第52話 日々出ずるもの

「良かった。思ったほど臭くない」

「臭いけど、ひどくはないだよ」


 ベイオとアルムは、試験的に設置した共同便所の様子を見に来た。大きな瓶を地面に埋めた上に小屋を建て、便器を設置したものだ。


 前世では、産まれた時からシャワー付き水洗トイレが当たり前だったので、いわゆる「ポットン便所」は話に聞いたことしかない。


「悪臭がこもったら、利用者が出ないかもしれないからね」


 小屋の裏手からは臭気抜きの煙突のようなものが出ていて、その上部には風力で回る換気扇が付けられている。


「昨日一日で、五十人が使ってくれたみたいだ」


 小屋の扉には鍵の代わりの腕木があり、横にすれば扉は開かず、縦にすれば開く。単純なだけに、誰にでもわかる仕掛けだ。扉の外側に出た軸には小さな矢印が付いているので、使用中かどうかもわかる。

 この腕木の軸には歯車が仕込んであり、開け閉めした回数が出るようになっている。


 おそらく、利用者の大半はこの区域に駐屯しているディーボン兵だろう。本国の便所とよく似ているから、抵抗なく使ってくれている。それに対して、都の住民の方はまだ様子見なのだろう。


 設置から十日経っているので、結構溜まっているようだ。


「よし、汲みだしてみよう。アルム、その荷車を裏手に回して」

「わかっただ」


 荷車の荷台には大きな樽が載っていて、その後ろ側の縁からは斜め前方に木製の太い筒が突きだしていた。その先端には箱型のカバーが付いている。

 荷車を便所小屋の真後ろに付けて、車輪に車止めをはめると、ベイオは言った。


「アルムは離れてていいよ」

「うん」

 ここから先は、アルムの敏感な鼻には辛いだろう。


 小屋の裏手には、地面より少し高くなった台があった。その上面の奥から臭気抜きの煙突が突きだしていて、手前には木製の小さな扉があった。

 その扉を開けると、陶器で出来た斜めの太い筒が地面の下へと伸びていた。


「くはっ……こりゃ、流石に臭いな」


 そう言いながら、樽の後ろに付いている筒の下端から蓋を外し、ハンドルを回した。筒がするするとスライドし、地下に伸びる陶器の筒に刺しこまれていく。その途中で、樽の蓋にある栓も外す。

 筒が十分下がり切ると、筒の上部カバーを外し、筒の上端と樽の蓋に開けられた穴をそれで覆った。


「よし、上手く行けよ!」


 今度は別なハンドルを回す。多少の抵抗があるが、筒全体が回転しだした。しばらく回していると、樽の中からボタボタと音が聞こえて来た。同時に、樽の上に着けたカバーから臭気が漏れてくる。


 この筒は簡易型のネジ式ポンプだ。揚水用との違いは、中のネジと外側の筒が一緒に回るようになっている点だ。この筒全体を回すことで、水だけでなく半分個体であるも汲み上げることができるのだ。


 やがてハンドルが軽くなり、さらにしばらく回すと樽の中からも音が聞こえなくなった。


 樽の上のカバーを外し、もう一度、筒の上部にはめ込み、樽に栓をする。

 そして、さっき回していた方のハンドルを逆回転させる。

 筒がするすると引き出されて来た。汚物が付いている部分が見えた時点で、手桶に汲んであった水を流しこみ、洗浄する。

 そして、全部が出てきたところで、筒の下端に蓋をした。

 最後に、小屋の後ろの扉を閉める。


 手も汚れない、臭いを嗅ぐのも最低限で済む、衛生的な汲み取り装置だ。何よりも、を目にしなくて済む。


「大成功だ! 粘土を溶いた泥水で、何度も試したとおりだ!」


 最初はカバーを付けていなかったので、ネジ式ポンプの回転で泥が飛び散ってえらい目にあった。また、ポンプを引き上げた後、その上端から荷車を引く者に泥水が滴り落ちたこともあった。

 改良を繰り返した結果、小さな異物なら混入しても問題ないことも分かり、実運用テストとなったのだ。


 アルムを手招きし、車止めを外す。


「じゃ、汚物の集積場に行こう」

「うん」

 アルムに荷車を引いてもらい、汚物の集積場に向かった。


 集積場は都の外れにある細長い建物で、ほぼその全体を四角い大きな容器が占めていた。

 この容器は上と下から互い違いに仕切られ、五つの区画に分かれている。手前の容器に入れられた汚物は、最初の仕切の下をくぐって次の区画へ流れていく。そこが一杯になると、次の区切りの上から溢れ、その次へ。これが繰り返されることで、最後の区画に溜まるときには一カ月以上が立つはずだった。

 容器は密閉されているので、一カ月も発酵が進めば酸欠常態となり、病原菌や寄生虫の卵は死滅する。

 これで、疫病や寄生虫の心配のない、安心して使える下肥が出来るわけだ。


「ただ、問題は農民が使ってくれるかどうかだよね。さすがに最初は嫌がるだろうけど」


 とはいえ、肥料の有無は収穫量に如実に出る。初年度は理解を示してくれた少数に限定し、成果にものを言わせるしかないだろう。


 また、ディーボン人の農夫から聞いた話では、肥料には作物を植える前に与える元肥もとごえと、収穫までの間に何度か与える追肥おいごえがあるそうだ。今からなら、一度か二度、追肥ができる作物があるらしい。

 元肥の方は、まずは秋撒きの麦に使えるはず。その頃には、最初に追肥を使った農家が凄いことになっているはずだから、需要も増えるに違いない。

 都のある半島の西側は平野部が多く、広い農地が広がっていた。使う農家が増えれば、都だけでは足りなくなるはずだ。そうしたら、他の町や村にも広めていけばいい。


「町中に落ちてる馬糞や牛糞の方は、そのまま堆肥にできるらしいしね」

 こちらは既に運用が始まっている。堆肥に混ぜ込む藁や落ち葉などの分量などは、ディーボン人のノウハウがそのまま活かせた。


「都が臭くなくなるのは嬉しいだ!」

 アルムも喜んでくれてる。


 ……これで、汚物を投げつけるような奴がいなくなるといいな。


 そう思う反面、次は石になるだけだろう、などとも思えてしまう。

 そっちは、ジョルムに頑張ってもらうしかない。


* * *


 ガラガラと音を立てる荷車を引いて、山間の街道を進む。


「本当に、身体の方は何ともないんだな?」

 ボムジンは、荷車に乗せたヤノメを振り返って尋ねた。


「はい、大丈夫です。ご心配かけてすみません」

 恐縮して答える彼女だが、質問そのものには答えてくれない。


 そもそも、出会った次の朝からしておかしかった。

 荷車の積み荷を整理して、ヤノメを乗せようとしたのだが、「自力で行けます」と固辞したのだ。

 てっきり、男の自分を信用しきれないのだと想った。


「ふしだらな事はしないから、心配するな」

 そう言ったとたん、今度は涙目で謝り出したのだ。


「とんでもありません。優しいあなたを傷つけてしまって、申し訳ありませんでした」

 それで、一緒に旅をすることになったのだが。


 ……あれから何日も用を足さないで、本当に大丈夫なのか?


 要するに、「お通じ」である。

 ボムジンの方は、毎朝起きると木立の中などで済ます。しかし、彼女の方はそんな様子が全くない。食事の方は、普通に食べているのに。


 非常に気になるが、さすがに直接は聞けないので、体調を気遣うだけにしている。


 ……もしかして、ディーボンにはそんな必要が無くなるような、呪法か薬の秘術でもあるのだろうか?


 考えても、学のないボムジンにはどうしようもなかった。

 仕方がないので、当たり障りのない話題に切り替えた。


「今日も天気が良いな」

「そうですね、過ごしやすいですね」

「しかし、晴れ間が続きすぎると、水が不足するからな」

「それは心配ですね」


 そこから、水車を使った灌漑の話になった。


「ぜひ、会ってみたいですわ、そのベイオという男の子に」

「ああ、都に着いたら会わせてやるよ」


 とりあえずヤノメの謎は棚上げにしたおかげで、旅路はつつが無く進んだのだった。


 そして、出会ってから数日後。

 二人は都にたどり着いた。


「ここが都かあ」

 初めて目にする街並みに、お上りさん丸出しでキョロキョロするボムジン。

「立派な門ですね」

 ヤノメも、さっきくぐった南大門に感銘を受けたようだ。


 時刻はほぼ正午。背後からの南風が吹き抜けていく。ベイオの汚物回収事業が軌道に乗ったので、都は見違えるように清潔になっていた。


「おや、あれは……アルムだな」

 ボムジンが大通りの向こうを見て言う。突進してくる赤毛は、間違いなく獣人の娘だ。その後を追いかけて来る金と黒の縞模様は、ジュルムだろう。その後から、獣人大人組もやって来る。


「なんだ? 歓迎してくれる……にしては、変だな」

 首をかしげるボムジンの手前で、アルムが立ち止まった。

 その彼女をかばうかのようにジョルムが前に出て、荷台に座るヤノメを指さし、叫んだ。


「お前、何者だ?」


 ……いや、俺もずっとそれが聞きたかったんだけど。


 ボムジンはヤノメを振り返ったが、彼女は微笑んでいるだけだった。

 しかし、遅れてやって来た獣人の大人二人の内、アルム父が抱えている少年に目を止めると、満面の笑みで立ちあがった。


「ようやく会えましたね、ベイオ。この国の新しい王よ」


 ボムジンをはじめ、一同の目がベイオに注がれた。


 ……お、おう?


 そのベイオが、一番わけが分からなかった。

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