第107話 猛虎団
地平線に土煙が見えた。こちらに向かってくるようだ。
「あれがそれだろうか?」
目をすがめて見つめるギョレン老師。
「そうですな、獣人ばかりのようですし」
ジーヤの嗅覚では、この距離でも問題ないらしい。
やがて、騎馬の一団が二人の周囲を取り巻いた。皆、弓矢と槍で武装しており、こちらを警戒しているのだろう、物々しい雰囲気だ。
騎馬のうちの、指揮官らしい者が声を張り上げ、名乗る。
「我名はラガダイ。ジュルシェン・ムダン様にお仕えする『猛虎団』の長である」
ジュルムの手勢だ。
決して、野球の応援団ではない。
「名はジョ・レンギャ、
ギョレンもジュルシェン族の言葉で名乗りをあげる。
すると、ラガダイは彼に問いかけた。
「ムダン様の縁者なら、ご存じであろう。コニンとは何者か?」
意外な質問にギョレンが戸惑ってるのを見て、ジーヤが代わりに答えた。
「先日、若……ジュルシェン・ムダン殿が助けた、純血種の娘でございます」
これにはラガダイも意表を突かれたらしい。
「その方、ただの従者ではないな?」
「はい。ムダン殿のかつての養育係りであります」
「名はなんと申す?」
「現在の主上、ベイオ様よりジーヤの名を賜りました」
ラガダイは納得のいった様子でうなずくと、周囲のものに宣言した。
「これなるは、我らが
そして、ギョレンとジーヤは騎馬の一団に取り囲まれる形で平原を進んだ。
一刻ほどして、一同は集落へたどり着いた。案内された天幕の前で、ギョレンはジーヤの引く車から降り、ジーヤが荷台から下ろした車イスに乗り換えた。
その際に身体強化の呪文を唱えたのに、ラガダイが気づいた。
「御身は呪法師であられたか」
「いかにも。戦でこのような体になったところを、ベイオ殿に救われもうした」
ラガダイは得心がいったように、何度もうなずいた。
「皇帝ベイオは、まさしくムダン様のおっしゃる通りのお方でありますな」
それを聞いて、ギョレンはジュルムが出奔した際に告げたという言葉を思い起こした。
……弱い者たちを助けたい、か。確かにそれは、あの子らに共通の思いだな。
ベイオ、ファラン、ジュルム。かつてはいつも一緒だった。
しかし、ジュルムが都のあの場所へ――ベイオたちと暮らしたあの館へ戻る日はあるのだろうか。
ラガダイと名乗った獣人の男を見上げる。これだけの手勢を抱え、自分の道を歩み出した彼が、後ろを振り向くだろうか。
それもまた人生だろう、とギョレンは考えた。
「こちらへ。ムダン様がお待ちです」
天幕の中へ案内されると、奥で小さな人影が立ちあがった。表の明るさから目が慣れると、金黒の髪の少年がこちらを見据えていた。
「ジーヤ! ……それに、ギョレン老師?」
ラガダイはそこから、この二人とジュルムの関係が見て取った。
……懐かしさと、戸惑い。先ほどのお二人の話と合いますな。
かつての養育係、ジーヤ。親しみと再会の喜びは、それにふさわしい。
呪法師のギョレン。この高齢だ、おそらく大賢者と呼ばれるほどの地位だったのだろう。ジュルシェン語を流暢に話すことからもわかる。
……それほどの者を補佐役と出すほどに、皇帝ベイオはムダン様を気にかけているのか。
あらためて、
ギョレンは再び身体強化で車椅子から立ち上がると、ジュルムの前でひざまずいた。
「皇帝ベイオの許しを得て、この場へ馳せ参じました。ジュルシェン・ムダンの名を得た御身の補佐役として、どうか仕えさせて下され」
「わかった」
うなずくジュルムの前に、ジーヤもひざまずいた。
「もう、若とお呼びするわけにも参りませぬな、ムダン様。わたくしも主上より、ギョレン老師の警護と足代わりを拝命いたしました」
「そうか。でも、二人とも、俺の事はジュルムと呼んでくれ。ベイオにもらった名だ。捨てるつもりはない」
二人の声が揃った。
「
挨拶が済んで三人が腰を下ろすと、
「しかし、短い間にこれほどの手勢を揃えるとは、大したものですな」
ギョレンの賛辞に、ジュルムは顔をしかめた。
「勝手に集まって、勝手についてきた」
馬乳酒が口に合わなかったのか、椀を下に置く。
「それより、明日の朝、ここを発つ」
「それはまた、随分と急ですな」
ギョレンの言葉に、一旦瞑目したジュルムは目を見開くと答えた。
「昨日、ナルイチが南部へ兵を率いて向かった。あとを追って、民を助けに行く」
「なるほど」
遂に、その時が来たか。そう思う老師だった。
「ジーヤ」
老師の声に、ジーヤも椀を置いて答える。
「何でしょうか」
「早速だが、この集落にも中継所を設けないといかんな」
「では、ただちに」
ジーヤは立ち上がると、傍らのラガダイに声をかけた。
「伝令役をこの地で募りたい」
「それなら、我が部下が」
「いや、貴殿らの同志以外にお願いしたい。この地に留まって、今後も継続して伝令を担ってほしいのだ」
「なるほど」
ラガダイはうなずく。
「では、こちらへどうぞ」
二人が出ていくと、ジュルムはギョレンに尋ねた。
「中継所とか伝令とか、何のことだ?」
「あなたとベイオの間の連絡役です」
ギョレンは、ベイオが計画したジュルムの支援策について説明した。
「ベイオが、そんなことを……」
ジュルムはうつむいた。
「俺は……ここまで来る途中、ずっと考えていた。どうやったら弱いものを助けられるか、と。俺には、いじめる奴らを懲らしめるくらいしか思いつかなかった」
そんな彼に、ギョレンは言った。
「誰にも、得手、不得手はあります。ベイオなら、ここまで自分で来れなかったでしょうから」
「それもそうだな」
ジョルムはうなずいた。
その夜は二人の歓迎の宴だったが、ジュルムはじきに眠そうな目になった。純血種であろうと、睡魔には勝てない。強かろうと賢かろうと、中身は見た通り幼いのだから。
そんな彼の様子を見て、ギョレンがラガダイに申し出た。
「とても楽しい宴なのですが、長旅の疲れがこの老骨に堪えております。ムダン様も明日が速いでしょうし、そろそろお
ラガダイも、
こうして、宴は公式にはお開きとなった。しかし、猛虎団の猛者たちはまだ飲みたりない。その場に残るものも多かった。
そして、その中から酔って暴れる大虎が出ないようにするのが、ラガダイの役目である。
* * *
ベイオのところに、ギョレンらがジュルムと合流したとの一報が入ったのは、その三日後であった。
ゾエンの執務室での閣僚会議。ベイオは手元に広げた地図に指を走らせ、伝令が伝わって来た経路を逆にたどってみる。そして、報告の日付を見て満足げにうなずいた。
「悪くない伝達速度だね」
約千キロという距離を考えれば、三日と言うのは驚異的と言える。江戸時代の早馬ですら、その何倍もかかったはずだ。
草原を越えた騎馬民族によるリレーが、約二日半。これも十分速いが、距離の半分以上を占める国内の通信網は、僅か半日足らずしかかかっていない。
何よりも、帝都と北都の間に仮設された電気通信は、ほんの一瞬だった。
……電気の力に万歳!
自動織機に続く、工業化の勝利だ。
「でも、早速、戦の気配だね」
書かれた内容そのものは、あまり喜べない。
「シスンさん、輸送部隊と護衛の方は?」
リウ・シスン元帥が、居住まいを正して答えた。
「物資さえ揃えば、今より三日以内に出立できます」
ベイオはうーんと唸る。
「それ、二日にできないかな?」
「二日……ですか?」
さすがにそれは、という顔のシスン。
ベイオは地図の上を指さした。
「ジュルムはこの国の東北部から北西に向かったから、今いるのはこのあたり」
その場所は、帝都や北都から見て、ほぼ真北だった。
「そこから南の町で戦があるから、助けに行くと言ってるんだよね」
南へ指を滑らせ、国境で止めた。
「その町は、この間にあるわけ」
その距離、約三百キロ。
「騎馬での進軍は、歩兵よりずっと早いはず」
歩兵が一日十時間行軍すれば四十キロ。騎馬ならその二、三倍と言われている。
「と言う事は、既に戦は終わっていて、ジュルムたちは救援活動に入っているはずなんだ」
「確かに」
シスンもうなずいた。
「こちらからの救援隊は、なんとか国境までは馬を変えて進んでも、七日はかかる。その先は不明だけど、一日とかじゃ済まないよね」
ベイオの言葉をシスンが継いだ。
「つまり、援助物資を届けるのに十日近くかかると」
「うん。でさ、普通の人、特に小さい子供が十日も食べないと……」
ベイオは言葉を切った。
「わかりました。一日でも早く物資を届けるよう、全力を尽くします」
リウ・シスンは深々と拝礼した。
……兄と慕ったセイロンが、誠心誠意仕えた皇帝。異国であろうと、民草にそこまで心を砕かれるか。
亡き幼馴染に思いを馳せつつ、シスンは席を立って部下のもとへ向かった。
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