第95話 大戦略

 数日後。

 ベイオはファランやアムルたちと一緒に、孤児院の女子棟にいた。本来は男子禁制の場所だが、東側の作業場なので、例外としてもらったのだ。

 ここでは日頃、孤児の女の子たちが機織りなどの仕事に励んでいる。上は十代前半、下は四、五歳くらいの年齢で、十数人ほどだ。


 今日はその一角が片付けられ、ベイオが持ち込んだ自動織機が組み立てられている。

 村で作っていた模型ではなく、フルサイズの実用化初号機だ。

 本体は模型と似た木枠だが、手前は狭く、奥が広くなっている。木枠より奥には大きな棚があり、経糸たていととなる糸巻きが沢山の軸に差しこまれて、何段にもなっていた。

 組み立てを担当していたのは、技術学校の生徒たちだ。ここには年頃の少女もいるせいか、ちょっと緊張していた。それでも、滞りなく組み立ては完了した。


「みんな、ありがとうね。じゃ、最初は機織りの準備から、お願いします」

 ベイオが女の子たちに頼む。


 皆は一斉に動きだした。糸巻きから糸をくりだして木枠の奥の穴に通し、仕掛けの中をくぐらせ、手前のローラーに縛り付けていく。

 面倒な作業だが、ここは今までの機織りと対して違わない。手慣れた感じで作業はほどなく終わった。


 そこで、ベイオはひとつの器具を取り出した。


「これが往復子シャトルだよ。緯糸よこいとを繰り出しながら、経糸の中をくぐって行ったり来たりするんだ」

 彼女らが普段使う糸巻きのように糸がむき出しではなく、舟形のケースに入っていて、底には小さなローラーがついている。これだけでも、経糸の中をくぐらせるのはもの凄く楽になる。


 その往復子が左右に移動する場所の外側には、歯車とバネで出来た仕掛けが取り付けられていた。ベイオがイロンと作り上げた、自動織機の心臓部だ。

 ベイオはその仕掛けに往復子をセットすると、アルムに向かって声をかけた。


「よし、アルム、そのハンドルを回して。最初はゆっくりとね」

「わかっただ」

 アルムはうなずくと、自動織機に取り付けられた大きなハンドルに手をかけ、回し始めた。


 まず、木枠の中央にある仕掛けが作動し、経糸が上下に分けられる。すると、反復子がバネの力でパンと弾かれ、その間をシュッとくぐり抜け、反対側のバネ仕掛けのところにカチリとはまった。

 次に、中央の仕掛けが戻って、経糸は平らに並ぶ。すると、仕掛けのすぐ手前の櫛がカタンと動き、通り抜けた緯糸をローラーに押し付けた。

 今度は中央の仕掛けが逆に動き、再び経糸の空間が開く。パン、と再び反復子が打ち出され、逆方向に緯糸が通る。


 周りでは、女の子たちが目を丸くして機械の動きを見つめていた。今まで一本の緯糸を通すのにかかっていた時間で、もう何十本も通されている。それも、ただハンドルを回すだけで。


「アルム、それ以上は速く回さないで。反復子の移動が間に合わないから」

 カツン、カツンと音がしてハンドルが止まるのは、仕掛けの方が追い付いていないためだ。無理して回すと仕掛けが壊れてしまう。


 ……ここは工夫がいるな。速度を一定に出来ないと、動力化が難しくなる。


 考え込むベイオの腕に、暖かい手が添えられた。


「凄いわね、機械って」

 ファランが目を見開いて、次々と布を織り出していく自動織機を見つめていた。

「まだまださ。こんな機械をもっと沢山、もっと色々作って、どんどん生産するんだ」


 ベイオはハンドルを回すアルムに微笑みかけた。


「今のように人力で回すのでは、非力な女の子の仕事には出来ないよね。むしろ、先ほどの準備作業のような、細かい熟練を要する作業に向いているはず」


 ベイオは部屋の中を見回す。生徒たちも、孤児の女の子たちも、ファランと同じように機械に目を奪われていた。


「だから、機械そのものを動かすのは動力、水車とか風車にしたいんだ」

「でも、この場所で水車は無理よね?」

 ファランの指摘に、ベイオはうなずいた。

「うん、だから中庭に風車を設置しようと思うんだ」

 そうなると、速度は風任せとなる。やはり調節が必要だ。


 出来ることが増えるほど、やりたいことも増えていく。

 そして、かつて渇望していたものに、遂に手が届いた。


 あの日。

 故郷の村で、ヨンギョンを助けた時。

 この世界の不条理の原因が何か気づいた、一年半前のあの日。

 ベイオは、この世界の全ての貧困を相手に、宣戦布告をした。そして、そのために渇望したもの。


「ようやく僕は手に入れたんだ。この世界を変える力を!」


 魔法でも奇跡でもない、技術の力を。


* * *


 さらに数日後。

 技術学校は休講とし、その校舎を丸一日、ベイオと皇帝の側近……というか、いつもの仲間で占拠した。

 東北部で冬を越すボムジンたちを除いた全員だ。


 いつも生徒たちに向かって講義をする教室だが、今、そこに座っているのは十人。

 ベイオは教壇の踏み台の上から、みんなの顔を見回した。


 ゾエン、ファラン、シェン老師、ギョレン老師。

 シスン元帥、アルム、アルム父、イロン。

 そして、先月からファランの補佐をするようになったジェ・デスカ。彼だけはまだ、周囲の雰囲気に馴染めないようだ。


 ……セイロンさんがいないのが、残念だな。


 ファランをかばって命を落とした、筆頭の大臣を思う。

 しかし、喪に付す期間はとっくに終わっている。


「もうじき今年も終わる。だから、この国、大麗帝国の掲げる新しい大戦略を、みんなによく知って欲しい」


 全員がうなずいた。

 ただ一人、アルムを除いて。


「だいせんりゃく、ってなに?」


 ちょっとだけ、ベイオはこの子を参加させたのを後悔した。


* * *


 ベイオは、大戦略の内容を紙に書いたものを、上下にスライドする黒板に次々と張り出していった。

 ちなみに、アルムにも読めるよう、辰字には表意文字でルビをふってある。


一、ディーボンとの相互不可侵と、対等な交易。

二、中つ国との相互不可侵、可能なら交易も。

三、中つ国を押さえるための、北の遊牧民との交流。


「これまで北の勢力を『蛮族』と呼んで敵視してきたのを改め、『遊牧民族』と呼び名を変えます。そして、交易などで協力関係を維持しながら、麗国と遊牧民族が協力して中つ国に対することで、平和共存を目指します」


 ボムジンとヤノメに東北部で冬の間にやって欲しかったことは、まさにこれだった。

 彼の人徳と言ってもいいだろう。初対面の相手でも、言葉が通じない獣人であろうと、気が付くと打ち解けている。あの偏屈を絵に描いたみたいなイロンや、アルム父やジーヤとも。


 何より、正体は龍であるヤノメがゾッコンなのだ。


 この場にいる誰より、適任だろう。きっかけさえあれば、遊牧民との交流が始まると期待できる。


 ここで、ゾエンが声を上げた。

「ディーボンとは組まないのか?」

 ベイオはうなずいた。

「良い質問です。これを見てください」


 ベイオは黒板の余白に、ざっと半島と周囲の国々の地図を描いた。

「ディーボンに応援を頼むと、前回のように麗国内を軍が通過しなければいけません。たとえ混乱は避けられたとしても、港や街道などを埋め尽くされたら、この国の負担になります」

 ゾエンはうなずいた。

「なるほど、輸送が滞れば国力も落ちるな」


 代わりに、シェン老師。

「対等な交易とあるが、何を売り買いするのじゃ?」

 ベイオは微笑む。

「次に話そうとしていた論点でした」

 黒板の紙を張り替える。


各国の主な輸出品

一、麗国から 布地

二、ディーボンから 穀物、武器

三、遊牧民から 牛、馬、羊毛、チーズなど。


 すると、アルムが手を上げた。

「ベイオ、チーズってなに?」

「食べものだよ」

「美味しいの!?」

 目がハートだ。

「もちろん。牛や馬なんかの乳から作る塊で、長く保存できるんだ」


 ……ああ、よだれが机に海をつくりそう。


 アルム父が懐から布を出して、机とアルムの口元を拭いている。順序が逆のようだが、気のせいである。


 そもそも、麗国にいる牛や馬は全て役畜えきちく、人や物を運んだり農作業に使うための家畜だ。牛肉どころか牛乳も口にすることはほとんどない。

 それ以前に、食用の家畜を飼えるほどの穀物があれば、人に回さないと餓死者が大変なことになる。

 また、獣人は狩りをして肉を良く食べるが、乳を搾る文化はない。

 いずれにしろ、この世界のこの時代では、酪農は大草原を自由に移動できる遊牧民族にしか出来ない産業といえる。


「この国だけでの工業化じゃ、市場規模も小さすぎるし、作れない、採れないものが多くて難しいでしょ? だから、それを補うためには、もっと交易をしなきゃ」


 今度は、ギョレン老師。

「中つ国からは、何も輸入しないのかね?」

「はい、当面は。だって、戦争したくないですから」

 それだけでギョレンは納得した。

「なるほど、朝貢をしない、という意思表示になるな」


 中つ国の朝貢貿易は、一種の安全保障体制だ。強い国に対して「敵意がない」事を示すために貢物を送り、かわりに強国は宝物を下賜する。

 そして、何をどれだけやり取りするかは、強国側が決めるのだ。やり取りする交易品の価値はそろわない方が多い。


 それに対して、ベイオがやろうとしている交易は自由貿易だ。お互いが必要なものを、価値が釣り合う分だけ交換するのだ。これは、お互いが対等な立場でないと意味がない。


「ディーボンからは、武器ですか」

 リウ・シスン元帥の質問。彼は先日、セイロンが臨時で務めていた職の一つ、国軍司令官の地位を引き受けてくれた。

 ベイオはうなずいて答えた。

「あの鉄砲を買うのは無理でも、刀や槍、防具、どれをとっても優れたものです。まだしばらく、こちらは少数精鋭で行くしかないので、武器だけでも良いものを揃えないと」

 シスンもうなずいた。


 何しろ、武器は兵のように飯を食わない。前世の原子力空母のように、維持費だけで国が傾くわけではないのだ。


「我が国の輸出品は、布地のみなのかの」

 つぶやくようにシェン老師。

「ええ。短期間に生産力を上げられるのは、これしかありません」

 自動織機はそのための布石だ。

「しかし、綿花の生産は食料と同じで、急には増やせんぞ」

 さすがは老師。ピンポイントをついて来る。


「だからこそ、遊牧民と手を組むんです」

 ベイオの言葉に、老師は黒板の紙をじっと見つめた。

「……なるほど、羊毛か!」

 二人で顔を見合わせ笑う。


「つまり、加工貿易です」


 他国から原料を輸入し、製品として加工して輸出する。

 羊を飼う遊牧民から羊毛を輸入し、綿織物として輸出する。

 前世の日本が、最も得意としたものだ。


 ……そう、僕は日本の子なんだもの!

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