第41話 決戦

 時間は一週間ほど遡る。


 風の峠の西側に布陣した文官将軍。

 名はル・セイロン、宰相として国政を主導する立場であったが、戦時特例として軍を束ねる任に就いた。

 剣など取ったこともない文官ではあるが、この国では珍しく廉潔れんけつで清貧に甘んじる人物であり、人望は非常に高かった。

 そのため、下に付く武官も次第にやる気を見せており、麗国軍で初めて士気の高まりを見せていた。


 ……しかし、兵の訓練不足は否めんな。


 何しろ、昨日まで鍬をふるってた農民たちである。突然「徴発」で集められて剣や弓を持たされても、どうにも様にならない。あちらでは剣に振り回されて転ぶ者がおり、こちらでは弓を引いても矢が足元に落ちる者がいる。


 それでも、頭数だけは集まった。これまでは兵をかき集めるそばから逃亡される有様だったが、ここは違う。


 ……民も兵も、国の姿勢を良く見抜いておる。


 宰相自らが総大将として出てきたからこそ、なんとかこの軍は保っている。はじめは「兵なき将」と自嘲もしたが、僅か三日でここまで集まった。

 あとは、囲碁で鍛えた戦略眼と学んできた呪法が、実戦でどこまで通用するかだが……。


 敵軍以外にも、気になる情報があった。

 敵側に麗国の協力者がいる、というのだ。それも、極めて高位の者が。


 二週間ほど前、都を怪異な春雷が襲い、宮城が大混乱になった。その時、逃亡した死刑囚の一人が、なんと監察使だという。春雷を起こし助け出したのが、大賢者と呼ばれる老師。

 その監察使だったリウ・ゾエンと、老師シェン・ロン、さらに国王の姪を名乗る少女が、敵軍の占領下となった町や村を巡り、謀反を教唆していると言うのだ。


 既に、峠から向こうのケイサン道は敵の手に落ちた。このままでは人心も離れていく。


 ……この一戦、負けるわけにはいかぬ。


 そう、決意を新たにするセイロンであった。


* * *


 風の峠は、年間を通して強い風が吹く難所だ。峠の東側は、今日も正面からの風が吹き付けていた。


「ここで矢を射かけられたらたまらんな」


 主将の熊侍ガフがつぶやいた。追い風なら飛距離も伸び、威力も増す。

 麗国軍の装備の中で、一番充実しているのは弓矢だった。もちろん、射手次第ではあるが。


「老師の呪法に期待しましょう」

 副将のゾン・ギモトが答える。その言葉をケイ・オシュンが老師に通訳する。


 オシュンはここより手前の砦にいた外部公司の官吏で、ディーボン語が話せた。砦は兵が逃げ出してあっという間に落ちたので、取り残された彼は、何が何だかわからないうちに捕虜とされたのだった。


「まぁ、相手の指揮官次第じゃの」


 相変わらず、老師は飄々としていた。戦などどこ吹く風とでもいうように、風の峠に向かって佇む。


「しかし、麗国軍の将軍は文官だとか。なら、向こうも呪法を使うのでは?」

 意外と慎重なガフだ。

 ギモトも、初戦で激戦となったドネン砦を思い出した。あの指揮官も文官だった。終盤の乱戦で放たれた呪法は、確かに侮れなかった。


「かなりの使い手ではあるが、呪力はわしよりかなり劣る」

 老師の言いようは、聞きようによっては傲慢に聞こえる。しかし、口調は淡々としており、単に事実を指摘したまで、という口ぶりであった。


「おそらくその通りなのでしょうが、なぜそう言い切れるのですか?」

 ギモトの疑問に、老師は微笑んで返した。


「呪力は、研鑽をつんだ年数がものを言うのじゃよ。麗国軍の総大将が情報の通り宰相のユ・セイロンなら、わしのほうが二十年長い」


 ベイオとゾエンを救出した際、ジュルムに言った言葉。「学びて老いるは若さに勝る」とは、このことだった。

 ベイオも、呪法を工業に応用できないかと考えていた。電撃で発電する、と言ったような。しかし、強力な呪法を扱えるのは高齢に達してからで、大抵のものはそれまでに寿命を迎えてしまうと知って、断念したのだ。

 誰もが使える便利なもの。それこそが工業化の強みなのだから。


「ただし、奴の囲碁の腕は確かじゃ。わしも何度か苦杯をなめたからの」


 自分の力に溺れず、冷静に相手を評価する。これもまた、長年の研鑽で身に着けたものであった。


 そして、遂に決戦の時が迫る。


* * *


「……終わってみると、あっけない物じゃの」


 老師の感想はそっけなかったが、それでも麗国軍は善戦したと言える。


 序盤では予想通り雨のような矢が降り注ぎ、地の利も巧みに生かした麗国軍が優勢だった。本陣は老師の防御結界で矢が届くこともないが、流石に突出して切り込もうという部隊に追随することは出来ない。


 攻めあぐねていたディーボン軍であったが、突如、風が変わった。

 文字通りの意味で。

 風の峠も、春と秋には一時、風の止む瞬間があるのだ。


 このチャンスを活かして、騎馬隊と俊足の獣人兵が引く荷車が突進する。

 騎馬隊はそのまま敵陣に突入して暴れまわり、反撃される前にさっと引く。その間に荷車から降りた鉄砲隊が陣形を敷き、射程距離に納めた敵兵を狙い討つ。


 鉄砲の轟音で、麗国兵は雪崩を打って潰走し、ガフは部隊を率いて追撃戦に入った。


 しかし、これは巧妙な罠だった。


 峠の出口には左右に伏兵が潜んでいたのだ。追い風が無くても大量の矢が降り注げばかわしきれない。


「待たせたの、ガフ殿!」


 そこに背後から到着したのは、獣人の引く車に乗った老師だった。防御結界が部隊を覆い、矢を弾く。


「やはり貴方か! シェン・ロン!」


 麗国の本陣から指揮を執っていた大将、セイロンが叫んだ。その手にした笏から炎の矢が放たれる。


「お主も変わりないようで、何よりじゃ」


 呑気につぶやく老師のはるか手前で、炎の矢は防御結界に弾かれる。

 その間も騎馬と獣人の部隊は暴れまわり、麗国の軍は潰走した。作戦ではなく、本当の意味で。


 最後まで老師を睨みつけながら、セイロンは輿に乗って敗走していった。


 あとに残るのは、麗国兵の死屍累々。おそらく、近郊の町村から募られた下民たちだろう。


 ……また姫さまが心を痛め、ゾエンが喉を傷めるのう。


 戦の後始末が彼らの役目だった。姫が民を労わり、ゾエンが熱弁を振るう。

 そして、老師の残った呪力も、戦傷者の治療に費やされる。


 ……早いところ戦が終わってくれないと、身が持たんな。


 当分の間、隠居などする暇もないようだ。


* * *


 敗走するユ・セイロンは、彼我の戦力差に戦慄していた。


 ……まさか、これほどまでとは。


 準備不足が悔やまれる。もし、正規兵が揃っていたら。もし、あと一カ月訓練期間があったら。もし……もし……。


 もちろん、戦の後に仮定の話をしても意味がない。そんなことより、今後の索を練らなければならない。


 副将たちを呼び寄せ、残りの兵を率いて可能な限り敵の足止めをしろ、と命じる。そして輿から馬に乗り換え、都へと急いだ。


 王に直訴するために。


* * *


 ガフの部隊は周囲の町村を偵察し、伏兵がいないことを確認して休みを取った。そして翌朝早く、都を目指して行軍を開始する。


 途中、何度も麗国軍の残党が奇襲を仕掛けたが、鼻の利く獣人兵にことごとく察知され、撃退された。

 それでも足止めにはなったので、都に到着したのは敗走したユ・セイロンに遅れること二日だった。


「はて。ギモト殿、この部隊が第一陣と聞いておったがの」

 目を細めて都を眺める老師が、疑問を投げかけた。


「はい、そのとおりです。わが軍より先に進んだ部隊はないはずです」

 そう語るギモトも、戸惑いを隠せない。


「では、あの立ち昇るいくつもの火の手は、何なのじゃろうか?」

 相変わらず呑気な口調ではあるが、細めた目の光は強い。


「宮城が燃えている……」


 ファラン姫もショックを受けていた。煙が上がっているところは、彼女が生まれ育った宮城と離宮だ。

 都に残して来た両親や女官のことが気になっていた彼女だが、こうなると生死すら危ぶまれる。


 その日のうちに、ガフの率いるディーボン軍第一陣は都に入った。

 攻め落としたというより、ただ入っただけだ。矢の一本も飛んでくることなく、開戦から僅か三週間で、麗国の都は落ちた。


 そして、都の住民が口々に叫ぶ声に、ゾエンも衝撃を受けた。


 国王が都を捨てて逃げたというのだ。

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