やりたくないけど中つ国……

第97話 コニン

 真冬の東北部の寒さは、極めて厳しい。緯度だけなら日本列島の東北あたりだが、はるかに冷える。その代わり雪は少なく、国境をなす北側の山脈を越えてくる木枯らしが、毎日吹きすさぶ。

 そんな気候だから、人々は家に閉じこもりがちになる。薪を燃やした煙を床下に通す、独特の暖房のおかげで、家の中は暖かいからだ。この点でも、豊富な薪をもたらしてくれた伐採事業は感謝されている。

 ほとんどの木こりや職人が戻ったため、その感謝はボムジンひとりに向かう形になった。おかげで、食料も薪も充分揃った。


 ボムジンとヤノメは、宿から出て町の一軒家に移った。ラキアが帰る前に内装などを整えてくれていた家だ。

 コニンはこの家に引き取られることになった。そしてジュルムも、用心棒を兼ねた居候としてここに滞在する。


 冬を越すのに必要なものが揃うと、ジーヤは一同に別れを告げた。


「では、若のことをお願いいたします」

 町の外れでジーヤはそう言うと、見送りに来たボムジンとヤノメに深々と礼をした。そして、ジュルムに向き直る。

「若は立派になられた。もはやお教えすべきことは何もありません」

 ヌシ……あのナルイチと名乗った熊男を排除したことが大きかったようだ。

「若は、戦いで決着を着けるのではなく、対話で相手を引き下がらせた。これは私などには出来ぬことです」

 ジュルムとしては、納得いかないようだ。

「俺は、ペイオがいつも言ってることを、ヤツにプつけただけだ」

「主上の言葉が根付いておればこそ、でしょう」

 そう答えると、ジーヤはジョルムにもお辞儀をする。

「都で主上のためのお役目がありますので、これで」

 そして彼は都へと向かった。


 二人の別れを、コニンはボムジンに抱きかかえられたまま、見つめていた。彼女は小柄なので、最近はこうして移動することが多い。

 彼女のおかげで、早くもボムジンの子煩悩は開花していた。子供が生まれるまでには、まだ九ヶ月あると言うのに。

 言葉が通じないと言うのも、障害にならなかった。冬の寒さは、黙って寄り添うだけでも親密さをあげてくれる。


 ……でも、出来ることなら。


 家に戻って、少し遅くなった朝食を一緒にとる。ボムジンのそばは暖かく安心できた。そして安心は、コニンのさらなる欲求を募らせる。


 ……ジョルムも、隣ならいいのに。


 彼女はボムジンとヤノメの間に座っていて、ジョルムは対面側、客人の座る席だ。


 こちら側では、ボムジンが黙々と食べている。ヤノメは逆に、コニンやジュルムに色々と獣人語で話しかける。時おり、ボムジンにも通訳していた。

「そう言えは、コニンは来年で七つになりますね」

 ボムジンは、頬張っているものを飲み込むと聞き返した。

「七つ? 六つじゃなくて?」

 コニンの記憶は曖昧だったし、獣人の子を何人も見てきたジーヤもラキアもそう言っていたので、彼は疑問も持たなかったのだが。

「先日、病気などないか呪法で調べた時に、既に六つだとわかりました」

「ふーん、じゃあ、アルムやジョルムと同い年か」

 言葉はわからなくても、気になる名前に三角耳がピクリと動いた。

「気になる? コニン」

 ヤノメがいたずらっぽく微笑むのも、日常の風景だ。コニンの気持ちに気づいてないのは、男性陣のみ。

 うつむいてうなずくコニンに、ヤノメは今の話を獣人語で伝える。

「あなたが年齢に比べて小柄なのは、隊商につれ回されてた時に、ろくに食べさせてもらえなかったからね」

「……それじゃ」

「しっかり食べれば、すぐに追い付くでしょう」

 ヤノメの言葉に、コニンの顔が明るくなった。

 この国では数え年だ。誰もが年明けと同時に、ひとつ歳を取る。同い年なら、同時に結婚できる年齢になるわけだ。

 体の方も、それまでに追い付いていれば、アルムに並ぶことができる。


 そのやり取りをヤノメに通訳してもらったボムジンは、がはは、と笑うとコニンの椀に雑穀粥をよそった。

「ほら、もっと食え」

 コニンは片言の麗国語で必死に訴える。

「ダメ、入らない! 入らないよ!」

「大丈夫だって。すぐに馴れる」

「ポムジン、大きい! 大きすぎる!」

「ほれ、開きな。入れてやるから」

「もうムリ!」

 念のためだが、食事風景である。

 コニンは口を押さえて涙目だ。


「なんだ、もう食えないなら、もらうぞ」

 そう言うと、ジュルムはコニンの椀を取り上げ、カカカッと粥をかっ込んだ。


 ……わ、私の食べかけを!?


 残念ながら、コニンの獣人語でも「間接キス」と言う語彙はなかった。

 食べ終わったジュルムは、立ち上がってボムジンに告げた。

「山へ行ってくる」

「おう。かかってると良いな」

 昨日、二人で山に入り、ワナをかけておいたのだ。ウサギでもかかっていれば、今夜はご馳走だ。

「あと、しるしの方も」

 ジュルムの言葉に、ボムジンもうなずいた。山を越える通り道に、細い糸を印に張っておいたのだ。馬などが通れば切れるように。

「ヤツら、来るかな?」

「たプん。諦めは悪そうなヤツだった」

 それ以外もな、とボムジンは胸中でつぶやく。


 昼間になると、ボムジンは近所の手伝いに出かけた。力仕事ならどこにでもあるので、いつも引っ張りだこなのだ。

 コニンは、ヤノメから家事を習った。天幕暮らしの遊牧民とは、かなり勝手が違うので、覚えることが沢山あった。

 特に、ドングリの灰汁ぬきなどは、樹木がほとんどない平原では、体験したことがない。殻を剥いて、苦味が抜けきるまで茹でこぼす作業だ。

 作業の間に、コニンはヤノメに都の人達のことを聞いた。特に、アルムについて。

「よっぽど気になるようね」

「いえ、あの……」

 真っ赤になるコニン。なんとも分かりやすいのに、なぜかうちの男どもは気がつかない。困ったものである。

「アルムは良い子よ。多分、生まれてから一度も、誰かを憎んだりしたことないんじゃないか、なんて思えるくらいに」

「そう、ですか……」

 自分はどうだろう。そう考えると、コニンは涙が出そうになった。自分を捨て、母を殺したと言う父。隊商での酷い扱い。やっと受け入れてくれた集落を全滅させた馬賊。

 憎いと思う相手が多すぎる。


「自分と比べてるんでしょ?」

 そう言われて顔をあげると、ヤノメが微笑んでいた。

「ところがね、そんなアルムはベイオが大好きで、ジュルムはずっと片想いなの」

 ベイオ。自分達とひとつ違いなのに、この国の皇帝だと言う。それこそ、想像もつかない、雲の上の人だ。


「ジュルムに好かれたかったら、まずあなたが自分を好きにならないとね」

「私が、私を?」

「そう。誰かを好きになるってのは、自分を相手に与えることでしょ? 好きでもない自分を与えても、その辺で拾った小石をあげるのと同じ」

 そうだった。

 ジュルムの立場で考えないといけないのに、私って……。

 と、ヤノメの指が頬っぺたをつついた。

「ほら、また少し嫌いになった」

「う……」

 ヤノメは煮たった鍋を火から外した。

「そんな気持ちは、こうしてやるの!」

 ザルに向けて、鍋の中身をぶちまける。薄皮の取れたドングリの中身が、ザルの上に残った。それをまた鍋に入れ、新しい水を張り、火にかける。

「こうやって、嫌な気持ちは棄てちゃいましょう。何度でも」

 そして、立ち尽くすコニンを優しく抱き締めた。

「あなたは、今まで幸せだった時間が少なすぎただけ。そんな気持ちは、たっぷりの幸せに浸かって、抜き取っちゃえば良いのよ」

 気がつくと、コニンは泣いていた。

 次に鍋の湯を棄てるときまで、声をあげて泣いた。


 棄てた湯は、確かに前よりも濁りが薄くなっていた。


* * *


 その同じ頃。

 ジュルムは山中で切れた細糸を手に取り、そこに仄かにまといつく臭いに戦慄していた。


 ……ヤツが、ひとりで来た。




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