第106話 ガラスと雷

 ギョレン老師とジーヤが出立して数日後。


 窓のない一室で、シェン・ロン老師と並んで座るベイオの目の前に、一人の男が引き出されて来た。

 目隠しをされ、呪法を封じるために猿ぐつわをかけられた姿は、ひどく憔悴しているように見える。しかし、手荒な扱いを受けた様子はない。


 去年の晩秋、セイロンを殺害したザンゲンは、ジュルムに捕縛されたのち、処刑されるはずだった。

 しかし、その時にベイオが下した裁きは、死罪ではなかった。


「ゴン・ザンゲン。お前を処刑しても、ル・セイロンの命は戻らない。ならば、せめてその命を、この国のために役立てるがよい」


 一見すると温情的な裁きに思える。しかし、本当のところは、ベイオが人の死に嫌気がさしていただけだ。実際、それ以来ずっと、ザンゲンは投獄されたままだった。


 ……ただの問題の先送りでしか無かったな。


 そのとき、ベイオの正面に立つゾエンの声が響いた。

「これより、ゴン・ザンゲンに対する強制執行を執り行う」


 気を引き締めて、ベイオは思いを戻した。


 ……これからは違う。これは大きな一歩、前進につながるはずなんだから。


* * *


 そもそもは、ジュルムを支援するための通信方法が発端だった。


 技術学校に設けられた彼専用の研究室の中で、ベイオは頭を抱えていた。


 ……光通信をもっと強化したいんだけど、ネックはガラスだよなぁ。


 彼が日野進として学んだ前世の工業技術は、決して全ての分野を網羅しているわけではなく、抜けは多い。最たるものは、化学工業の方面だ。建築業を目指していたので、機械工学や電気などにはまだ詳しい方だが、化学、特に原材料面には疎い。

 それが特に響いているのがガラスだ。


 ガラスそのものは、古くから中つ国や麗国にも伝わっていた。しかし、製造は困難だった。その理由は、原料の一つである炭酸塩の鉱床が、大陸の東側にはなかったからだ。代わりに植物の灰から抽出することは出来たが、極めて少量しか得られない。そのため、ガラスは宝石並みの希少品となっている。


 ガラスで容器を作れれば、光通信の光源に強い火力を使っても安全だ。それなら、太陽が出ていなくても遠くまで届く。

 今回は、国中にあるガラスをかき集めて、何とか東北部までの分は用意できた。だが、それ以外の通信員や機材は、ディーボンに近い南東のブソン港や、北西部の中つ国との国境までの間を結ぶ通信網から、引き抜かなければならなかった。

 それ以上は、人員も機材も足りない。何よりも、ガラスの増産が必要だ。


 しかし、無いものは仕方がない。

 工業高校で学んだ知識をひっくり返しても、ガラスの原料を化学的に生成する方法は出てこなかった。


 仕方がないので、出来ることからやるしかない。

 機械と電気の知識で出来ること、と言えば。


「発電機。出来るかな? うん、できるはず……」


 発電機の仕組みは単純だ。磁気の中で銅線を動かすだけで、電気は発生する。

 既に水力と風力は使いこなしている。回転力を電気に変える発電機があれば、これに電力が加わるのだ。


 これぞまさに工業化。


「でも、問題は磁石なんだよな」


 発電機には磁石が必要だ。天然に産出する磁石には、磁鉄鉱がある。方位磁石に使われているものだ。しかし、その磁力はそれほど強くないので、発電機には使えない。

 電気があれば、電磁石を使って鉄を磁化させることができる。しかし、電気を起こすには磁石がいる。

 ジレンマだ。


 いや、電池が作れれば磁石が無くても電気は起こせるが、またしても化学が苦手という弱点にぶつかってしまう。

 ……しかし。


「呪法を使えば!」


 十分に強い電力なら、ほんの一瞬だけでも流れれば磁化させるには十分だ。伝わっている呪法には、長時間一定の電流を流すものはないが、瞬間的な大電力、雷を発するものならある。

 まさしく、「電撃」の呪法がそれだ。


 こうした経緯から、ザンゲンへの刑罰は、呪法の強制徴用となった。


 それにはまず、磁化装置の開発だ。

 必要なのは電磁石。銅線を巻いたコイルだ。銅の鉱山は国内にあるが、採掘や精錬の技術力が不足していて、なによりファラン銅貨と需要がバッティングしてしまう。

 結局、布を輸出した代価として、ディーボンから仕入れることになった。こればかりは仕方がない。

 銅線の製造はイロンの鍛冶職人仲間が技術を提供してくれた。これに特別薄くいた紙を巻きつけ、被覆線を作る。これをさらに木製の筒に巻き付けて、コイルの完成だ。


* * *


 今、ザンゲンの前に置かれているのが、その磁化装置だ。

 猿ぐつわは外されたが、目隠しはそのままで、両手を磁化装置につながる電極板に縛り付けられた。


「では、呪法を」

 ゾエンに促され、ザンゲンは呪文を唱え始めた。

「……電撃!」

 バチッと音が成り、電極板と磁化装置の間を繋いでいた金属線が融け落ちた。これが代わりに焼け切れることで、磁化装置のコイルが破損せずに済む。ヒューズと同じ仕組みだ。


 文官の一人が、磁化装置のコイルから鉄芯を抜き取り、恭しくベイオの前へ置いた。

 ベイオは高鳴る気持ちを抑えて、鉄芯を包んでいた薄紙を剥がす。

 長さ十センチの鉄の棒は、実際には四つに分割されている。装置にはめ込む前に、密着させてバラバラにならないよう、薄い紙で包んでおいたのたが、別に接着したわけでもない。

 それが、薄紙を剥がしても密着したままだった。

 分割されている部分を引っぱっても、びくともしない。それでも、力を入れてねじるとようやく動いた。


「成功だ!」


 確かに磁石だ。それも、かなり強力な。


 さらに二回電撃を放ったところで、ザンゲンは呪力切れを起こして失神した。


「今回の執行はこれまで。牢に戻し、食事と休息を与えよ」

 ゾエンの命令により、ザンゲンは部屋から連れ出された。

 しかしベイオの目は、手元にある十二個の磁石に吸い寄せられたままだ。まるで瞳が磁気を帯びてしまったかのように。


「それで、その磁石が何になるのか、そろそろ教えてくれんかの?」

 ベイオの隣でシェン老師がため息交じりに言った。ザンゲンが電撃呪法を使う場にベイオが臨席すると聞いて、念のため保護結界を貼るために同席したのだ。

 しかし、その目的まで伝える余裕が、ベイオには無かった。


「わかりました。では、僕の研究室へ。ゾエンさんも」


 一同が技術学校の研究室へ向かうと、イロンが手ぐすね引いて待っていた。


「おう、ベイオ! 磁石は作れたのか?」

 彼の方も、興味津々だった。


「見て! これだよ!」

 卓上で手にした包みをほどく。互いに吸い付いた十二個の短い鉄の円柱が出て来た。

 イロンはその二つをつまんで、引き剥がしてみた。

「なるほど、強く引っ張られるな」

「こうすると、互いに弾き合うよ」

 ベイオはイロンが引き剥がした二つを受け取ると、一つをひっくり返しておき、その上にもう一つをかざした。

「上から押してみて」

「おう、バネみたいに押し返してくるな」


 ひとしきり、老師やゾエンも磁石の特性を確かめたのち、イロンが疑問を口にした。

「で、これが何になるんだ? ベイオ」

「あれだよ」

 別な作業卓の上に置かれた、よく似た二つの機械を指さす。


 ベイオは磁石を取り上げると、それらの機械に二個ずつ取り付けた。反発し合う同じ面を内側に向けた中で、三つ又のコイルが回転するようになっている。

 取り付け終ると、今度は二つの機械を二本の銅線でつないだ。


「よく見てて。こっち側を回すよ」

 機械の軸に取り付けられたハンドルを回すと、もう片方のハンドルが回り出した。磁石の間でコイルが回り、そこで発生した電流が銅線を伝わってもう片方の機械を回したのだ。

 つまり、発電機と電動モーターである。


「……たまげたな、こりゃ」

 イロンは目を丸く見開いて、黒い顎鬚をゴシゴシしごいた。


 老師の方は、声すら上げることが出来ない。全くの未知の現象を前にして、頭の中が真っ白になった。

 自慢の顎鬚よりも白く。

 電撃の呪文なら良く知っている。雷も。その衝撃が金属を伝わることも。しかし、それが物を動かす力になるとは。


 しかし、ゾエンはあくまでも実務家だった。

「実に面白いのだが、これが何の役に立つ?」

「いい質問。これを見て」


 ベイオはもう二つの磁石を取り上げると、部屋の反対側に置かれたもう一つの機械に取り付けた。その機械から伸びた銅線を、同じように最初の機械に繋ぐ。


「いい? 僕が回すのはこれだけ」

 ベイオがさっきのようにハンドルを回すと、二つの機械が同時に回った。

「面白いでしょ。この機械を回した力はいくつにも分けられるし、線を伸ばせば遠くにも伝わるんだ」

 次に、ベイオは線をいったん外して間にスイッチを挟んだ。そして、離れた場所の機械から線を外し、回転軸のない別な機械に繋ぎ直した。


「イロンさん、この機械を回し続けてもらえる?」

「おう」

 ゴツイ筋肉質の腕がハンドルを回し始めると、ベイオはスイッチをリズミカルにオン・オフし始めた。それに連動して部屋の向こう側で機械が動き、小さな旗が立ったり倒れたりした。


「ベ、イ、オ、じゃな」

 符号を読み取った老師がつぶやいた。

「……光通信の代わりか!?」

 本質を見抜いたその目が、くわっと見開かれた。


「うん。銅線を伝わる力、僕は『電気』と呼んでるんだけど」

「電気……」

 上ずった声で老師が繰り返した。

 べイオは、部屋を横切っている銅線をつまみあげた。

「銅線……電気を通すから、電線と呼ぶけど、これは別にまっすぐ引かなくてもいいんだ。山を回り込んだり、森の中を通してもいい」

 手を蛇のようにくねらせたり、すっと伸ばしたりして、ベイオは身振りで示した。

「ただ、あまり長い線を伝わると、電気は弱まっちゃうんだ。だけど」

 旗を上下させていた機械を指さす。

「これで別な電線を繋いだり切ったりしたら、どうなる?」


 しばらくの沈黙。

 やがて、イロンがおずおずと聞いた。

「その別な電線ってのは、そこの別な機械につなげるんだな?」

「そうだね」

「別な奴……人じゃなくても、水車か風車が、そいつを回すんだな?」

 ベイオは満面の笑みでうなずいた。

「……なんてこった」

 そうつぶやくと、イロンは額に手をやった。

「じゃあ、人がいなくても、勝手に中継してくれると?」

「そういうこと」

 ベイオが応えると、黙っていたゾエンがまとめた。


「つまり、これを沢山作って、国中に電線を引くんだな?」

「うん。ただ、この技術はできるだけ秘密にしたいから、国境近くは今まで通り、人と光で通信するようだね」

 北都から先の、北部の国境までだ。敵襲があっても、人がいれば機材なども処分できる。


「これで国中から定期的に報告が集まると、文官の仕事が増えるのう」

 そうつぶやいた老師が、ニンマリと笑った。


「反皇帝派の連中も、騒いでる暇が無くなるぞい」


 さすがにベイオは、そこまで考えが回らなかった。


 ……老獪ろうかいって、こういう事を言うんだな。




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