第38話 偽使

『そもそもは、五年前に我らが盟主、ユシン・シュウキ様が天下を統一したときに遡るのですが』

 書き綴るギモトは眉間のシワが深い。

『突然、次は中つ国を攻め落とすと宣言されて、皆慌てました』


 そうじゃろうな、と老師はうなずいた。


 折角、戦乱が終わったのだ。どの領主も内政に力を入れて、国力の回復を考えていただろう。それが、超大国ともいえる中つ国にケンカを売るというのだから。


 ……今回の大遠征、現場の武将の中には、内心は反対の者もおるようじゃな。


 例えば、目の前のゾン・ギモト。老師の一番弟子、戦死したゾン・ゾゲンと名字が同じなのは、あながち偶然ではない。恐らく、何代か先祖を辿れば血縁があるはずだ。

 麗国とディーボン国は、古来からそれだけ人の交流もあったのだ。

 ギモトの所領であるデマ島も、麗国との交易で潤っている。そして、戦乱は交流を止めてしまう。


 しかし、まずは彼の話を聞く……いや、読むべきだ。


『そこで、麗国との友好関係を深めて、中つ国との戦に中立を保ってもらえないか、との意見が出ました。それには、ユシン殿の天下統一を祝う使節を出して貰うのが一番だと』

『それは少々、甘かったですな』


 ギモトが縷々と綴る合間を狙い、老師は書き込んだ。


『麗国は、その建国自体が中つ国の権威にすがっています。親子よりも強い絆……と言うより、依存関係ですな。酒好きが酒を断つと手が震えるように、中つ国に背くというだけで、この国はガタガタになるのです』

 老師の皺だらけの顔の眉間に、さらに深い皺が刻まれる。

『麗国で交渉に当たったのは、外部公司のものですか?』

 ギモトはうなずき、老師は瞑目して髭をしごいた。


 外部公司とは、要するに外務省だ。しかし、中つ国の属国でしかない麗国にとって、外交は中つ国からの使者をもてなすことが主となる。そのため人気がなく、優秀な人材は集まらなかった。

 結果、事なかれ主義が横行する。


『重要な案件であれば、外部公司を通さず朝廷が直接扱うはずです。おそらく、交渉に当たった担当者は、貴国を侮っていたのでしょう』

 自国の領土でありながら、島々を化外の地と蔑むほどだ。海の向こうのディーボン国など蛮族の集団という認識なのだ。


『わしなども、攻め込む軍があるとしたら地続きの北方から、そう考えておりましたわい。まさか、海を越えてくるとは』

 逆の例ならあった。麗国より前の時代だ。半島を占領した中つ国が、ディーボン国に攻め入ったのだ。

 結局、この時はディーボン国に撃退されている。当時から兵力は高かったのだ。


『……そうすると、やはりその外部公司の独断でしょうか?』

 ギモトが書いた。

 老師はうなずく。

『朝廷に報告せず、自分らの中で済ませようとしたのじゃろう』

 官僚とはそういうものだ。徹底した減点主義で、上に具申すれば評価は下がる。面倒を持ち込むことになるからだ。


『おそらく、地方官吏を集めて、偽の使節団にしたんじゃな』

『……なるほど。我々もおかしいと思い、船で直接、都に行くのをやめ、陸路で様子を見たのですが、どうにも素行が怪しくて』

 道中、トラブルの連続だったそうだ。中には、農家から鶏を盗み、町中を追い回されて捕まる者まで出る始末。


 道中、なんとかディーボンでのしきたりなどを伝えて、都にたどり着くまでにはかなりマシになったのだが。

 一方で関白ユシンの方も、待望の息子が生れたばかりで、子煩悩が暴走していたようだ。謁見の場に幼い息子を抱いて現れたのだ。しかも、その子が小便を漏らすと、叱るどころか「可愛い」を連発する有様。


 偽物とは言え、使節団の方も侮辱されたと感じたようだ。

 一応、親書を渡し、様々な品を土産として持たせ、帰国となったのだが。

 朝廷に上がったのは「化外の地より貢物あり」という、簡単な報告だけだったようだ。


 ……この国を食いつぶす獣とは、官僚制度の方かもしれんな。


 老師の憂いは、ますます深まるのだった。


『ところで老師。一つお願いがあります』

『こんな老いぼれに何を?』

 ギモトの願いは、意外なものだった。


『そろそろ前線に戻らねばなりません。御同行を願いたい』


* * *


「というわけで、ディーボン軍に同行して都に攻め上ることになった」


「「「「な、なんだってー!?」」」」


 老師の爆弾発言に一同は驚いた。


「……麗国を見捨てるのですか?」

 ファランもショックを隠せない。

 追われる身になったとはいえ、そもそも現国王の姪、姫君だ。このブソンでも、多くの民が殺されている。

 服を着替えるように寝返るわけにはいかなかった。……のだが。


「見捨てるも何も、わしらの方がとうの昔に、国から見捨てられとる」

 そう指摘する老師に、ファランも反論できなかった。


「でも、僕はまだここから動けませんよ」

 戸惑うベイオ。


 今は、荷車百台の量産体制作りに大忙しだった。こうして協力しているから、衣食住を占領軍にまかなってもらっているのだ。

 これを放り出すわけにはいかない。


 幸い、ディーボンから来た職人たちは覚えが早く、作業の殆どは任せられるようになった。じきに、ベイオの手を離れるだろう。

 既に彼らは、人を載せる専用車や、牛や馬に引かせる牛車や馬車を独自に作り出している。イロンの旋盤の操作にも慣れ、車軸や軸受などの重要な部品も自力で作れるようになりつつある。


「それに、動けるようになっても、僕は戦力にならないでしょうし」

 拾い集めた武器を洞窟に隠すとき、剣を手に取ってみた。本物を触ったのは、前世も含めて初めてだが、重く禍々しい感じがした。

 人を殺すためだけに作られたものだから、当然だ。


 ……あんなもの、手にするのは嫌だ。アルムにも触れてほしくない。


「よかろう、ベイオ。しばしの別れじゃな。戦が一段落したら、また会おう」

 老師も強要する気はさらさらなかった。


「では、私も参りましょう」

 そこで声を上げたのがゾエンだった。


「占領地には様々な問題が起こるでしょう。代官などの官吏は逃げ去ってるはずですから」

 ディーボン国が攻め入った軍事拠点は、ほとんど全てもぬけの殻だった。遺された大量の装備や糧食を見て、どうやって運んだらいいか悩む始末だ。

 そのため、ベイオの荷車は完成したそばから送り出され、すでに大活躍している。


 破竹の勢いで快進撃のディーボン軍。なんと、開戦からまだ十日だというのに、例の強風が吹きすさぶ峠にまで到達しているのだ。

 ここを通れば、都へはまっすぐ北上するだけだ。

 当然、峠には麗国軍が布陣し、迎撃するはず。だからこその、老師への同行依頼だ。


 そうなると、治める者がいなくなった多くの村や町が占領地に取り残される。治安は悪化するし、食料などを徴発すれば占領軍との軋轢も生じる。


 ゾエンが心配したのは、ディーボン側には麗国の貧しさが伝わっていないことだ。米などの生産方法からして異なるらしく、同じ面積の田畑でも収穫量が倍近く違う。そのため、自国と同じつもりで徴発などすれば、たちまち民草は飢えることになる。


 農民の蜂起は恐ろしい。中つ国でも、幾多の王朝がそれで滅びている。戦乱の中でそれが起これば、どうなることか。


「うむ、そちらは任せる。ディーボン側にも協力を要請しよう」

 ゾエンの危惧することは、老師も見抜いていた。実務に長けたゾエンが適役だ。


「……わたくしも参ります」


 ファランの言葉に、今度は老師も含めて全員が息を飲んだ。


「わたくしたちを見捨てたのは、朝廷であって国そのものではありません。今、苦しんでいる民草には、何の咎もないのです」

 それが、考え抜いた末での、先ほどの老師の言葉に対する彼女の答えだ。


「王家の一人として活かされて来たわたくしには、民草のためにすべき責務があるはずです」

 自らの気持ちを確かめつつ、彼女は言葉にした。


 ……西洋風に言えばノブレス・オブリージュ、だったかな。


 それは、ベイオがなんとなく感じていた、この国の違和感だ。


 前世の日本では、まさしく天皇陛下がその体現者だった。災害が起るたびに現地を訪れ、被災者を慰め励ます。幼いころからそうした姿を見ていたから、偉い人とはそうなのだと思っていた。


 しかし、この国では違う。違いすぎる。

 未だにベイオは、国王の名前すら知らない。過去にどんな業績があったのか老師に聞いても、困った顔をするくらいだ。


 国のため、民のために何かをするのが国王の役目ではない。ただ崇められるためだけの存在。

 人徳があるものが国や地方を治める徳治政治。それを謳った呪教が形骸化した結果、上に立つ者は無条件に高い徳を持つとされた。


 無意識に、ファランもそう思っていた。王家の教育どおりに。

 しかし、老師は度々、その考えに疑念を刺しこんできた。それは彼女の中で魚の小骨のようにチクチクと痛んだが、理解できずにいた。


 ……でも、ベイオ。わたくしはあなたに出会った。そして、知ってしまったの。


 母の苦労を減らすために作った手桶を、わずかな食糧や道具と引き換えに村中に与えた彼。その食料なども、手桶や荷車を作ったり、それでものを運んでくれる者たちに与えてしまう。

 自分の利益のためではなく、みんなの幸せのために働く者がここにいる。


 本当にこの国を救えるのは、彼しかいない。

 その彼のために、いや、その願いのために、自分にできることは何なのか。

 そう考えぬいた結論だった。


 それがやがてこの国に、「小さな姫君」の伝説を生む。

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