第37話 沈船

 兵士に連れてこられたのは港だった。


「変な臭いがするだ」

 アルムが顔をしかめる。


 ……そうか、海なんて見たことないんだよな。磯の香りも初めてか。


 それを言ったら、今生のベイオも同じなのだが。前世では、何度かある。

 アルムにとっては、海を見た感動より、臭いの方が気になるらしい。


 兵士が獣人語でアルムになにかを告げた。

「あの板の上歩いて、端から水の中を見ろ、と言ってるだ」

 通訳のとおりに、桟橋の端まで歩いて海の中を覗いてみた。


「船だ。すごい数」


 なん十隻もの大小様々な船が沈んでいた。貝や海草が付いてないから、沈んでから日がたってない。

 ブソンの守備隊が、敵の手に渡らないように沈めたのだろう。


「これを引き揚げて荷車の材料にするのか。でも、簡単に引き揚げできたら、沈める意味ないよね?」

 兵士が答え、アルムの通訳した。

「背骨が折れてるだと」


 ……竜骨か。それじゃ、船としては使えないな。


 しかし、いい具合に湿ってくれれば、曲げ木に合うかもしれない。

 木材の種類次第だが。


* * *


 その頃、老師はもう一人の武将と筆談していた。こちらはヒト族で、ゾン・ギモトと名乗った。

 熊侍ガフの参謀役だ。ブソンの港から目と鼻の先にあるデマ島の領主で、こちらにも何度も来たことがある事情通だ。


『では、あなたが此度の作戦立案を?』

『はい。思いの外、早く進んで、自分でも驚いてます』


 この日から始まる二人の筆談は、後に「麗国攻防実録」という題でまとめられ、重要な歴史資料となるのだった。


『なんと、複数の港を同時攻略とな?』

『はい。ブソン港だけ落としても、周囲の港から後続の船団を狙われては厄介ですから』

 制海権という概念が既に生まれている。

『しかし、ここから北には天然の要害、ドネン城がある。さすがにここの攻略は――』

『そうですね。手こずりました』


 老師は、ギモトの書いた行を凝視した。最後の辰字は、過去を表すもの。


『まさかと思いますが、既に落とされたと?』

『ええ、昨日までの二日で』

 彼我の戦力差がそこまでとは。ブソンに着いてすぐに、指揮官に目通りを申し込んだのに、三日待たされたのはそのためであったか。

 しかし、麗国の軍は脆すぎる。


『あの地区を束ねる兵馬節度使は、確かリウ・ギョク。期待はしておらんかったが……』

『……その者は武人ですか?』

 妙な質問じゃな、と老師は眉をひそめた。

『いかにも。何故それを?』

『守備隊を指揮していたものは、朝服を着てました』

 まさか。

 耳を疑った。朝服とは、文官が朝廷に参内するときの正装だ。

『その服は、何色でしたか?』

『鮮やかな青でした』

 間違いない。老師は目を閉じた。

 しばらくして目を開き、微かに震える手で綴る。

『……わしの最初の弟子じゃ。名はゾン・ゾゲン。武官ではなく文官で、ドネンの行政官で……』

 ……実直で曲がったことの嫌いな男じゃった。

 何が起こったのか、手に取るようにわかる。本来なら陣頭立って戦うべきリウ・ギョクはさっさと逃げ出し、ゾゲンがやむなく指揮を執ったのだろう。


『我々は、ブソンの時と同じ降服勧告を送ったのですが、今度は返事が来ました。曰く、「死ぬのは容易いが、通す訳にはいかない」と』


 ……その時点で降伏すれば、自身も軍民の命も長らえたであろうに。


『彼の指揮の下、麗国の兵は果敢に戦いました。我々も、腰につけた幟を外して手に持ったり、獣人たちは尾にくくりつけるなど、小細工を労して何とか城に取りついたのですが』

 幟は目立つから、それめがけて麗国の兵は弓で狙ったのだろう。こんな小細工が通るのは、訓練不足の証拠。武官の責任だ。


『敵の大将は殺さず捕らえろ、と命じていたのですが。呪法を使って激しく抵抗したため、やむなく……』

 武人よりも勇猛な文官。なんという皮肉だろうか。

『敵ながら天晴れであると、ガフ殿も感じ入ったようで、丁寧に埋葬しました。名前がわかったので、石碑も刻ませましょう』

『有り難う御座いました……』

 そこまで書いたところで、老師の筆が止まった。

 どうしたのかとギモトがいぶかしむ。すると、紙の上にポツリと滴が落ちた。

 その途端、老師はやわら筆を硯に浸けると、極太の文字で紙一杯に書きなぐり始めた。


『麗国に英傑なし。将は逃げ兵は惑い、ただ死を覚悟す文官これ有り』


 筆を置くと、老師は立ち上がり、深く礼をして立ち去った。


* * *


 ベイオは、荷車の量産に取りかかった。

 沈船の引き上げは、ディーボン兵達がやってくれた。そもそも、沈んだままでは桟橋が使えないので、最初から決まっていたようだ。

 引き揚げられた船はすぐに解体され、曲げ木に使うため水に浸けるものと、乾燥させるものに仕分けられた。


「うーん、やっぱりアカマツか」


 船に使われてた木材だ。松脂や油脂分が多いので、腐りにくい。ただ、ミズナラに比べると加工が難しいのは確かだ。


「試しに一台、作ってみるしかないな」


 素材の特性を知るには、使ってみるのが一番だ。作るのは小型の荷車。失敗しても問題ないし、曲げる時の半径が小さくなるから、むしろ曲げやすさがよくわかる。


 それに、もうひとつ試したいものがあった。

「イロンさん、この寸法でお願いできます?」

「ふーむ。変わった尺だな。だが、作るのに問題はないぞ。戦のあとだから、屑鉄は沢山あるしな」


 車軸と軸受けを、金属で作る。ベイオの念願が、ようやく叶うのだ。さすがに今回は無理だが、イロンの師匠はベアリングのアイデアもスケッチに残していたらしい。


 試作品第一号の完成まで三日かかった。

 アカマツの曲げ木はやはり難しく、煮込む時間や曲げる時の力加減などを、色々試行錯誤したためだ。

 しかし、その甲斐あって新型の荷車は軽快そのものだった。

「ベイオ、これスゴイ! 何も引いてないみたい!」

 獣人とはいえ、小さなアルムが軽々と引いてるのは、やはり人目を引いた。しかも、荷台に乗ってるのが、大柄な体を縮こまらせたボムジンなのだから。

「なんか俺、めっちゃ笑われてねえ?」

「ウケてるんだよ。大人気だ」

 隣を歩くベイオがなだめた。

「本番の方が出来たら、思いっきり引いてもらうからね」

「まあ、飯もたらふく食えるから、文句ないけどさ」

 道行く人が振り返る。その中には、彼が瓦礫の中から助け出した者もいた。滑稽だから笑うものはいても、蔑んでいるものはほとんどいない。

 戦闘では冷酷非常なディーボン兵たちも、平時には意外と普通に接して来るのが大半だった。中には威張り腐った者もいるのだが、暴走する事はまれだ。


 ディーボンに協力的なベイオたちが恨みを買わないですんでいるのは、そんな理由もあった。


 一方、老師はあの後もゾン・ギモトとの筆談を続けていた。

 麗国で名高い大賢者だと知ると、ギモトの知恵袋として買われたのだ。

『とはいえ、わしも知らぬことは多い。例えば、此度の戦乱は直前までわからなかった』

『ほう』

『何か国を揺るがす大事が起こる。そんな予兆はあったんじゃがな。それを警告し、国を変えようと足掻いた結果、この国から追われることになっての』

『大変でしたな。しかし、そのお陰で初戦はこちらの大勝利となったので』

 互いに、複雑な気分だ。


『しかし、開戦までの動きが伝わってなかったということは、どうやら我々の懸念が正しかったようです』

『懸念とは?』


 ギモトの綴る返答は、老師の眉間に深く皺を刻んだ。


『偽使、即ち偽の使節団を、麗国は我が国に送ったのではないかと』

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