第42話 インフラ

 熊侍ガフがベイオを迎えに来た翌日。

 母エイジャに見送られて、ベイオは村を出た。アルム父が引く人力車に、アルムと一緒に乗り込んで。


 何度もアルムには村に残るように言ったのだが、彼女は絶対について行くと言い張った。前回の上京でベイオが死刑にされかかったのを気にしているのだ。

 そして、アルム父が護衛を申し出たので、断る理由も無くなってしまった。


 やがて一行は街道に出た。ベイオが驚いたことに、ディーボン軍は街道の整備を進めていたのだ。

 麗国がさんざん放置してきた、インフラ整備だ。


「荷車を活用するには、これからの雨季で道がぬかるんでは困るからな、と申しております」

 ベイオの問いかけに、ガフは通訳を介して答えた。


「戦をしに来たのか、道路作りに来たのかわからないね」

「そもそも、中つ国に行くのが目的だからな、と」

 確かに、その通りである。


 そして、戦は長期化の様相を示し始めていた。


* * *


 ディーボン側としては、都を落とせば国王は降伏するに違いないと考えていた。そうなれば、あとは一気に中つ国との国境を目指すだけだ。


 ところが、国王は決戦での敗北を聞くと、都を捨てて逃げ出してしまった。その姿を目撃した都の住民は嘆き悲しみ、やがて怒り狂った。

 怒りは、ただひたすら国王と寵臣たちに向かった。日頃、自分たちを思うがまま支配してきたのに、いざとなると真っ先に逃げ出す。


 何が人徳だ、何が位だ。

 だから、この怒りこそが正義だと、炎のように燃え上がった挙句。

 主のいなくなった宮城や離宮、貴族や上級官吏の屋敷を暴徒が襲い、略奪と破壊を行い、火を放ったのだ。


 ガフ達が戸惑ったのは、その民衆の態度だ。敵対するどころかやけに友好的で、伏兵を懸念して宮城などに入らずにいた彼らにその門を開いて招き入れ、さらには食料や酒まで持ち寄ってもてなそうとするのだ。


「……何か必要なものはないか、と申しております……」

 通訳しているケイ・オシュンも、声が震えている。


 そこで名乗りを上げたファラン姫は、まさに民衆から歓呼で迎えられ、ゾエンの熱弁は彼らを熱狂させたのだった。


「これが、この国の天下泰平の正体じゃの」

 しみじみとつぶやく老師だった。


 人も土地も物資も、全ては国王の所有物。では、持ち主がそれらを捨てたらどうなる? 奴隷ですら、持ち主には養う義務があるというのに。


 ……肝に銘じるしかないの、姫さま。


 民衆に聖女のごとき慈愛の笑みをむける愛弟子が、その内心ではおののいていることを、師は見抜いていた。


 ……この人たちが憐れだわ。この人たちが恐ろしい。


 ファランは微笑みを絶やさないようにしながら、ジュルムの「爺や」が引く人力車の上から群衆を見渡していた。

 ファランとしては、絶望の中にいる人たちを励まし、慰めたかった。しかし、この群衆は今までの町村の住民とは違っていた。


 将軍や地方の官吏が逃げたとしても、まだ国がある。国王様なら何とかしてくれる。

 まだそうした淡い希望があるからこそ、「絶望」に浸る余裕があるのだ。


 しかし、目の前でその国王が逃げ出したのだ。国民を見捨てて。

 もはや絶望すら許されない。純粋な怒りだけが、彼らを支配している。自分たちや占領軍に向けられる好意は、その裏返しでしかない。


 ……彼らの心を満たすことができなければ、一体どうなるのかしら。


 外見は幼いながらも、彼女の心は急速に成長していた。師から学んだ知識が猛烈な勢いで、彼女の中で芽吹いている。


 一方、ゾエンは群衆の歓呼の声に応える熱い言葉を叫びつつも、心中では冷静に事態を把握していた。


 ……このまま、ディーボン国を後ろ盾にして新たな王朝を築くのはたやすい。しかし、それだけでは何も変わらない。


 中つ国とディーボン国が入れ替わっただけ。属国でしかない、この国の本質は変わらない。

 しかも、地理的に外敵を防ぐ位置にある中つ国に対し、ディーボンは背後。しかも、海を隔てている。


 大陸から外敵が攻めて来れば、矢面に立たされるのはこの国だ。


 では、この国を根底から変えていけるものは何か?

 それこそが、ベイオの言う、「工業化」だろう。この国が豊かになり強くなれば、全てが変わる。ディーボンとも対等な同盟を組むことができる。


 そのベイオを、熊侍ガフが自ら迎えに行くという。


 ……ベイオ。早くお前に会いたいものだ。


 実を言えば、その母親エイジャにも。


* * *


 旅の途中で、一人のディーボン人の職人がベイオたちに加わった。


「俺はゾヌミガ・ラキア。よろしくな」


 ありがたいことに、彼は麗国語が堪能だった。


「よろしくお願いします」


 ベイオも挨拶した。アルムもしたが、獣人語だった。


 そう、ラキアの髪からはアルムのような耳が立っていた。獣人語はどちらの国でも同じなので、麗国語を覚えるのに役立ったらしい。


「獣人の職人って、向こうでは多いんですか?」

「まぁな。いくらなんでも、四六時中戦争やってるわけじゃないからよ」


 戦国時代とはいっても、戦のない時期は結構ある。戦争は生産の敵だ。


「でだ。お前さんの作ろうとしている水車小屋、図面があれば見せてほしいんだが」


 二つ返事で、ベイオは設計図を渡した。

 基本の技術は広めてこそ価値がある。秘匿するのは、競争する相手ができてからでいい。


「ほう、こりゃまた詳しいが……この数字についている『めえとる』ってのは何だ?」

「えーと、僕が作った長さの単位です。西の方の国の言葉で、『測る』という意味だったかな?」


 しばらく、麗国の度量衡に関する話に花が咲いた。

 退屈したアルムは、時々獣人語でラキアに話しかけ、彼も手短だが笑顔で答えていた。


「ベイオ! このオッチャン、子供が六人もいるんだって!」

「へぇ、凄いね」

「奥さんはヒト族で、子供はヒトと獣人が半々なんだって!」

「可愛いだろうね」

「うん! だからベイオともたくさん作るだ!」


 話が妙な方向に進み、ラキアは腹を抱えて笑い転げた。


 旅の間、ラキアは熱心にベイオと技術のことを語り合い、水車小屋の設計図を丹念に写し取る。

 そして、都を目前にして、彼はベイオに別れを告げた。


「一緒に都に行かないの?」

 ちょっと寂しいベイオだった。

 イロン以外で二人目の、技術の分る友人なのだから。


「ああ。任せとけ。この水車小屋、この国中に作ってやるから!」

「え?」


 ベイオは驚いたが、ディーボンとて慈善事業でやるわけではない。

 国王が都から逃げたのは、中つ国に救援を求めるためだ。そうなれば戦は長期化し、糧食が不足する。

 実際、前世の日本が文禄の役で撤退したのは、戦が長引いて冬を越したため、食糧不足に陥ったのが最大の理由だ。


 ならば、今のうちにこの国のインフラを整備し、生産力を上げるしかない。

 ゾン・ギモトが老師のアドバイスでガフに具申し、熊侍は参謀の意見を採用した。

 猛将の誉れ高いガフ・スガセイだが、実は各地に名城を築いてきた実績もある。農閑期には農民を灌漑工事に雇い、充分な賃金も払うという、今で言うところの公共事業も行っていた。

 老師がかつて言ったように、戦国を生き抜くために強い国づくりをしてきたのが、この熊侍なのだ。


 ……ファランが見た、国を食い殺す獣って、やっぱりディーボンじゃなさそうだな。


 自分が夢見たこの国の発展に、誰よりも貢献してくれているのだから。


 ……ファラン、老師、ジュルム。今頃、どうしてるかな?


 都で自分を待っているはずの仲間たちのことを思う。

 ついでに、ちょっとばかりゾエンのことも。

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