍船の群は、この時の物だった。
「ブソンに入るのは危険です。引き返しましょう」
ゾエンの主張はもっともだが、問題が一つあった。
「都からの追っ手はすぐそこまで迫っとる。引き返せば鉢合わせじゃな」
老師が指摘した通りだ。
「戦はやだねぇ」
「なんでぇ。弱気だな」
巨体をすくめるボムジンを、イロンがからかった。
「だってさぁ。兵隊ってのは食い物とか取り上げるんだぜ。すきっ腹かかえて逃げまどうの、嫌だよ」
意外と現実的な事を言うな、とベイオはちょっと感心した。
「ボムジンさん、戦を知ってるの?」
ベイオが聞いたのは、今まで戦はなかったと老師が言っていたからだ。
「俺は北の方の生まれなんだ。あっちじや、蛮族との戦いなんてしょっちゅうさ」
……そうか、「蛮族」だから、「他国」じゃないのか。
「攻め込んできて食料よこせは酷いよね」
そう言うと、ボムジンは顔をしかめた。
「そんなの、普通だろ。蛮族は略奪しにくるんだから。俺が言ったのはこの国の兵隊だ」
要するに「徴発」だ。
自国の兵士だからと、なんとなくベイオは日本の自衛隊をイメージしてた。災害救助活動で、被災者には炊きたてのご飯を出して、自分達は冷たい缶詰で済ませてた彼ら。
軍隊や戦争というものの現実を突きつけられた気がした。
……これはますます、本気で身を守らないと。
「老師さまの、相手から見えなくする呪法はどうですか?」
ベイオは提案した。
「追っ手も敵軍も、それでやり過ごせれば――」
「それは無理じゃな」
老師はにべもなかった。
「あれは地味に呪力を食う。二、三人を一刻ぐらいなら大したことないが、これだけの人数を長時間は無理じゃ。まして、追っ手も敵軍も、いつ遭遇するか分らん」
そして、呪力が切れればそれまでだ。
「あの……ここは街道ですから、追っ手も軍隊も必ず通るでしょう。どこかに隠れた方が良いのでは?」
子供の安全を第一にするエイジャだ。
「そうじゃな。まず隠れるとしよう。どの道、砦を落とすまで軍勢は先には進めん。追っ手の方も、あの軍勢を見たら逃げ帰るじゃろう」
老師のその言葉で、一同はうなずいた。
街道の周囲をアルムとジョルムが手分けして探った。そして、日が沈む前にジョルムが大きな洞窟を見つけてくれた。街道から少し山を登ったところだ。
まず、大人獣人と筋肉組が荷物を運び込んだ。その間にベイオは空になった荷車を分解し、これを戻って来た四人が洞窟に運んだ。
街道の上に残った轍は、木の枝を切り落とした即席の箒をアルムとジョルムが引きずって、数キロほど消し去った。
日が沈むと、水平線からほとんど欠けてない月が昇った。
夜空がこれだけ明るいと、煙が見えてしまう。火を焚くことはできないので、一同は冷たい干し肉と雑穀餅だけの夕食を取った。
灯りは老師が呪法で出した光の玉で、それさえも洞窟の入り口に布を下げて隠した。
見張りは夜目の聞く大人獣人組が担当するはずだったが、アルムとジョルムが「自分たちもできる」と言い張ったので、四交代となった。
ジョルム、アルム父、「爺や」、最後がアルムだ。
遠慮なく寝ようと思ったベイオだが、ふとファランの姿が見えないことに気が付いた。
洞窟の天井近くを漂っている光の玉は、もうかなり小さくなってきている。それでも、さして広くない洞窟の中を見回せば、彼女がいないことは見て取れた。
入り口を覆った布をめくり、ベイオは外に出た。
ジョルムが腕組みをして立ち、街道の方を見下ろしていた。子供ながらに、どことなく頼もしい。
「ジョルム。ファランを見なかった?」
ささやきかけると、ジョルムは洞窟の右手を指さした。藪の中だ。
……もしかして、トイレかな? 声をかけてみよう。
「ファラン、そこにいる?」
「……ベイオ」
返事があった。
「そっち、行っても良い?」
「……ええ」
そっと藪をかきわけると、ファランは膝を抱えて草の上に座っていた。ベイオが隣に腰を下ろすと、しがみついてきた。
「ファラン……」
「わたくし、怖いの」
震えていた。
「あの軍勢は、私が夢で見た獣。これからたくさんの人が殺されるわ。大人も、子供も」
そんなことない、と言おうとして、ベイオは気づいた。
ディーボン国が、自分の知る日本であるはずがない。ここは異世界だ。時代も違う。戦国時代が終わったばかりだ。
……確か、武士道っての、江戸時代にできたんだよな。
悪法とされた徳川綱吉の「生類憐れみの令」も、捨て子の禁止に繋がったという。これが殺伐とした戦国時代の空気を変え、太平の世を生んだ一因にもなったらしい。
……これは、日本史の「みやまさ」先生だったかな?
眼鏡で小柄な、初老の教師を思い出した。
戦国武将とは、敵の
何も言えず、ただファランの背中に手を回して抱きしめる。それだけで落ち着いたのか、しばらくしたら震えが収まっていた。
「ありがとう。もう、大丈夫」
「ほんとに? 戻れば眠れそう?」
わずかに漏れる月明かりで、ファランが微笑むのが見てとれた。
「ええ。だって、ベイオはこうして生きてるもの。夢は絶対じゃないから」
実際は、夢の内容が違う。ベイオの場合は殺される前に目覚めた。獣の場合は、大樹は倒れた。
しかし、命のすべてが死に絶えた訳ではない。飛び去り、逃げおおせた命もあった。
なら、一匹でも、一羽でも、多く助かることを祈ろう。
夜明け前、ベイオが洞窟から出てみると、アルムは眠りこけてた。
「しょうがないな」
そっと腕をつついてやる。
「ふわ……おはよう、ベイオ」
「おはよう、アルム。よく眠れた?」
「うん……」
うなずいてから、はて? となって。
「寝てないよ! 全然寝てないだよ!」
必死に強弁する。
「うんうん、寝てなかったよね」
微笑ましい様子にほっこりしつつも、街道の先、ブソンの町を見つめる。どうやら、夜の間は襲撃はなかったらしい。
ほっとする反面、時間がないのも確かだ。
「ベイオ、アルム、朝御飯よ」
洞窟から母親の声がした。振り向くと、小さな籠を手渡された。干し肉と雑穀餅が入っている。
二人ならんで座り、冷たくて固い食事をモグモグ噛んでいると、やがて日が上ってきた。
そして、みんなが出てきた頃、微かな音が聞こえてきた。
遠くで爆竹が立て続けに鳴るような音だ。
「始まったようじゃの」
老師が目を細めて、沈鬱な声で言った。
「じゃあ、今の音は?」
「鉄砲、じゃな」
もとの世界なら、火縄銃だ。
……それで、信長と秀吉が天下を取ったんだっけ。
そのとき、獣人の大人とジュルムが急に立ち上がった。アルムも、ベイオの横で体を固くしている。
「な……なに?」
ベイオの声に、アルムがささやいた。
「誰か、この山の上にいるだ」
獣人の男三人は、目配せすると音もなく山を駈け上がって行った。
そして、ほどなく一人の男をす巻きにして連れ帰ってきた。
その顔を見て、ゾエンが言った。
「大声を出さないと誓うなら、猿ぐつわを解いてやろう。バク・ホン水使」
必死にうなずくので、アルム父がはずしてやった。
「リ、リウ・ゾエン監察使。なぜ、こんなところに!?」
「それどころではないだろう」
ゾエンは街道の先を指差した。砦からは、すでに煙が上がっている。
「すぐに救援が必要だ。水軍を率いて海上から攻めれば、挟撃できるはず」
「も、もちろんだ! 縄を解いてくれ!」
「ただし。私がここにいることは内密にな」
「わかった! わかったから!」
解放されたバク・ホンは、何度も転びながら山を駈け上がって行った。
「やっといなくなった。ションベン臭かっただ」
アルムが鼻の頭にシワを寄せていった。失禁してた、ということだ。
「水使って水軍の将軍?」
ベイオの問いに、老師がうなずいて答えた。
「しかし、この国の軍は上から下まであのザマじゃ。この狼人族の娘の方が、よほど胆が座っておる」
「え、それじゃあ砦は?」
「……終わったようじゃの」
砦のあちこちから火の手が上がっていた。開戦してから、まだ二時間も経っていない。
そのとき、ジョルムの耳がピクッと動いた。
「山の向こうで馬の蹄の音。……遠ざかる」
ゾエンが聞いた。
「方角はわかるか?」
ジュルムは北を指した。
「逃げたな」
ここは半島の南端。水軍の拠点が内陸にあるわけがない。
……将軍が敵前逃亡なんて。
「あれ、追っ手だか?」
アルムが街道を指差した。
馬にまたがった兵士が数名、街道で立ち往生していた。炎上するブソン砦に狼狽えているらしい。
しかし、そこで腰の剣などの装備を投げ捨てると、馬首を巡らして街道を戻っていった。来るときよりも遥かに早く。
「思った通りだな」
ゾエンが苦々しく呟いた。
……さっきの将軍が上なら、あの追っ手が下か。
おそらくブソンでは、今このときにも沢山の人が殺されているはず。
もちろん、あんな少人数で助けに行けるはずがない。しかし、都に報告するのに、装備を全て捨てていく必要はない。
つまり、任務など放り出して逃亡したのだ。
……この国の兵士に、民を守ろうなんて気持ちはないんだ。
暗澹たる気持ちでいると、老師がポツリと行った。
「さて。それじゃ行くかの」
ファランが尋ねた。
「どこへ向かいますか?」
「決まっておろう。ブソンじゃよ」
聞き間違いかと、ベイオは思った。
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