第39話 出立

 時間は少しばかり遡る。

 ブソンの陥落に怯え、ベイオ達のもとから失禁しつつ逃げ出したバク・ホン水使が、さらに敵前逃亡を繰り返し、都にたどり着いたのだ。

 丁度、ベイオたちが熊侍ガフと目通りが叶った頃である。


 バク・ホンの「外敵来襲」の報告は、朝廷に大きな衝撃をもたらした。ただちに軍のトップと大臣たちが国王に謁見を願ったが、国王は「機嫌が悪く」叶わなかった。


 国難の一大事に、これである。


 仕方なく、一同は国王抜きで会議をするしかなかった。その結果、数名の指揮官が任命されたが、全員、文官であった。なぜならば、武官より文官の方が位が上だからである。

 武を軽んじ続けたら結果の、手痛いしっぺ返しであった。


 早速、新たに兵が召集された。しかし、登録されていたのは書生や官吏ばかりで、皆、辞退する始末。

 結局、一兵も伴わず将軍(にされた文官)ばかりが前線に出立するという、乾いた笑いしか出ないような事態となった。

 兵士はもちろん、現地調達である。


 ちなみに、この国難をいち早く伝えたバク・ホンは、その日の内に斬首となった。さすがに、逃げ込んだ拠点全てに片端から火を放ち、一人だけ逃げ出す事を繰り返して来たので、言い逃れはできなかった。

 しかし、逃げたのは彼一人ではない。この戦の序盤戦では、ほぼすべての麗国の武人が戦わずに逃げ出している。律儀に裁きを与えていれば、国の半数の武人は死滅するだろう。


 とりもなおさず、麗国の戦時体制は立ち上げられた。聞いたこともないような臨時の肩書きを与えられた、剣すら取ったことのない文官ばかりであるが。

 言い換えると、軍事について全く無知だからこそ、「何とかなる」と幻想を持って死地に赴くことができたのかもしれない。


 その彼らは、三日後に迎撃予定の地点にたどり着いた。早速、周囲の町や村から兵士を「徴発」し、訓練を開始した。

 教えるのは、流石に現地の武官たちだ。

 高位の文官の目の前では、彼らとて逃げるわけにいかない。甚だ情けない理由ではあるが、文官将軍の存在価値はゼロでは無さそうだ。


 限りなくゼロに近くとも。


* * *


 翌朝、ギモトの隊がブソンを出立していった。

 ブソン港に上陸した第二陣を率いて、内陸の要衝デグに布陣する、熊侍ガフが指揮する第一陣に合流するためだ。

 老師、ゾエン、ファランが、進撃するディーボン軍に同行する。


 そして意外にも、ジュルムはファランの護衛を買って出た。


「ペイオの大事な人だから、俺が守る」

 理由を聞かれてそう答えたジュルム。友情パワー炸裂な言葉に、ベイオもファランも、思わず胸が熱くなってしまった。


 ……だが、真意は異なる。

 実は、ベイオとファランがくっつけば、アルムが自分になびくかも、なんて考えてるのだった。

 しかし、さすがにこれは言えない。


 ちなみに、「爺や」はなにも言わなかった。幼い主であるジュルムが、自分の意志で進む道を決めたのだから。


 見送るのは、今暫くこの地に留まる者たち。

 ベイオと母、アルム父子、イロン、ボムジン、ヨンギョンだ。


 ベイオが作った特製の人力車に乗り、ファラン達は軍の後ろからついて行く。車を引くのは「爺や」で、ジュルムは傍らを油断なく見張っていた。


「ベイオ、都でお待ちしております」

 ファランはそう言い残して出立していった。


* * *


「イロン、旋盤をもう一つ作れる?」


 ベイオの言葉に、鍛冶師は黒い顎鬚をしごきながらうなずいた。


「そりゃ、出来るさ。時間と道具と材料があればな」


 荷車の量産は軌道に乗りつつある。問題は、イロンの旋盤がフル稼働なことだ。既にディーボンの職人たちが使いこなしていて、車軸も軸受も彼らだけで作れるようになった。

 約束の百台はもうじき達成できるし、その後も続々作られるだろう。

 つまり、もうベイオがブソンに留まる必要はないのだ。


 しかし、イロンの旋盤を彼らに与えてしまって良いものか。持ち主が拒否すれば、そうはいかない。


「旋盤の刃の方は、予備を作ってある。どの道、消耗品だからな。しばらく優先的に使わせてもらえば、二台目の旋盤用の部品も作れるぜ」

 旋盤の回転軸や軸受なども、当然だが旋盤があった方が作りやすい。それさえあれば、二台目の作成はすぐにできるはずだ。

 イロンは三日あれば部品を用意できる、と言った。


 つまり、今の一台目はくれてやっても良い、ということだ。


「なあ、ベイオ。ここを出るのは良いけど、どこへ向かうんだ?」

 ヨンギョンが何を言わんとしているのか、聞くまでもなかった。出来れば、元の村に戻りたいのだろう。

 愛しいミンジャのもとへと。


「うん。戦場に向かっても、僕にできることはないからね」


 アルム父やボムジンなら、兵士として十分戦えるだろう。しかし、そんな血なまぐさいことをさせたくない。

 アルムについては論外だ。

 自分がやりたいのは、この国の工業化、近代化だ。国王が誰になろうと、どうでもいい。

 だったら、落ち着いてモノ作りに専念できる場所が欲しい。


「村に帰ろう」

 そう言って、ベイオは母親を見上げた。エンジャは微笑んでいた。


 村に水車小屋を作って、灌漑をやってみよう。沢山、作物を作って、秋の収穫祭には新しい山車も出そう。

 戦争はこの国を貧しくする。だったら、生産力を上げるしかない。まずは、故郷のあの村からだ。


「ベイオが生まれ育った村か。ちょっと見てみたいな」

 イロンにも異論はない。

 筋肉兄弟のボムジンも、「腹いっぱい食えりゃ文句ない」とうなずいた。


 三日後。ベイオたちはブソンを後にした。


* * *


「裏切者!」


 群衆の中から叫び声とともに投げられた石が、ファランの顔に飛ぶ。

 しかし、直前でジュルムがこれを叩き落とした。


 ブソン港のすぐ北にあるドネン城。序盤戦で唯一、激しい攻防戦のあった場所だ。それだけに、家族を殺されたものも多い。

 仇であるディーボン軍に付き従う麗国の貴人がいれば、裏切り者と映るのは当然だろう。


「車を止めて」

 そう言って、ファランは人力車の上に立ちあがった。


「わたくしはジェ・ファラン。現国王リウ・ギウンの姪です」

 凛とした声が響くと、騒ぎはすぐに収まった。王族の者が民衆に呼びかけることなど、あり得ないことだったからだ。


「わたくしがここにいるのは、伯父である国王が、わたくしの大切な者に理不尽な死罪を命じたからです。その者を助けることで、わたくしは追われる身となりました」

 そう言って、傍らのゾエンの方を向いた。

 民衆の注目が自分に集まると、ゾエンは語り出した。


「私はリウ・ゾエン。現国王から監察使の役目を賜っていた」

 ざわつく民衆。監察使の位の高さは、広く知られていた。


「ドネンの民よ。ここで起こった惨たらしい戦の事は聞き及んでいる。家族を殺され、恨みに思うのは当然だろう」

 そこで、ゾエンは声を張り上げた。


「だが、真に恨むべき相手は誰であるか? この城を護るべき将軍は、いち早く逃げ去った。後に残って闘ったのは、文官であるゾン・ゾゲン。こちらにいる大賢者、シェン・ロン師の一番弟子である」

 禿頭で長く白い顎鬚の老師がうなずく。


「私は監察使として、ファラン姫の見た夢のお告げを伝えるため、国王に面会した。夢の内容は、この国に降りかかる災厄であった」

 再び、民衆の注目はファランに戻る。


「にもかかわらず、国王は私の諫言かんげんを謀反であると決めつけ、死刑宣告をした。危ういところを、駆け付けたファラン姫と老師に救われ、今に至る」

 実際には、ベイオの水車が発端であるが、この場にいない者の話をしても意味はない。


「その国王が任じた将軍は、あなた方を見捨てて逃げ去った。彼だけではない。至る所で、この国の将軍は卑怯にも敵前逃亡を繰り返している」

 これは、民衆もうすうす気づいていた。戦の噂は聞くものの、麗国側の勝利どころか、ディーボン側の被害すら聞こえてこないのだ。


「ディーボン国は、我が国を侵略しに来たのではない。中つ国の攻略こそが、彼らの目的だ。しかし、国王は中つ国に忠誠を誓うあまり、自らの国民のことを省みようとしない!」

 我ながら過激な物言いだ。そう思いながらも、ゾエンは続けた。


「断言しよう。ファラン姫がお告げを受けた災厄とは、国王を中心とする官僚の腐敗であると! 民の暮らしを良くすることではなく、おのれの地位にしがみつくことを第一としてきたことだと!」


 ……ああ、これで俺は紛れもなく反逆者だな。


 はっきりと自覚しながらも、彼は語り続けるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る