第94話 北の冬ごもり

「やったな、ヤノメ。おめでとう」

 ラキアは心から祝福した。


「ヤッたな、ボムジン。早速かよ!?」

 ジト目で睨むのは、羨ましいからだ。ラキアの家族は、はるか遠くの都にいる。


 この宿での朝食は、広間で全員でとることになっていた。

 その席で、懐妊宣言をしたヤノメは、眩しいほどの笑顔で微笑んでいる。一方のボムジンは、照れくさそうだが、少しやつれてた。

 昨夜、夫婦水入らずの別室で別のモノを入れ込んでいたのは明らかだった。昨日死にかけていたのに、お盛んなものだ。正直なところ、呆れているのはラキアだけではない。

 ジーヤも祝福の言葉を送ったが、ボムジンへ向ける眼差しは、やや生暖かい。

 コニンも、真っ赤になってうつむいてる。ヤノメは彼女のために獣人語でも伝えてくれたのだが、少し刺激が強すぎたようだ。


 で、その辺がわかってないのはジュルムだけだった。


「赤ん坊ができたのって、どうしてわかるんだ?」

 素朴すぎる質問に、一同は固まってしまった。


 例外はヤノメだ。

「普通の場合は、もっと後になって体調が変化するのでわかります。しかしわたくしの場合は、治癒呪法の一つを使いました。身体の状態を調べるもので、ボムジンと夫婦めおととなってからは、毎朝これで確認しておりました」


 便利なものだな、とラキアは感心した。


「というわけで、わたくしは子供が生まれるまで、ボムジンとこの地に残ります」

 このヤノメの宣言は、ある意味当然だ。身重で長旅などすべきではない。そもそも、ボムジンとヤノメは春までこの地で過ごす予定だった。


 問題はその後だ。


「ジュルムも一緒に」

「え、俺も?」

 意外な指名に、ジュルムは自分の鼻を指さしてキョトンとなった。

「はい。子供がお腹にいる以上、龍の姿に変化へんげはできませんから。この地におれば、またあの熊男が来るでしょうし、守っていただかないと」

「守るのは別に良いけどさ」

 ジュルムは首をかしげる。

「龍になれなくなるのは、なんでだ?」


 おまえの疑問点はそこかよ、とラキアは脳裏で突っ込んだ。

 しかし、ヤノメはてらいもなく答えた。


変化へんげでは、見た目だけではなく、身体の構造そのものも作り替えるのです。五臓六腑も一度分解して組み替わります。なので、子を身ごもっていれば、その時に分解されてしまうのです」

「意外とえげつないんだな」

 ジュルムはちょっとげんなりした。


 そうなると、誰が都に連絡するかが問題となる。心配しているファランたちを、一刻も早く安心させてやりたい。

 ヤノメが龍に変化へんげすればひとっ飛びなのだが、そうはいかなくなった。

 ラキアはいずれにせよ帰るのだが、陸路も海路も時間がかかる。


「では、私が参りましょう」

 ジーヤが名乗り出た。獣人の脚力で走れば、明日中には着くだろう。

「来てすぐにトンボ返りとは、すまないな」

 と、しばらく空気だったボムジンが空気を読んた。

「なに、帰りはこの身ひとつですので」

 ジーヤは、ヤノメたちのための荷物を担いで、ここまで来ていた。着替えや医薬品だが、綿入りの防寒衣類は結構かさばる。


 もう一人、ラキアが空気を読んで発言。

「コニンはどうする? 俺と船旅で帰るか?」

 三角の狐耳がピクンと動いた。

「わ、私は……その……」

 ちら、とジュルムの方をうかがう。うつむいた顔が真っ赤だ。

 それだけで十分だった。

「……そっか。うちのおっかあに、七人目の子供を紹介できないのは残念だがな」

 ニカッと笑い、ジュルムの背中をパン! と叩く。ちょうど汁物を飲みかけていたので、ジュルムは激しくむせた。


「そう言うわけだから、よろしくな!」

「げほっぐほっ……なんだよ、いきなり」

 相変わらずの、しましま王子である。


 食事の後、ジーヤは都へと戻って行った。

 ラキアはというと、もう一晩ここで過ごしてから、明日の夕方に出航する、今年最後の船便で戻ることになった。冬場は海が荒れるので、船を出せなくなるためだ。

 一緒にいるのは今日限りだからと、ラキアはジュルムとコニンを散歩に連れ出した。


「海を見るの、初めてだろ?」

 ラキアはコニンに語り掛けた。

「はい……草でも砂でもなくて、水がこんなに広がってるなんて」

 内陸の平原は草の海、砂の海と例えられる。そして、そこを進む馬や駱駝らくだは船に。


「ヤノメが無事に子を産んだら、みんなで都に来ればいいさ。ベイオたちも喜んで迎えてくれる」

 その言葉に、コニンはラキアを見上げた。

「ぺ……ペイオとは、どなたですか」

 純血種には発音しにくい名前だ。

 ふふん、とラキアは面白そうに鼻をならした。

「聞いて驚けよ。この国の、皇帝陛下だ」

「え……!?」

 期待通りに驚いてくれて、ラキアはニンマリ笑った。


「と言っても、歳はお前とそう変わらん。ジュルムとは同い年だったかな?」

 そう聞かされても、コニンは戸惑うばかりだった。

 そこに追い打ちがかかった。

「あと、ベイオの妹分のアルム。こいつも獣人で、三人とも仲良しなんだ」

 どきん。コニンはそっとジュルムの顔へ振り返った。彼は北の方の空をじっと見上げている。都とは正反対だ。

「ジュルムも会いたいだろうけど、まぁ頑張れよ」

「ああ」

 ぶっきらぼうな返事だが、コニンにはそれが「アルムに会いたい」に聴こえてしまった。女ごころとはそういうものだ。


 ジュルムはと言うと、北の山々を覆い始めた黒い雲が気になっていた。

「そろそろ、宿に戻った方が良くないか?」

 指さす方を見て、ラキアも同意した。

「そうだな、やっぱり天気が崩れ出したか」


 そして昼過ぎになると、この町にも雪が降り始めた。


 その夜は、ボムジンとラキアが馬賊の火酒で盛大に酔っ払った。

 ジョルムは以前、酒でひどい目にあったので距離を置いていたが、ヤノメに捕まってしまった。お腹の子のために飲まないと決めた彼女は、美味しい位置にいるジュルムをいぢりたくてたまらない。


「ところでジュルム。こっちに残るの嫌がらなかったけど、気になる人がいるんでしょ?」

「なんだよそれ、気になるって。あの熊男がまた襲ってくることか?」

「またまた~。実はわかってて、とぼけてるだけじゃないの?」

 指先でジュルムのほっぺたをグリグリ。

 こんな風にからかわれても、ヤノメの事はどうも邪険にできない。


 ジュルム自身にもわからないのだ。

 早くに母を亡くした彼は、無意識のうちにヤノメに母性を感じている、と言う事を。


 そんな二人のすぐそばで、コニンは疎外感を感じずにいられない。本当は、さっき聞いたアルムという少女の事を聞きたいのだが、わだかまりが勝手に膨らんでしまう。


 ……ラキアさんと一緒に、都へ行った方が良いのかしら?


 つい、そんなことを思ってしまう。

 あの熊男の馬賊、ナルイチは自分を狙っている。ならば、都の方が安全なのは確かだ。

 それでも、ここにいようと思ったのは、ジュルムが残るからだ。加えて、命がけで……本当に命を落としかけてまで、自分を守ってくれたボムジンがいるからだ。


 そのボムジンが、ヤノメの方を向いて声をかけた。

「そういやぁ、ベイオは村から都にもどってるんだって?」

「ええ、そうですよ」

「なつかしいなぁ、あの村でベイオやアルムと出会ったんだよな。あれが全部の始まりだったな」

 酔いも入って、いつも以上に饒舌なボムジンだった。

「あ~、ベイオの水車小屋、凄かったよなぁ」

 ラキアも、つい半年足らず前のことを思い出した。


 ヒト族の言葉はわからないが、気になる人名ならコニンにも聞き取れた。

「あの……ラキアさん」

 そばに近づいて、コニンは声をかけた。

「どんな人なんですか、その……ペイオや、アルムって」

「おう。やっぱり気になるか。きっと良い友達になれるさ」


 コニンのために、ラキアの通訳も交えて、不思議な少年の話しが語られ始めた。

 そしていつの間にか、コニンはボムジンの膝に抱きかかえられて眠ってしまっていた。

 同じようにジュルムを抱きかかえたヤノメが、そんな二人を優しく見守る。


 ……こう見ると、すでに家族って感じだな。


 ラキアは一人うなずくと、酒を飲みほした。


* * *


 翌日、都に戻ったジーヤから嬉しい知らせを聞いたベイオは、ファランやアムルと抱き合って喜んだ。


「こうなったら、あの大戦略を進めるためにも、自動織機を早く完成させないと」


 決意に燃えるベイオだった。

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