第91話 血の代価
ファランは昼すぎに目を覚ました。
ベイオは彼女の不安を紛らわそうと、村で作りかけていた自動織機の模型を見せた。
「それでね、この
「……そう」
いつもなら興味を示してくれるのに、今日は反応が薄い。
セイロンが目の前で殺され、それに続いてボムジンまでとなれば、気に病まない方がおかしい。だが、何とか食事が取れるくらいにならなければ、身体が持たない。
「大丈夫だよ、ヤノメさんとジョルムに任せよう。二人とも強いから、絶対、助けてくれるよ」
そう言うベイオ自身、確信はないし不安で仕方がない。
携帯やGPSがあった日本ならまだしも、広い土地から短時間で人を探し出すのは難しい仕事だ。
正体が龍であるだけあって、ヤノメの呪法は強力だが、万能ではない。
「ファラン、心配したってなにも変わらないだよ」
アルムも慰めようとしてるのだろうが、その天然なところが、逆にファランの心に刺さる。
そう。自分が思い悩んでも、どうにもならない。
不眠の業をしなければ、もっと早くに予知夢を見たかもしれない。見なかったかもしれない。過去は変えられないし、未来は分らない。
ただ予知夢だけが、理不尽なのだ。
……ボムジンさん、今どうしてますか?
窓からわずかに見える空へ、ファランは問うことしかできなかった。
* * *
「やはり、来たか」
ラキアは草原の彼方を睨んでつぶやいた。膝に抱きかかえた少女コニンも、身を硬くする。
荷車を引くボムジンが振り返った。
「馬賊か」
「ああ。二、三十騎はいるな」
追い付かれる前に町に戻るつもりだったが、間に合わなかったようだ。
「マズイな。ここじゃ身を隠せる場所もない」
ボムジンは歯噛みした。
このあたりはしばらく前に開墾され、仙麗人参の畑になるはずだった場所だ。ベイオの命令で今年は作付けしなかったため、草地になっている。馬賊が暴れるにはうってつけだ。
ほどなくして、蹄の音が近づいてきた。あっという間に、周囲を取り巻く馬賊が十重二十重となった。
その中の一騎が、ボムジンに向かって槍を突き付けた。
頭髪から獣の耳が覗く。形から見て、ガフ・スガセイのような熊人族だろうか。
男はマフラーのように口元を覆っていた布を引き下げ、名乗りを上げた。
「俺の名はナルイチ。ジュルシェン族を統ペる首長だ」
意外にも、流暢な麗国語だった。
顔は濃い髭で覆われている。そして、その上唇は割れていた。純血種なのか、ジュルムたちのような訛りがある。
「大人しく、そこの人狐族の娘を差し出せば良し。拒むなら殺す」
そう来るだろうさ、とボムジンはため息をついた。
「それで、はいそうですかと渡すわけがないだろ?」
荷車の横木を離し、荷台から愛用の斧を取り出して構える。
「ラキア、後ろは任せたぜ」
「おう!」
威勢は良いが、二人とも声は硬い。
「ふん。ヒト族風情が良い度胸だ。後ろの混ざり物もな」
ニヤリと笑うと、ナルイチと名乗った男は後ろに下がった。
「かかれ!」
夕日に照らされ、何十本もの槍の穂先が輝いた。
* * *
「ここですね。間違いありません」
木立が切り開かれ切り株が並ぶ斜面に、背の低い苗木が列をなして植えられている。ボムジンが作業していた場所だ。
「こっちに行ったみたいだ」
ジョルムが指さすところに
「行きましょう」
ヤノメは龍に
そのまま街道沿いに町の方へ戻る。
「血の臭いだ」
ジュルムが嗅ぎつけ、ヤノメは木立に向かって高度を下げた。
「死体がありますね……うちの人のはありません」
ボムジンが襲われることと無関係ではないだろうが、時間がない。
「ファランの夢の通りなら、もっと開けた場所のはず」
そう言うと、ヤノメは高度を上げて街道沿いに急いだ。
ほどなく、木立は切れた。
「あそこ!」
ジュルムが指さす。土煙が輪を描いて立ち昇っていた。
その中心で、斧を振るっている巨漢。
「見つけましたわ!」
ヤノメは急降下した。
* * *
人狐族の少女、コニンは恐怖におののいていた。
恐ろしい形相の熊人族の男、手下の馬賊。彼らはコニンの乗る荷車の周囲を馬で取り囲んで走り回り、槍を突き出してラキアやボムジンに襲い掛かる。
ラキアは荷車を飛び降り、獣人の力を発揮して手にした角材を振り回して牽制している。敵も、すぐ後のコニンを傷つけたくないからか、あまり積極的には出てこない。
逆に、反対側のボムジンへは敵が殺到していた。巨体なので、こちらが手ごわいと見られたのだろう。
……あの人は、なぜ?
槍が左の肩を突いた。血は流れ、苦痛に呻くが、ボムジンは引き下がらない。斧を振り回し、刺さった槍を断ち切る。
「がぁ!」
言葉にならない叫びを上げ、槍を失った馬賊に斧を叩き込む。
刃のついていない側を。
そして、突きこまれた別の槍をかいくぐり、斧の平らな面で馬賊を馬から叩き落とした。
……なぜ、あんな戦い方を?
木を切る斧は人も斬れるはず。だが、ボムジンはその刃を相手に向けようとしない。
コニンは、自分を守ろうと必死で戦う男たちを見て来た。しかし、彼は全く違う。
「俺は! 木こりだ! 兵士じゃ! ねえんだよ!」
彼の叫ぶ言葉は、コニンにはわからない。
血まみれになっても、相手を殺さない理由がわからない。
わからないけど、目が離せなかった。
そして、その時は訪れた。
自分の流す血が指先まで伝い、振り回した斧が滑って手を離れた。
その隙に、一本の槍がボムジンの胸に刺さり、コニンの目の前に突き出た。
朱に染まった穂先が、沈む夕日に照らされ、禍々しい光を放つ。
瞬間、目の前が真っ暗となった。
同時に、音も消え去った。
静かで暖かい闇に包まれ、コニンは戸惑いながらも恐怖が和らいだ。
同時に、ボムジンの事が気がかりとなる。
「……ポムジン」
初めてその名前を口にする。こんな時は、きちんと発音できない自分の唇がうとましい。
「優しい
柔らかい女性の声。獣人語だった。
「何とか間に合いました。あと少し遅れていたら、助からなかったでしょう」
言葉と共に、ぼうっと視界が明るくなった。
目の前に、長い黒髪の女性が、ボムジンを膝枕で抱きかかえていた。女性はなぜか全裸で、ボムジンの血が胸のあたりについていた。
その白い肌が淡い光を放っている。
「わたくしはヤノメ。この人の妻です」
こちらを向いたその顔は、ぞっとするほど美しかった。
その膝の上のボムジンの顔は穏やかで、今は眠っているようだ。
「……ポムジンは、なぜ、敵を殺さなかったの?」
ヤノメの神々しいまでの美しさに気後れしながらも、コニンは気にかかっていたことを口にした。
微笑むと、ヤノメは答えた。
「この人は、優しいのです。木こりをしながらも、森の小動物の事を気にかけるほどに」
ボムジンの髪を撫でながら、ヤノメはつぶやくように語る。
「木を切るのが木こりの仕事。人を斬るのは違う、とでも言うでしょうね」
そう言うと、彼女はふと顔を上げた。
「どうやら終ったようですね。ジュルムを褒めてあげないと」
「……ジュルム?」
「あなたと同じ、獣人の男の子です」
そう言うとヤノメはボムジンを膝からおろし、立ち上がった。
胸のあたりについていた血が消えていく。そして、身体の周囲に布が現れ、巻き付いて衣となった。
「外へ出ましょう」
その言葉と共に、周囲の闇が晴れた。
見回すと、既に馬賊たちの姿はなかった。夕闇に染まる草原のはるか向こうに、月明かりに照らされた土煙が見える。
後ろでは、疲れきったラキアが荷車にもたれ掛かっていた。
恐れていたが、回りには死体はないようだ。
「ジュルム、御苦労様」
ヤノメが声をかけた方を向いて、コニンの心臓がどくん、と音をたてた。風が吹き、月光に輝く金と黒の髪を揺らす。同時に、その身体から立ち上る香りが、彼女の鼻腔に届いた。
「ああ、殺さずにすんだ」
振り返った少年の上唇は、自分と同じように割れていた。
少年とヤノメの会話はヒト族の言葉だったが、コニンは獣人語でつぶやいた。
「あなたが……ジュルム?」
ジュルムは初めてコニンに目を向けた。
「そうだ。お前の名は?」
問われて、獣人語での名前を答えたが、それでは足りないと気づいた。
「コニン、ともうします。ヒト族の間では」
ジュルムは微笑んだ。
「コニンか。良い名だな」
そして、少女は恋に落ちた。
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