第105話 風雲児
寒風吹きすさぶ中、金黒縞の髪をなびかせ、少年は山間の草原を駆けていた。ようやく昇ってきた真冬の朝日が、東の山頂からその姿を照らす。
冬山を夜のうちに踏破し、微かに残る臭いを手がかりに、少年は後を追う。
……アイツが戦を始める前に、追い付かないと。
ジュルムが追う相手、ジュルシェン族の長であるナルイチ。全ての遊牧民を統一し、さらに中つ国を征服すると豪語した男だ。
従わぬものに容赦ないことは、コニンのいた集落を殲滅したことからもわかる。
大陸東部に広がる遊牧民は、ジュルシェン族以外にも複数ある。同じ部族内でも、コニンの所のようにナルイチの軍門に下っていない集落もある。
……コニンみたいな親をなくす子が、たくさんでる。
孤児の行く先は、どこの国だろうと同じだ。絶望か死か。二つにひとつ。
それを変えようとベイオが願い、ファランが孤児院を立ち上げた。ボムジンはコニンを引き取った。
しかし、彼らがどうにかできるのは、あの国の中だけだ。この草原に広がる遊牧民、コニンが生まれたこの場所で、これから起こる――いや、果てしなく繰り返される悲劇には、手を出すことができない。
だから、ここまで来た。だから、もっと先へ進む。
どうしたらいいかは、わからない。何ができるのかも、わからない。
わからなくても考える。考えながら走る。向かい風は身を切る冷たさだが、考えて熱くなった頭を冷やしてくれる。
答えのでないまま考え続け、走り続け、低い太陽が真南に達する頃、前方に櫓のある集落が見えてきた。
「止まれ! どこのガキだ!?」
櫓の上から響いた声は、この辺りで話されるヒト族の言葉だった。ジュルムには理解できないが、呼び掛けられたことはわかる。
立ち止まって櫓を見上げる。髪の上から耳が覗く獣人の男が、こちらを見下ろしていた。
「俺はジュルム。ナルイチを追ってきた」
獣人語でそう告げると、見下ろしてる男の両目が見開かれた。
「ナルイチだと……それは、首長様のことか?」
「そう名乗っていた」
ジュルムが答えると、男は懐から取り出した角笛を吹き鳴らした。
その音が響き渡ると、集落のあちこちから武器を手にした男たちが駆けつけて来た。その中の一人が獣人語で叫ぶ。
「敵襲か!?」
「違う! 首長様がおっしゃってた客人だ!」
櫓の上から指差す先には、腕組みしたジュルムが立っていた。背が低いから、集まった者たちの視界には入らなかったらしい。
ざっと見たところ、男たちは獣人が半数を越えているようだ。
「おま……いや、あなたがジュルム殿ですか?」
その一人、槍を構えた者が獣人語で話しかけてきたが、ジュルムが幼すぎるので、戸惑ってるようだ。
「そうだが、『殿』とかいらない。ジュルムでいい」
言葉遣いはやけに大人びてるが、これはジーヤ仕様だ。
それでもまだ、男たちは納得いかないようだ。
「無礼を承知で伺いますが……首長から、あなたも
男が言い終わらないうちに、青白い光が閃き、手にした槍は真っ二つになった。
「これでいいか?」
そう訪ねるジュルムの瞳は、金色の光が燃え上がっていた。
「……
そう呟くと、男はその場にひれ伏した。一瞬遅れて、他の者たちもひれ伏す。
さらに遅れて、櫓の上から転がり降りてきた見張りの男も加わる。まるでそれを待っていたかのように、槍を持っていた男が顔をあげ、ジュルムに向かって言った。
「ジュルシェン・ムダン。我らが虎の勇者よ」
「いや、俺はジュルム――」
「そのような幼名ではなく、今後はどうかジュルシェン・ムダンとお名乗り下さい」
どういうわけか、フルネームはジュルシェン・ムダンで決定らしい。ジュルシェン族の
ナルイチがジュルムの事を、何と言い広めていたのやら。自分をやり込めた相手をやたら高く評価するのは世の常だ。
……なんか面倒になってきた。
ちょうど、ジーヤが口うるさくなると、こんな感じだ。
「好きにしろ」
そう言い放つと、なぜか男たちの喝采を浴びた。
ひとしきり騒いで静まると、槍を持っていた男が名乗った。
「私はラガダイ。この集落の長を務めています」
「そうか」
「ムダン殿は、何を求めてこの地へ?」
「……『殿』は付けるな」
一瞬の間の後、ラガダイは問い直した。
「ムダン様は、何を求めてこの地へ?」
さらに面倒になって来た。
「……俺は弱いものを助けたくて、ここに来た」
「弱いもの、ですか?」
「そうだ。ベイオやファランが悲しむ」
唐突に出た名前に、ラガダイは怪訝な顔になった。
「その名前は、どなたですか?」
「俺の友達だ。ここから南の国の、皇帝と皇后だ」
すると、ラガダイの目が丸くなり、後ろを振り向いてヒト族の言葉で叫んだ。
「聞け! ムダン殿は、大麗帝国の皇帝陛下ご夫妻と知古であられる!」
「「「おおー!」」」
またもや、一同は歓声をあげた。
ナルイチ、何をやった。
……うざい
早いところ、先を急いだ方がよいだろう。
ジュルムが問う。
「それじゃラダガイ、教えてくれ。ナルイチはどこにいる?」
他の獣人が何人もいるので、ジュルムの鼻ではあとを追うのが難しくなっていた。集落の外を嗅ぎ回っていたら、臭いが消えてしまうだろう。
「首長はここから北西へ向かわれました」
「そうか。ありがとう」
一礼して、ジュルムは立ち去ろうとしたのたが。
「お待ち下さい。我らもお供します」
「しなくていい」
「いえ、是非とも」
見回すと、男たちのほとんどが期待に満ちた目でジュルムを見つめている。
「付いてきても、何も出ないぞ。俺は金も食糧も持っていない」
「我らが用意いたします」
「略奪はダメだ。弱いものを苦しめるやつは、俺が殺す」
「滅相もありません。ジュルシェン・ムダンの名のもとに、誰もが喜んで捧げるでしょう」
「それで飢える者が出たら、お前を殺す」
ジュルムの金色の瞳が燃え上がった。
身震いして、ラガダイは答えた。
「……肝に命じます」
ジュルムは他の者たちのに向かって言った。
「着いてくるのは獣人だけだ。この土地のヒト族の言葉はわからないから。それに、戦える男が皆出ていったら、ここの弱い者たちのを守るものがいなくなる」
ジュルムは集落の中を見回した。
遠巻きに物陰からこちらを見ているのは、女性や子供たちだろう。
「養うべき家族がいるものは残れ。独り身の者だけだ」
残ったのは、ほんの数名の獣人だけだった。その中にはラガダイもいた。
「お前、家族は?」
どう見ても、子供がいそうな年齢だが。
目を伏せて、彼は答えた。
「数年前に、流行り病で……」
「……そうか。悪かった」
「いえ、後顧の憂いなくお供できるのですから、これぞ天の配剤――」
ジュルムの瞳が、激しく燃え上がった。見据えた相手を焼き尽くすほどに。
「そんな天は、ぶっ殺してやる!」
だらん、と下げた両手の爪からは、青白い光の刃がほとばしり出ていた。
「弱い者たちはコニンだ。傷つけられた者に涙するのはファランだ。みんな、みんな大事に守られて、アルムのように笑ってなきゃいけないんだ!」
外見の幼さとは裏腹の、血を吐くように悲痛な激しい叫び。男たちは気圧され、辺りは水を打ったように静まり返った。
「それでも来る気のあるやつだけ、付いてこい」
翌朝。ジュルムはその集落を旅立った。
選ばれた獣人たちからの脱落は、一人もなかった。
* * *
ギョレンとジーヤは、ジュルムより十日ほど遅れてジュルシェン族の集落にたどり着いた。ジーヤの俊足で車を引いても、ギョレンの体調では速度を控えなければならなかった。
「止まれ! どこの者だ!?」
頭上、物見櫓からの声に、ギョレン老師は拡声の呪法の力を借りて答えた。
「我が名はジョ・レンギャ、
そうギョレン老師が名乗ると、見張りの男はやおら角笛を吹き鳴らした。たちまち、武器を手にした男たちが
「はてさて、ジュルムは何をしでかしたやら」
途方に暮れかけた老師だが、やがて皆が武器を地面に置いてひれ伏し始めたのには驚いた。
「偉大なるジュルシェン・ムダンのお師匠様を歓迎いたします」
何やら雲行きが怪しい。
その日は集落に泊まるように乞われ、宴となった。その席で通信の中継所の設置を要請したところ、快諾された。国境の山頂との光モールス符号を送受信する通信士の配備と、ここから先の集落へ馬での伝令を募ることが、その内容だった。
翌朝、ほぼ住民総出で見送られ、次の集落へと向かった。
「ジュルシェン・ムダンか。伝説の英雄扱いだな」
苦笑いするギョレン老師。遊牧民の伝承にも詳しいようだ。
「若も立派になられたものです」
真顔のジーヤ。
老師を乗せた車を引き、彼は草原をひた走る。
そしてさらに数日後。
彼らはジュルムの手勢に遭遇した。
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