第93話 ヤノメ爆弾

「ふわぁ~、よく寝た」

 いつになく爽快な気分で、ボムジンは目覚めた。

「御目覚めですね」

 傍らで微笑むヤノメ。

「ああ、おはよう、ヤノメ」

 そう言ったところで、ようやく気付く。


「あれ……なんでここにお前が? いや、それより――」

 見上げる空は暗く、月が輝いていた。身体を起こして見回すと、自分がいつも引いている荷車の荷台だった。

 そして、自分の服。泥と汗と血で汚れていたはずが、洗いざらしたように清潔になってる。しかし、その胸のところが裂けている。そして、背中の方も穴が開いているのか、冷たい風が入り込んで来ていた。


「俺はたしか、槍で胸を一突きされて……お前が助けてくれたのか」

 夫の言葉に、ヤノメは微笑んだ。

「わたくしだけではありません。ジュルムも頑張ってくれました」

 前方を手で指し示す。自分に代わって荷車を引いているのは、ジュルムとラキアだった。獣人の二人なら、パワーは十分だ。


「おう、よく寝てたな。もうじき町に着くぜ」

 振り返ったラキアが陽気に声をかけてきた。

「すまんな、車を引かせてしまって」

「良いってこった。そのかわり、酒、奢れよ」

 ケラケラと笑うラキア。


 と、ボムジンの腕に触れる手があった。ヤノメとは反対側からの、小さな手。

 そちらを向くと、銀色の髪から突き出した三角耳が二つ。そして金色の瞳も二つ、彼を見つめていた。

「ポムジン……あ、ありがとう」

 たどたどしい麗国語で、コニンが礼を言った。

 それを見つめるヤノメの表情が暖かい。

「あなたにお礼が言いたいそうなので、少し言葉を教えました」

「……そうなのか」

 どうやら、自分が意識を失っている間に、色々あったらしい。


「コニン、礼なんていいさ。当たり前の事をしただけだ」

 ボムジンの言葉に、コニンは困ったような顔でヤノメを見た。ヤノメは喉や鼻を鳴らす声で答えた。


 ……獣人語か。


 龍ならそれくらい話せて当然なのだが、今更のようにその事実を思い知らされる。同時に、いつもの疑問も。なぜ自分がヤノメに惚れられたのか。何度かヤノメに聞いてみたが、ピンと来ない。


 それに加えて、コニンの態度ががらっと変わったのも。強面な外見で怖がられていたのに、気が付いたらなつかれている。

 さっきは血まみれで戦っていたのだ。さぞかし、鬼のような形相だったろうに。


 ……まぁ、嫌われるより良いよな。


 その辺は楽天的なボムジンだった。


* * *


 町に戻ると、ボムジン達の宿ではジーヤが待っていた。

「若、お疲れ様でございます」

 恭しくジュルムを迎えた。


 一気に人数が増えたので、ボムジンとラキアの部屋では狭すぎた。ボムジンとヤノメが夫婦でその部屋に残り、他の四人は別な大部屋に移ることになった。

 それが終ると、ジュルムはジーヤが持ってきた寒冷地用の衣服に着替えた。ようやく身体強化を説くことができて、ほっと一息すると。


「ヌシに会った」

 ポツリとジュルムはつぶやくように言った。

「ヌシ……ですと?」

「去年、爺やと山で修行していた時に出会った、でっかい熊だ」

 先ほどの戦いを、かいつまんで話す。

 その獣人語の会話を、部屋の隅にちんまりと腰を下ろした少女が、熱心に耳をそばだてて聞いていた。


「若、ところであちらの娘子は?」

「ああ、コニンか」

 ジュルムが振り向くと、コニンはまた顔を伏せてしまった。その仕草の意味が分からず、ジュルムはつまらなそうにジーヤに答えた。

「馬賊に狙われてるらしい。ラキアとポムジンが助けたんだ」

 ジュルムにしてみれば、自分が助けたという自覚は無い。彼はあくまでも、ボムジンを助けに来ただけなのだから。


「純血種、ですな」

 顔を伏せてるが、ジーヤにも匂いでわかるらしい。

 彼は少女のそばに近寄ると、膝を着き、声をかけた。

「コニン様。我のことはジーヤとお呼びください。ジュルム様の教育係を拝命しております」

 純血種であれば、それなりの生まれであるはずなので、ジーヤはうやうやしい態度だった。

 獣人語ではあったが、コニンには「教育係」とか「拝命」のような難しい言葉は分らなかった。


「私のことはコニンでかまいません。姫でも何でもないのですから」

 そして彼女は、ジーヤに問われるまま、ポツリポツリと身の上について語った。

 とある遊牧民の集落で、なぜかヒト族の両親の間に生まれたこと。それが原因で、不倫を疑われた母親は殺されたが、コニン自身は「殺すと獣人の呪いがかかる」という事で、集落を訪れた隊商に売られたこと。

 数年が過ぎ、隊商が訪れた集落の一つ、ヒトと獣人が半々の部族に引き取られ、純血種であるために大切にされたこと。


 生れてはじめて、彼女には自分のいる場所ができたのだった。


 しかし、それまでに隊商が訪れた場所から、彼女の存在が広まってしまっていた。その結果、あのナルイチに目を付けられたのだった。

 ナルイチの率いる馬賊は彼女を引き取った部族に襲いかかり、沢山の人が殺された。そのため、養父母と共に必死にここまで逃げてきたのだ。

 そして、養父母も他の人々も、全員殺された。


「なるほど、いわゆる『取り換え子』ですな」

 話が終わって、ジーヤはそうつぶやいた。

「ヒト族同士の両親から、稀に純血種の獣人の子供が生れることがあるのです」

 その言葉の意味するところを理解して、コニンの金色の瞳から涙がこぼれた。

「それじゃ、母は……」

 隊商に売られて連れまわされていた間は、不義密通の子として酷い扱いだった。そのせいで、産みの母の事を恨んだりもした。

「ええ、不義密通など濡れ衣でしょう」

 ジーヤが伝えた事実は、コニンには重すぎた。


「獣人の因子は、ヒトと交わっても血の中から消えることはないのです。ただ、何代も混血が続くと、やがて因子は眠りについてしまいます。そうなると獣人の特徴は現れません。それでも、その眠った因子同士が両親から受け継がれて出会うと、目覚めることがあるのです」

 そうして生まれた純血種の子供は、獣人の呪いで母胎のなかにいるうちに「取り換えられた」のだと言われている。呪法が使えないのが獣人なのだから、理屈に合わないのだが、言い伝えとはそんなものだ。


 ジーヤの話はコニンには難しい言葉ばかりだったが、母親が無実だったと言う事は、なんとなくわかった。

 そして、彼女を引き取り、大事にしてくれた養父母はもういない。部族もおそらく、全滅だろう。

 彼女が天涯孤独の身なのは間違いなかった。


 話しが終ると、ジーヤはジュルムのところへ戻り、隣に腰を下ろした。

 コニンはうつむいたままだったが、不意に背後から、優しく肩を抱きしめられた。


「俺んちの子にならないか、コニン」

「ラキアさん……」

 顔を上げると、人懐こい笑顔が返って来た。

「うちにゃあ子供が六人いるが、なに、一人くらい増えたって大したことねぇさ」

 あっけらかんとした物言い。まるで、拾った子犬を連れて帰るかのような気軽さだが、コニンの重荷を軽くしてくれる感じがした。

 それでも、彼女の視線はついつい、ジョルムの方に向かってしまう。


 彼は壁にもたれて座り、腕を組んでうつむいていた。

 コニンの目には、静かに物思いにふけっているように見えたのだが、実際には爆睡しているだけだった。


 すると、ラキアはコニンに小声で耳打ちした。


「なに、あいつだってもう用が済んだから、一緒に都に帰るはずさ」

 ドキリとした。

 隠していたはずの恋心が、もう知られてしまっている?


 それでも、ラキアは「一晩ゆっくり考えな」と言ってくれた。明日、みんなとも話し合って決めれば良いと。

 そして、皆、疲れ切っていたこともあり、そのまますぐに眠りについたのだったが。


 翌朝、ヤノメが爆弾発言をした。


「わたくし、懐妊しましたの」


 な、なんだってー!?

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