第96話 幕間3

「初めまして、駿河するが眞子まこと申します」

「こちらこそ、初めまして。福島征爾せいじです」

 社会人の鉄則、まずは名刺交換から。


 正直、コメントに書かれてたのは無料のメールアドレスだったので、最初は少し警戒していた。いきなりウィルスを送られたりしたら、たまらない。

 だが、そこから先は普段使いの個人アドレスらしいところへ誘導され、最後はきちんと顔写真付きのプロフィールも送られて来た。

 そして、指定された待ち合わせは例の場所。靖国神社の大鳥居をくぐった先、大村益次郎の銅像の下だった。


 そして……何よりもまず、たった今受け取った彼女の名刺は、某大手ゼネコンのもの。小説の上では伏せていた、夢で見た通りの名前だった。

 これが推理小説なら、少なくとも重要参考人となる重大な証拠、本人以外は知りえない事実ファクトだ。


 これ以後の私が、少々、取り乱してしまうのは、お許しいただきたい。


「ええと、駿河さん」

「ハンドルネームでもかまいませんよ?」

「はい……じゃあ、アキナさん」


 季節は初夏。特に行事などはない日らしく、夕闇のせまる中には、ほとんど参拝者はいない。


「こんな時間ですし、よろしかったら食事でもしながら」

「デートのお誘いですか?」

「……え、いやその」

「うふふ……嬉しいですわ」


 非常にやりにくい。


「それじゃ……あ、お酒は?」

「大丈夫です。成人してますから」


 年齢はプロフィールに書かれてたのに、つい確認してしまうのは、彼女の外見のためだ。

 私自身、中肉中背のはずだが、見下ろすと彼女のポニーテールのつむじが綺麗に見えてしまう。

 つまり、かなり小柄であり、なおかつ……プロフィール写真でも分ってたのだが、非常に童顔なのだ。

 にもかかわらず、胸と腰のメリハリが非常に効いている。


 以前、飲みながらネットを見ていた長谷川君が、「わがままボディ―」と呼んでいた女優の画像のプロポーションだ。言葉の意味はさっぱりだったが。体型が自我を主張するのだろうか?

 さらに彼は「ワーキングのポ○ラちゃん」とか意味不明の言葉を連呼してたが、流石に認識のフレーム外だった。

 なんとなく危機感を感じて、それ以来、研究室での飲酒は禁止としている。


 だから、この点を確認するのは、どうか非礼と言わないで欲しい。


「あの……何か身分証明になるものは……」

「はい。これで大丈夫ですね」


 得意げに出されたのは、ゴールド免許証だった。


「……どうもすみません」

 何なのだろう、この敗北感というか罪悪感は。


* * *


 最寄りの居酒屋風ファミレスへ移動。


「では、福島先生との出会いを祝してカンパーイ!」

「……乾杯」


 なぜか、完全に主導権を取られている。たった二人での乾杯。

 定番のトリアエズナマを、ひと口ふた口飲む。

 が、彼女は飲み続ける。飲んで飲んで、飲み干して「ぷはぁ」と息を吐き、すかさず注文のタブレットに追加を打ち込む。


「お強いんですね」

「若さです!」


 そうですか。そうですね。

 学生たちのコンパに呼ばれるたびに感じる、ある種の疎外感と言うか、初夏の頃に毎年感じる哀愁というか。


 そんなアンニュイを感じてると、彼女が真剣な顔でこちらを見ていた。真剣だが、その人差し指はタブレットの注文ボタンがあったあたりで、白くなっていた。

 全力で押したままらいしい。


「で、今日の本題ですが。先日、彼のお母様に会ってきました」

「……そうでしたか」


 ヤバイ。

 肖像権というか、その手のプライバシーに関わる訴訟は、一応、意識して情報を改変してきている。それでもやはり、遺族の気持ちを最優先すべきなのは確かだ。

 その点は異論はない。……のだが。


「喜んでおられました」

「……え?」


 話が脳内でつながらず、混乱した。


「死んだ息子が、たとえ赤の他人が書いた物語の中でも、生きているのは嬉しい、と」

「そうですか……」


 そこで私は、ずっと気になっていたことを持ちかけた。


「あの……私も彼のお母様へのご挨拶を――」

「お断りするそうです」


 にべもなく断られた。


「……そうですか」

「あの、誤解のないようにお願いします。お母様は、作者のあなたへ何の反感もない、とおっしゃってました」


 お母様がそう言うのなら、その通りなのだろう。では。

 その周辺ではどうなのか、そこは気になる。


 アキナさんは続けた。

「これは、子供の心臓移植のドナーの家族が、移植相手に接触してはいけないのと同じだ、との事です」


 それは、どこかで聞いたことがある。我が子の心臓を受け継いだ相手の子供に、死んだ我が子の幻影を見てはならない、と言う事だった。


「お母様の仕事は確か……保険の外交員?」

 これもまた、小説に書いていない事実ファクトだった。


「はい、ご明察」

 そう答えたアキナさんは、ぺろりと唇を舐めた。今の事実は、よほど美味しかったのだろう。


「では、そろそろ本題に入りましょうか?」


 なぜか、肉食獣の前の草食動物になった気がした。無意識のうちに、ファミレスのベンチに思いっ切り深く腰を掛けていた。


「彼は今、生きてるのでしょうか?」


 突然突き付けられた、答えの出しようのない問題。それに対する、科学的な唯一の対応と言えば。


「お答えしかねます」


 正直に言うしかない。が、当然だろう。全く納得してもらえなかった。


「……えー、何かもっと、確証が持てそうなものを~」

 頭を抱えてグルングルンしているが、アルコールが回らないか気が気でない。


「あの、どうか冷静に」

「はい、ワタクシ冷静です。何の問題もありません」

 グラグラの頭でそう棒読みで言われても、不安しかないのですが。

 しばらくして、なんとか気を取り直せたのか、再度彼女は聞いてきた。


「それでは、あらためてお聞きします。彼の生死ですが、少なくともこの世界では死亡してますね」

「はい」


 良かった。最初の一歩の合意だ。

 もっとも、ここで食い違ってしまうと、伝票もってダッシュし、清算して逃げるしかない。


「逆に、先生にとっての彼は、生きている感じがしますか」


 客観的事実ではない、私個人の勝手な主観なら、答えようがある。


「そう感じますね。彼以外の登場人物も含めて」


 これは、少し意外だったらしい。アキナさんはうつむいたまま、上目遣いで見上げて来た。


「それは、どのくらいの確実さですか?」

「『感じ』に確実さを求められても……」


 困った。また話が迷走しそうだ。


「私はあの物語を、『創作』しているという意識はないのです。どちらかと言うと、『観察』でしょうか」

「どこか別な世界での出来事を、観察して書いている?」


 そこも、微妙な問題だ。


「それは、多元宇宙論のテグマーク分類で、レベルⅢの多世界解釈と、レベルⅣの究極集合における……」

 そこまで言いかけて気が付いた。彼女の表情が、話しについてこれてない時の、学生のそれになっていることに。


「えーとですね、シュレディンガーの猫、という話はご存知ですか?」

 彼女のぼんやりと重なり合った表情が、一つに収束した。


「あ、それ聞いたことあります。観察するまで、箱の中の猫ちゃんが死んでるか生きてるか分らない、ですよね」

 異世界ものが好きなら、なんとか引っかかる話題だったようだ。


「正確には、観察するまでは生きている猫と死んでる猫の両方が重なり合った状態であり、この状態が多世界だ、というのが多世界解釈です」

「なんか、気持ち悪い解釈ですね。ゾンビみたい」

 そう言えば、ゾンビものも定番だったか。


「まあ、そうですね。で、この多世界解釈だと、観察した瞬間に多世界はひとつに収束する。つまり、他の世界は消滅してしまうんです」


 そこまで話すと、アキナさんはポンと手を打った。


「じゃ、さっきの究極超人って――」

「究極集合、ですね。これは、多世界が観察された後もそのまま存在できる、という仮説なんです」

「それが、異世界?」

 ここで安易な結論に飛びつくと、正解することは出来ない。すっかり泡の消えたビールで口を湿らせ、話を続ける。


「ただ、この究極集合って、飽くまでも数学的な概念なんです。それで――」


 話しが宇宙際タイヒミューラー理論にたどり着く前に閉店となり、アルコールとそれ以外でグラグラする頭のアキナさんを駅まで送って、ファーストコンタクト(デートではない)は終った。


 終ったはずだが、翌朝、なぜか研究室に彼女がいた。

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