第40話 帰郷

 村を出たのは四月の下旬。


 ……あれからまだ、ひと月も経っていないなんて。


 もう一生分です、お腹いっぱい。

 そう言いたくなるほど、あれから色々なことがあった。


「ここがお前の生まれた村か」

 イロンの目には、ごく普通の農村にしか見えなかった。いや、まさにそうなのだが。

 それでも、ベイオの作った荷車は日常的に使われていた。村人の暮らしは、戦時下とはいえ変わりがないように見える。


 しかし、代官屋敷は焼け落ちていた。代官が逃げるときに火を放ったのだ。はなれの方は焼け残っていて、女官たちで年嵩としかさのイスルが残っていた。

 他の女官たちは、代官と共に都に逃げ帰ったという。


「……そんな、ファラン姫が」

 イスルにファランのことを話すと、彼女は姫を追いかけて出立した。


 残念ながら、ベイオの作業小屋は焼かれてしまっていた。やらせたのは代官だろう。逆恨みにもほどがある。


「良かった、これさえ残っていれば」

 焼け跡の隅に、ベイオは平たい石が残っているのを見つけた。手で灰を拭い、しがみつく。

 メートル原器と三角関数表だ。他にも、石で作った重りのセットも出て来た。


「単位の基準が無くなると、今まで作ったものとの互換性が無くなるからね」

 そんなベイオの話に着いて来れるのは、イロンだけだが。


 イロンはボムジンの家に泊まることになった。ベイオと母、アルム父子はそれぞれの家に戻り、まずは旅の疲れを癒すことにした。

 ヨンギョンがどこに向かったかは、言うだけ野暮なことだろう。


 たったひと月足らず家を空けただけなのに、戻ってみると懐かしさがこみあげて来た。

 ベイオを助けるというファラン姫たちに急き立てられ、母親が出た時のまま、編みかけの籠などが転がったまま。


「ベイオや。こっちにおいで」

 埃っぽくなった寝台の上に座ると、エンジャは息子を呼び寄せた。


「どうしたの、お母さん?」

 隣に座ったベイオは、母に抱き寄せられた。


「こうして、この家でお前とまた過ごせるなんて……本当に良かった」


 涙声でそう言いながら、エンジャは息子の頭を撫でた。


 ……そうだ、帰ってきたんだ。


 帰って来た。

 しかし、まだ事は済んでいない。始まったばかりなのだ。

 産業革命という名の革命。そして、ゾエンが始めた革命が。


* * *


 翌日から、新しい作業場所の建築に入った。ボムジンやイロン、アルム父の助力で、前より大きい工房を作るのだ。水車ももっと大きなものにして、新しく作る金属用旋盤も水車動力にする。


「水車で工作機械を動かすって発想は、流石になかったぜ」

 イロンは感銘を受けたようだ。

 当然ながら、水車は川のそばでないと使えない。しかし、大抵の職人は町の中に工房を作る。そのため、工作機械はどれも人力だ。


「イロンの旋盤、足踏み式だったよね。あれも凄いんだけど、水車動力なら勝手に回ってくれるから、刃先の操作に専念できるよ」


 ベイオにしてみれば、前世で扱った電動工具の方がなじみがある。


「今度は水車も大きくなるから、複数の機械を同時に動かせるしね」


 特に、ベイオが山車を動かすのに使った「操り車カム」を使えば、かなり複雑な加工も半自動化できた。

 ネジもそうだが、何より欲しかったもの。ドリルの刃だ。


 穴をこじ開ける錐と違って、螺旋らせん状に刃がついたドリルなら、より少ない力で手早く穴を開けられる。これを取り付ければ、穴あけ機はまさしくボール盤となる。


 そして、全くの新規に作る工作機械は、動力かんなだ。

 手に持つ鉋のように、平らな刃を板の上に滑らせて削るのではなく、回転する円筒の周囲に刃を付けたもの。

 この刃だけは、ベイオにも作れなかった。しかし、イロンならできる。


「いいぜ。材料なら、これがあるしな」


 洞窟から回収した剣だ。ドリルの刃にも使う。


「もう一つ。工房ができたら量産したいものがあるんだ」


 ブソンでディーボン人が荷車に樽を乗せているのを見て思い付いた。

 彼らが使っていたのは、ベイオが作ったのと同じ、まっすぐの細い板材にたがをはめた樽だ。

 彼らは重い樽を斜めに倒して、回しながら載せていた。しかし、かなりの重労働だ。


「ああ、だから洋樽って真ん中が膨らんでるのか」


 ビールなどを入れる洋樽は、蓋がキッチリとはめられているから、真横にしても中身がこぼれない。そして、中央部が膨らんでいて接地面が少ないため、簡単に転がせる上に方向も変えやすい。


 作るのは簡単だが、竹や木の皮などのたがでは分厚くなってしまう。鉄ならば薄くても丈夫だから、転がすときに邪魔にならない。


 やはり、鉄は偉大だった。


 問題は材料だ。樽一つに使う鉄の量は少ないが、何百何千と作らないと意味がない。

 そして、この国における鉄の生産量は微々たるもの。安く大量に作る樽に使うだけの量はない。


 イロンといろいろ話したが、鉄が大量に手に入るまでは試作品だけでお蔵入りとなりそうだった。


 一方、揚水用の水車小屋と畑を結ぶ用水路は、既に村人たちが掘り始めていた。去年の夏の間、細々だが荷車で水をまいた場所が豊作だったので、率先してやってくれているのだ。

 農繁期でもあり、少しずつではあるが。


 ……でも、高さの調整とか、後でやることになるな。


 現場監督までやる余裕は、流石にベイオになかった。

 ……のだが。


「馬がくるよ! たくさん!」

 アルムが叫んだ。今、馬で移動する者がいれば、間違いなくディーボン軍だ。


 村の広場に出てみると、馬に跨った武士が十騎ほどいた。

 そして、懐かしい声が響いた。

 獣人語で意味は分からないが、あの声は。


「熊のオッチャンが、ベイオを呼んでるだ」


 熊侍のガフ・スガセイに、間違いなかった。


* * *


「ここがお前の生まれた村か、普通の農村だな、と言ってるだ」


 アルムの通訳。イロンと言いガフと言い、誰もが同じことを言う。

 しかし、六歳児の語彙では伝わらない内容もある。かと言って、筆談はまだるっこしい。

 すると、ガフに付き従ってきた者の一人が名乗り出た。


「私はケイ・オシュン。通訳ができます」

 麗国では数少ない、ディーボン語の話せる官吏だった。先日の戦闘で捕虜になり、ガフの通訳をしているらしい。


 ガフには馬から降りてもらい、ベイオは徒歩で工房に案内した。


「これは素晴らしい、ディーボンでも見たことがない、と申してます」


 工房ではイロンがドリルの刃を旋盤で作っていた。金属を削るため、激しく火花が飛び散っている。

 その横ではヨンギュンが動力鉋で板材を削っていた。


 それらの機械を動かすのは、新しく作った水車だ。


「あの火花は何か、と申してます」

「ドリルの刃を削ってます。こういうものです」

 ベイオの指くらいの太さの鋼鉄棒に、螺旋状の深い溝が彫られている。


「ドリルとは何か、と」

「木材や金属に穴を開けます。これは木材用なので、こんな風に使います」

 傍らのボール盤にドリル刃をセットし、適当な木片を台に固定する。ペダルを踏むとドリルが回転し、木片に穴が穿たれた。


「刃が螺旋状なので、錐より簡単に穴があけられるんです。色々な太さの穴があけられるように、何本も作ってます」


 木片を手渡されて、ガフは穴を覗いた。綺麗に丸い穴があけられていた。


「それから、向こうの板材は、今度建てる水車小屋で使うんです」

 ヨンギョンが削っている板だ。伐採税を取り立てる代官が逃げてしまったので、ボムジンが山からどんどん切り出している。


 ベイオの説明に、ガフは興味をそそられていくばかりだった。


「その水車で何をするのか、と」

「川の水をくみ上げて、田畑に引きます。このあたりは、雨季が終ると日照りになる年が多いんです」


 ますます興味を持ったようだ。


「お前が用水路を掘るのか、と」

「いえ、村の人たちがやってくれてます。測量はもう済んでますし」

 ベイオは棚から紙を取り出した。高低差を測った結果を記録したものだ。縦方向だけを十倍に強調した折れ線グラフで表している。

 国王に謁見するときに持って行ったものだ。予備が道具箱に入ってたので、作業小屋と一緒に燃えずに済んだ。


「でも、村の人たちも農作業で忙しくて、なかなか進まなくて」


 すると、熊侍がニカッと笑った。


「それなら手伝おう。土木に詳しい者も連れてきている、と」

「え?」

 意外な申し出に、ベイオは仰天した。


「都を落としたから、お前も来い、と申してます」


 さすがにそれは、翻訳ミスじゃないかと思うベイオだった。

 何と言っても、まだ開戦から三週間しか経っていないのだから。

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