第92話 獣人の王
手のひらの中で、槍の柄が砕けた。
「なんだ、脆いな」
そうつぶやくと、驚いて棒立ちになった騎馬を突き飛ばし、ジュルムは次の相手に飛びかかった。
馬賊たちの槍は彼に一撃も与えることなく、たちまち穂先を断ち切られ、ただの棒切れとなり果てた。
武器を失い、右往左往する馬賊たち。なかには腰の剣を抜く者もいたが、斬り込む気迫は見られなかった。
その彼らの前に、悠然と立つジュルム。
その背後には、降り立ったヤノメが作り出した漆黒の結界がある。半球状のその空間は荷車ごとボムジン達を取り込んだ。
たから、心置きなく戦える。
「やるな、小僧」
ただ一人、背後で槍を掲げていた偉丈夫が、口許を歪ませてそう言った。楽しそうな
ただ、その目は冷たい光を放っていた。
「
男は馬から降り立ち、槍を投げ捨てた。
「ならパ、純血種らしく戦おうではないか! 俺はナルイチ。獣人の王になる男だ!」
馬賊王じゃないのか、とジュルムはつぶやいたが、ベイオならさらに「惜しい。海賊王じゃなかった」と言うところだ。
が、そんな余裕は続かない。
男の割れた上唇がまくり上がり、獰猛な牙が抜き出しになる。そして、咆哮。
見るまに男の顔は形を変え、全身は黒い体毛に覆われ、鎧や衣服を引き裂いて膨れ上がった。
「お前……ヌシか!?」
ジュルムは思い出した。去年目撃した、巨大な熊を。
あれは、ベイオの村のそばの山中で、ジーヤと修行していた時。
「山を降り、北へと向かうようだったが。馬賊になってたのか」
ジュルムの問いかけに、男……いや、巨大な熊は、ぶふん、と鼻をならした。
「あのときの小わっぱが、お前か」
熊に
「ヒト族から蔑まれるばかりで、抗うことすらせぬ仲間たちに幻滅したのは、はるか昔。だから俺は、さらなる力を求めて山にこもり、獣の姿に
熊となったナルイチの右手が、青白い光に包まれる。呪力爪だ。
一声、言葉にならぬ叫びをあげると、その爪がジュルムに襲いかかった。
ギリギリのところで爪を避け、ジュルムも爪を振るう。しかし、彼の呪力爪は硬い体毛に弾かれてしまった。
「ふははは! ぬるいわ!」
「くっ!」
恐らく、体毛に呪力を流して強化しているのだろう。悔しいが、攻防ともに、相手の方が上だ。
「ウラウラウラァ!」
次々に繰り出される爪を、ジュルムは紙一重の差で避けていく。唯一、彼が勝っているのは、敏捷さだ。体重は子供なのに、筋力は人のそれをはるかに上回る。
その戦いぶりは、ベイオが見れば間違いなく、弁慶と牛若丸、五条大橋の勝負と呼んだだろう。
そして、ナルイチの貫手を素早くかわしたジュルムは、相手の延びきった腕を踏み台にしてジャンプ。そのままトンボを切って、背後の黒い結界のドームに飛び降りた。
「やるな、小僧!」
「ジュルムだ。教えたんだから、次から名前で呼べ」
しましま王子は、熊男にも臆しない。敢えて本名ではなく、ベイオにもらった名前を名乗った。なぜかは、自分でもわからなかったが。
「ジュルム! 気に入ったぞ。俺と来い!」
「はあ?」
唐突な申し出に、ジュルムは思わずまの抜けた声をあげた。
熊男ナルイチは、その場にドッカと腰を下ろすと、語り始めた。
「俺と手を組め。俺は、獣人がヒトを支配する、獣人の帝国を築く。呪法が使えないと言う、ただそれだけで、ヒトより劣るなどと言わせない」
牙をむき出し、獰猛な笑みを浮かべる。
「俺の養子になると良い。俺の国を継がせても良いぞ」
ジュルムはため息をひとつつくと、結界の上に胡座をかいた。
「ひとつ、聞いても良いか?」
「何でも聞け」
ナルイチはニヤリと笑った。
「お前の国で、民は今より幸せになるのか?」
「……なんだそれは」
熊が豆鉄砲を食らうと、こんな顔になるのだろうか。
「獣人がヒトを支配したら、獣人は幸せになるのか?」
「当たり前だ」
にべもないナルイチだが、ジュルムは憮然として首を振った。
「今、ヒトは獣人を蔑み支配してる。だが、ヒトは幸せか? なら、なんでどこもかしこも貧しくて、みんな腹を空かしてるんだ?」
「お前、面白いじゃないか」
ナルイチは、牙をむき出して笑った。
しかし、ジュルムは首を振った。
「俺じゃない。ペイオならそう言うはずだ」
「ペイオとは、誰だ?」
「この国の皇帝で、俺の……友だ」
「あんたは確かに強い。でも、強さだけじゃ、腹は一杯にならない。自分の腹を満たすために、民から搾り取る国なんて真っ平だ」
ジュルムは、立ち上がると続けた。
「あんたが王になる国は、あんたが殺してすべてを奪った者たちに滅ぼされるだろう」
腰に手を当て、小さな体を精一杯反らして、言い放つ。
「そんな国は、いらない!」
しばしの沈黙。やがてナルイチは、からからと笑いだした。笑ううちに、その体は人の姿へと戻っていった。
「ジュルム。ますます気に入った。俺が王になったら、迎えに来るぞ」
「来なくていい」
がはは、と笑ってナルイチは立ち上がった。
「そう、つれなくするな。我が息子よ」
「……早く帰れ。あんたの息子が風邪引くぞ」
ジュルムは相手の股間を指差した。
ナルイチはゲラゲラ笑うと、口笛で愛馬を呼び、ひらりと跨がった。
「また会おうぞ!」
そう言いおくと、ナルイチは馬で走り去った。他の馬賊もその後を追った。
ジュルムは彼らが草原の彼方へ遠ざかるのを見届けると、結界から飛び降りた。
程なくして、結界は消え去った。
「ジュルム、御苦労様」
彼女の足元にはボムジンが横たわっていた。服は血塗れだが、穏やかな顔で、胸もゆったり上下している。ヤノメの治療が間に合ったのだろう。
北風が吹き抜けていったが、呪力で火照った体には心地よいくらいだ。
「ああ、誰も殺さずにすんだ」
そう答えた自分自身が安堵していることに、ジュルムは気が付いた。
都から飛んで来る間、ヤノメに聞かされたのだ。ボムジンがここへ送られたもう一つの理由を。そのためには、馬賊と言えども殺すのは出来るだけ避けたかった。
「あなたが……ジュルム?」
ヤノメの背後から声がした。か細い少女の声の獣人語だった。
そちらに目を向けると、荷車の荷台から顔が覗いていた。
ほとんど銀色の髪から、ピンと尖った三角形の耳が二つ。細められた、金色の瞳。初めて見る顔だ。
「そうだ。お前の名は?」
ジュルムが問うと、少女は獣人語の名を告げた。しかし、しばらく黙り込んでから続けた。
「コニン、ともうします。ヒト族の間では」
ジュルムは微笑んだ。
「コニンか。良い名だな」
すると、コニンと名乗った少女はうつむいてしまった。月光の影になり、表情は見えない。
その荷車の影からラキアが立ち上がった。疲労が激しいのか、よろめいて荷台の縁に捕まる。
意識はあったから、ヤノメとの会話やジョルムの声は聞こえていた。
「あー、参ったぜ。死ぬかと思った」
そうつぶやくと、荷台のコニンに獣人語で声をかけた。
「もう大丈夫だぞ、コニン」
「……はい」
消え入りそうな声だった。
「どうした? ヤノメもジュルムも信頼できる。心配ない」
「……心配は、しておりません」
「そうか。なら、良かった」
そう言って、ラキアは荷台の向こう側を覗きこんだ。ボムジンの傍らのヤノメとジョルムを見てうなずく。
ジョルムは夜空を振り仰いだ。天高く、半月が輝いていた。
……今度は、助けることができた。
助けられなかったセイロンと、心に傷を負わせてしまった少女の事を思う。
……ベイオ。ファランは元気になったか?
大切な親友の二人を思う。
そして、アルム。
無性に、あの子に会いたかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます