第90話 埋もれた宝
「ふ~、なんとか終ったな」
見渡す限りの斜面に植えられた苗木を眺め、ボムジンは満足げにつぶやいた。
半島の東北部は、冬が早い。既に初雪は降っているが、それすらも凍り付かせる強烈な北風が、容赦なく吹きすさぶ。当然、それで倒されないように苗木には支えが添えてあり、それがまたボムジンの仕事を増やす。
伊達にこの歳まで木こりを続けてはいない。斧を振るえば、それだけの木材は積み上がる。実際、彼と一緒に入った他の木こりがまだ伐採途中なのに、その後の植林まで終ろうとしているくらいだ。
とはいえ、苗木を植えるのは別な労苦だ。腰を屈める作業は、力仕事とは違う疲労がたまる。ぐーっと腰を伸ばし、こわばった関節をほぐす。
「おーい、ラキア。そっちはどうだ?」
切り開いた斜面の反対側へ声をかけると、苗木の向こうから犬耳の頭が覗いた。
「こっちも終わったぜー!」
そして、ひょいひょいと苗木をよけて、こちらへ走ってくる。
「思ったより早かったな」
ラキアが笑顔で肩越しに斜面を振り返る。
「ああ、これなら明るいうちに宿に戻れそうだ」
ボムジンは晴れ渡った青空を見上げた。まだ暗いうちに街を出たおかげで、日はまだ高い。寒さは厳しいが、気持ちは大きくなった。なら、暖まるものがいい。
「よし、ならこの間もらった酒を開けようぜ」
景気のいい言葉に、ラキアの尻尾が振られる。
「おう! 馬賊の火酒だったな」
威勢は良いが、ボムジンの巨体の前だと子供のように見えてしまう。ベイオはひそかに凸凹コンビと呼んでいる。
町で世話になっている老代官が、明日から天気が崩れると告げたので、今日中に区切りのいいところまで済ませようと、二人で頑張ったおかげだ。
北の国境を越えてやって来る馬賊は、略奪もするが時には交易品も持ってくる。その中でも、馬などの乳を発酵させて作る酒は珍重された。火酒は、それをさらに蒸留したもので、大量の燃料が要る。草原ばかりで薪が採れない北の大地では貴重品だ。
木材を切り出す副産物で大量の薪ができるので、それと交換で先日の市で手に入れたものだった。
苗木を積んできた荷車を引いて、ボムジンは山を降りた。ラキアはちゃっかりと空の荷台で寝ころんでいる。
「たまにはお前が引けよな。本気出したら俺より力あるんだろ?」
獣人の
「俺は職人だからな。力仕事は柄じゃねーよ」
荷台の隅に寄せてある器具を眺めて、ラキアはそううそぶいた。苗木を痛めずに大量に運べるよに、こちらに来てから彼が作った物だ。
「ん?」
突然、体を起こしてラキアは鼻をひくつかせた。
「どうした?」
車を止めてボムジンが振り返る。
「……やベーな、こりゃ」
ラキアは顔をしかめた。
「血の臭いだ。少なくとも三人分……」
「そこまでわかるのかよ」
犬人族の鼻の良さに呆れるボムジン。
「馬の臭いも、かすかにある。馬賊だな」
被害者の出血が離れても臭うだけの量なら、もう助からないだろう。
「折角、今年は襲撃がなかったのによ。関わらねぇでさっさと町へ――」
ラキアは言葉を切り、やおら荷台の上に立ち上がった。
「どうした? 急に――」
「ワリぃ。見捨てるわけに行かなくなった」
パッと荷台から飛び降り、ラキアは木立の中に駆け込んだ。
「おい! ラキア!」
放っておくわけにもいかず、ボムジンは荷車を道端の藪に隠すと、ラキアのあとを追った。
木立の中には、かろうじて馬一頭が通れるくらいの獣道が通っていた。酷く踏み荒らされており、かなりの人と馬が通ったようだ。
その、踏まれて広がった道が元のようにすぼまる所が、惨劇の現場だった。
「ひでえ……」
ボムジンは吐き気を覚えた。力自慢ではあるが、荒事が好みではない。
恐らく槍だろう。滅多刺しにされた血塗れの死体が五、六人。半数には耳や尻尾があるので、獣人だ。なぜか一人だけ、やけに薄着なのが気になった。
「穴でも掘って埋めてやるか。馬賊どもが戻って来なけりゃ、だがよ」
死体のそばにかがみ込み、ボムジンはそうつぶやいた。
「……ラキア?」
返事がないので見回すと、彼は四つん這いで地面を嗅ぎながら、今来た方に戻っていくところだった。
「見つけた!」
藪の中に飛び込む。そこだけ下生えがなく、こんもりと土が盛り上がっていた。
その盛り土を、ラキアは素手で掘りはじめた。
「何だよ、宝でも埋まってるのか?」
「そうだ、宝さ!」
それにしては、必死だ。訳がわからないボムジンだが、手を貸すことにした。人一倍大きな手で、バサッと土をどける。
「布? いや、服か」
引っ張り出すと、中身が入っていた。子供だ。頭からすっぽりと上着をかけられ、埋められていたようだ。
「大丈夫か?」
ラキアが声をかけて抱き上げ、声をかけたが返事はなかった。次に鼻をならすような声をあげる。しばらくすると、頭巾を被った小さな頭がコクンとうなずいた。獣人語が通じたようだ。
上着の下にわずかながら隙間があったから、すぐには窒息せずにすんだのだろう。しかし、時間の問題だったはず。
追っ手に捕まらないよう、とっさに穴を掘って隠したのだろう。何とか逃げ延びたら、掘り起こしに戻るつもりで。おそらく、上着を着ていなかった男だろう。
「獣人たるもの、恐怖に怯える子供の匂いを嗅いで、無視するこたぁできねえからな」
手慣れた仕草でラキアは子供を抱き上げた。
しかし、土に埋められても匂いでわかるとは。ボムジンはつぶやいた。
「よくお宝の匂いとか言うが、これは子宝っやつか」
そう言えばコイツは妻子持ちだったな、と納得したボムジンだった。
「ましてや、これだからな」
そう言って、ラキアは子供の頭巾を脱がした。ピンと尖った三角の耳。銀に近い金髪は狐の体毛を思わせた。
そして……左右に分かれた上唇。
間違いなく、純血種だった。
* * *
獣人の子供は、コニンと名乗った。一緒にいたのは半数がヒト族だから、獣人式の名前とは別に名付けられているらしい。
ちなみに、女の子だ。ボムジンに確かめる術はないが、ラキアの鼻が断言するのだから、間違いないだろう。
犬人族の鼻は、目よりも口よりも、ものを言う。
コニンはすぐに、同じ獣人のラキアになついた。獣人語が通じる上に、「匂い」と言う共通言語もある。
年齢は数えで五つ。アルムの一つ下だ。同じくらいの子供がいるのも、ラキアへの信頼に繋がったようだ。
一方、ボムジンは怖いらしい。なんと言っても、体が大きいし、言葉が通じないし、声もデカイ。
その辺は、普通の子供と同じだ。
それでも、撫でてやろうと手を差し出して、恐ろしげに尻込みされると、さすがにへこむ。
「まあ、ベイオが特別なんだろうけどよ」
そうつぶやき、ラキアたちのために藪を押し広げてやる。
気さくで優しい性根のボムジンだが、見た目は
そんな彼に臆することなく話しかけてきたのは、あの不思議な少年が初めてだった。
それが縁を引き寄せたのか、ヤノメと夫婦となり、今がある。
人生とは、面白いものだ。
やがて藪は途切れ、荷車を隠した場所にたどりついだ。コニンを抱いたラキアが荷台に飛び乗り、ボムジンに声をかけた。
「急ごう。やつらの目的がこの子なら、諦めるはずがない」
物騒な話だ。できれば関わりたくないが、こんな小さな子供を放り出すわけにはいかない。
荷車を引く横木に手をかけ、ボムジンは空を見上げた。
すでに、日はかなり傾いていた。
* * *
龍の姿で、ヤノメは東北部へと夜空を飛ぶ。ジュルムを片手に掴んで。そして日が昇る前に、とある町の外れの木立の中に降り立った。
ボムジンたちが船旅に出る前の予定では、彼らはこの町に滞在しているはずだ。
ジュルムを地面に置くと、ヤノメは人の姿に
「やっぱり、裸じゃ寒いか」
そう言うジュルムも、自身に身体強化をかけている。北の土地はもう冬真っ盛りで、都の服装では凍えてしまう。上空はなおさらだった。
しかし、ヤノメはさらりと答えた。
「乙女のたしなみです」
そう聞いても、ジュルムは何となく、ヤノメが乙女というのは変な気がした。ベイオなら「乙女って未婚女性でしょ」と突っ込むところだ。
そんな疑問はさておき、二人は木立を抜けて町へと入った。寒い冬の朝だが、町びとが何人か水汲みなどのために家から出てきていた。
さほど大きくない町だが、代官屋敷はそれなりに大きく、見間違うことはなかった。代官なら、ボムジンたちが逗留している宿もわかるはずだ。
そして、彼らが出発する前に合流できれば、なにも問題はなくなる。
――そのはずだった。
「……もう出たのですか?」
仕事熱心にも程がある。
「うむ。まだ暗いうちじゃったの」
なんでも、明日から天気が崩れるので、残りの苗木を全部持って出たらしい。
好々爺を絵に描いたような代官は、ヤノメがボムジンの嫁だと聞くと、屋敷で待つように薦めてくれた。
「ありがとうございます。でも、一刻も早く夫に会わないといけないのです」
「ふーむ、よっぽど旦那が恋しいのじゃのぅ」
わしも若い頃は、などとつぶやく老代官に一礼し、ヤノメは屋敷を後にした。
「なあ、ヤノメ。あんたの呪法でポムジンを見つけられないのか?」
ジュルムの疑問に、ヤノメは首を振った。
「ベイオほどの運気があれば、海を越えてでもわかりますが、うちの人のはずっと穏やかですから」
ジュルムには「運気」が何かわからなかったが、すごく臭うものに違いないと思った。
……ちっこいペイオのほうが、でっかいポムジンより目立つなんて、おもしれえな。
そんな余裕は、昼過ぎには消え去った。
再び龍に
伐採が終わって植林を始めていたのは、ボムジンのところだけらしい。だから、植えられている苗木が目印になる。
しかし、それらをしらみ潰しに、しかも下から見られないように探すのは予想以上に大変だった。
そして、陽は刻一刻と、傾いてゆき、やがて真っ赤に染まった。
血の色のように。
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