第104話 呪力VS馬力
馬と獣人。馬は獣だが、獣人は人だ。
だから、ベイオにとってのアルムは可愛い妹なのだ。どんなに可愛くても、犬猫とは違う。妹なのだ。なのだったら。
「まあ待て。同じというのは、出す力と疲労の蓄積のことじゃ」
老師の言葉は一見当たり前だが、ベイオの体験した事とは食い違う。
「でも、ジュルムたちは一晩中、全力疾走してたし……」
ファランがセイロンの死でハンストに入ってしまったとき、ジュルムはベイオのところまでひた走った。帰りはジーヤの引く車に乗ったが、アルム父の馬車は一日遅れだった。
「彼らは純血種じゃからの」
「アルムは」
「あの子も父親が純血種じゃ」
確かに。だから、ジュルムの「オレの嫁」宣言があったのだから。
「純血種と、ほとんどの混血で大きく違うのは、体内に呪門を持つかどうかじゃ」
宙に指で「呪力の門」と辰字を書いて見せる。
獣人が本来なら持つものだが、混血を繰り返すと失われるらしい。だから、アルムにはあり、ラキアにはない。
「呪力の源は、天を覆う龍脈と大地の地脈じゃ。ワシら呪法師は修行によって、獣人は生来の体の作りによって、その天地の循環の中から呪力を吸収し、おのが身に蓄える」
太陽光や風力で発電し、蓄電池に蓄えるようなものだ。
「じゃからの、獣人の体力が優れてるのは、蓄えた呪力で底上げされてるためじゃ。それが尽きたら、起き上がることもできなくなる」
「じゃあ、純血種の呪門ってのは?」
ベイオの問いかけに、シェン老師はペチンと禿頭を叩いた。
「わしも見たわけではないがのう。体が蓄えた呪力を使って、龍脈・地脈から呪力を引き出せる臓腑、と言われておる」
いくら研究のためとは言え、アルムたちが解剖されたら大変だ。
そんな方向に考えが進んだので、この時、気づいておくべき事を、ベイオは見落とした。
「そんなわけだから、普通の混血の獣人は、馬と同じように疲れるし、休まないといけないんだね」
「そうじゃ。その通り」
破顔してうなづく老師を見て、獣人飛脚を制定するときに、リレー式にすべきと言われた事を思い出す。疲れ知らずの獣人なら、ノンストップで百キロぐらい走れるかと思ったのだ。なら、馬よりも獣人の方が速いはずだと。
麗国内では馬は少なく、良い仕事を探す獣人は多かった。
「なに、お主の回りにけた外れが多くいたのじゃよ」
老師の言う通りだろう。
そう思いつつ、ベイオは本題に戻した。
「では、遊牧民に馬での伝令を頼むとして。問題は、彼らのほとんどは定住してない点ですね」
「そうじゃな。定住したら遊牧民ではないし、馬が必須でもなくなるからの」
常に移動するからこそ、馬が必須なのだ。だから、成人男性より馬の方が多い。
反面、町などに定住するジュルシェン族には、馬を飼っていないものもいるという。
「じゃから、伝令の中継所を町や村に作り、伝言が来たら狼煙などで周囲に伝えるのが良いじゃろ」
「何名も来たら?」
「内容によるのう。機密性が低ければ、写しをつくって持たせればよい。そういかないものは、先着順じゃな」
運び手が複数になれば、確実さが増す。早く着く可能性も高い。そして、代価としてもらえるものは、交易品として珍重される絹織物だ。移動する遊牧民は、全員が交易を行う商人でもある。
「ま、引く手あまたじゃよ」
シェン老師は楽観的だが、ギョレン老師はそうでもない。
「伝言の数は、その時々で差がある。少ないときが続けば、廃れてしまわないか?」
確かに、常に移動している彼らだ。同じ中継所でも、顔ぶれは変わっていくだろう。未経験者ばかりに囲まれた中継所は、自然消滅になりかねない。
「なに、用がなくても毎日、定期報告を出せば良いじゃろ」
シェン老師の言葉に、ギョレン老師は眉をひそめた。
「さすがにそれは、無駄が多すぎないか?」
もっともな疑念だが、シェン老師は真顔で答えた。
「考えようじゃよ。その土地の天気でも人の出入りでも、毎日情報を集めれば、役に立つものじゃ」
伝令の持つ紙に、中継所ごとに一行ずつ、簡潔に書き足していく。それが蓄積すれば、膨大な統計資料となる。絹を代金に、内陸部の詳細な情報が得られるわけだ。
「それでも連絡が途絶えたところは、敵に襲われた、ということじゃ」
つまり、ジュルムが助けに向かうべき所であり、ベイオが支援物資を送る所、と言う事になる。
この連絡網は、ジュルシェン族の居住域に広がった神経網とでも呼ぶべきものになるだろう。連絡が途絶えた中継所の周囲から、痛みに当たる警戒の情報が広がって行く。光通信よりは遅くても、翌日中にはジュルムやベイオのところまで伝わるはずだ。
ギョレン老師は、ジュルムのもとに向かう途中で、立ち寄る町や村ごとに中継所を設営していく手筈になった。
「で、問題はことが起きた時なんだけど。救援物資を誰が送り届けるか」
ベイオのもう一つの課題だ。
現地は治安が悪化しているはずだから、丸腰の救援隊を送り込んで略奪されたら堪らない。かと言って、治安維持も行える軍隊を送り込むとなると、見方によっては侵略と受け取られかねない。
前世でも問題になっていたように、PKOかPKFか、である。前者は平和維持「活動」、後者は「軍隊」だ。
「基本は軍隊じゃの」
暴徒が押し寄せたくらいで、物資を棄ておいて逃げ出すようでは困る。輸送中に襲われることもありうるのだ。
弓矢や槍のような目立つ武器は持たずとも、訓練された兵士らが運ぶべきだ。輸送部隊と呼ぶべきだろう。
「国境から最初の中継所までは国軍が護衛し、そこで伝令業務などで信頼できる遊牧民を傭兵に雇う。ジュルム配下の手勢と合流できるまでは、それじゃな」
顎鬚をしごきつつ、シェン老師がまとめた。
「ジュルムの手勢、か……まるで戦国武将だな」
まさか親友が、武田信玄や上杉謙信の仲間入りをするとは。
「ベイオ。お主、自分が何者か忘れとるな」
「……あ、そうだっけ」
相変わらず、皇帝という地位そのものへの自覚は無い。責務に対する自負はあるのだが。
無いものは仕方がないので、ベイオはずっと沈黙を守っているシスン元帥に尋ねた。
「輸送部隊とその護衛に、どれくらいの兵を出せますか?」
シスンは苦渋の顔で答えた。
「……今すぐであれば、それぞれ百卒長が五人ずつ。それが限界です」
百卒長が総勢二十人。二千人がこの国の兵力全てだ。
その半数を送り出すのだから、決して出し惜しみではない。新兵を鍛えるためにもベテランが必要なのだから。
護衛の方は早めに引き返せるはずだが、現地の状況次第ではわからない。輸送部隊となると、さらに遠くまで行くことになる。
「この戦い、呪力より馬力が頼みになるね……」
ほかならぬ大呪法師であるギョレンに向かって、ベイオはそうつぶやいた。
「まぁ、その通りですな。呪法では物量にかないませぬから」
かつて大陸一の呪法師と呼ばれたギョレンだが、あの龍門の一件で攻撃呪法を封じられている。しかし、それが無くても、呪法で物量の差そのものを覆すのは不可能だと、彼は知っているのだ。
二倍やそこらの兵力の差なら、呪法を駆使すれば覆せる。しかし、十倍の兵糧を蓄えている敵を飢えさせることは出来ない。
同様に、大量の物資輸送を呪法で支援する事は難しいし、物資そのものを無から作りだす呪法など存在しない。
地道に荷を運ぶ馬力に、呪力ではかなわないのだ。
しかし、彼の知恵は必ずや、ジュルムを支えてくれるはず。
重要な知識をギョレンから学んだベイオは、彼とジーヤをジュルムのもとへ送り出した。
それが、春先のこと。
ラキアたちに依頼した、東北部国境までの光通信が開通したのが初夏のころ。やがて、ギョレンからジュルムと合流できた、という第一報が入った。
そして夏に入り、ゾン・ギモトが切腹覚悟で密輸した蚕の繭が届いた頃に、ようやくジュルシェン族領の全域から情報が届くようになった。
それは、戦乱の知らせだった。
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