第51話 縁
「チッ、また逃げられたか」
拳を手のひらに叩きつけ、大将のガフ・スガセイは忌々しげにつぶやいた。
「逃げ足だけは歴代国王でトップでしょうな」
参謀のゾン・ギモトも辛辣だ。
ガフが率いる第一陣は、逃げた国王の後を追って、北都に迫った。
「ここまでが酷すぎましたからな」
相談役の老師も渋い顔だ。
追撃を開始してからこの方、国王側がとった戦術は、徹底した清野作戦だ。
ディーボンが占領しても麦一粒すら与えまいと、町や村から住民を追い出し、焼き尽くしてから撤退していったのだ。
しかし、流石に北都を焼き払うことには抵抗があったようだ。
北都は麗国の前にこの半島にあった国の首都だ。歴史のある古都であり、無傷で占領できたのは
それでも、ガフの部隊が到着した時、北都の街並みは大混乱だった。追い立てられた町村の住民がひしめき合い、食料も不足していた。
「このままでは暴動が起きかねません。糧食からの食料配布の許可を!」
混乱を治めるため、ギモトはガフに進言した。
「占領軍が食料を配るとはな」
苦虫を噛み潰した顔で、ガフは許可を与えた。この国に来てから、戦に勝っても酒池肉林には全く縁がない。
「河の手前を焼き払うなどして、こちらの進軍の足止めをしていたのは、稼いだ時間で自分らの糧食を運び出すためじゃったか」
配給に並ぶ列を眺めながら、老師は白く長い顎鬚をしごく。
占領地から糧食を徴発するどころか、逆に吐き出させる策略だ。そして、後方からの補給が届くまで、ガフ達はここに足止めされる。
「セイロンめ。姑息な事をやりよる」
兵力でかなわなければ策を弄してすり減らす。
退却が続いたのは、臆病風に吹かれただけではなかったようだ。
「ギモト殿。北都を引き払ったのは、中つ国との交渉が進展した為かもしれませんぞ」
老師の言葉に、ギモトはうなずいた。
「可能性は高いですな。でなければ、ここで徹底抗戦したでしょう」
北都は東西に流れるデドン河の北岸にあり、攻略するためにはこの河を越えるしかない。南岸の船を全て北に移してしまえば、残りの渡航可能な場所に防禦陣を敷くことで、護りやすくなる。
ガフの部隊が進撃してきた時には、既にそうした防衛準備は整っていた。それを放棄して撤退したのだから、老師の読みは確度が高い。
「なら、先を急ぐべきだな。北岸に集まってる船で、人も物資も急いで運ぶように」
ガフの指示により、ギモトはすぐに手配に向かった。
「老師。中つ国の呪法は、それほどの脅威か?」
ガフは、今一つ呪法の威力に納得いかない。彼が知る敵側の呪法と言えば、風の峠での決戦で放たれた一発の炎の矢だけだ。
ギモトが対峙したゾン・ゾゲン。この戦役の序盤であるドネン城攻防戦を指揮していた文官は、呪法を駆使して抵抗したと言う。しかし、最後は複数の鉄砲で狙われ、命を落としている。
一対一や少人数であればまだしも、集団戦での呪法による攻撃は、かなり限定されてしまうだろう。
ディーボンは、呪法が使えない獣人がかなりを占める。そのため、呪法そのものがあまり戦には使われなかった。鉄砲が伝来して以来、さらにその傾向は強まっている。
「お主の知るそれらの呪法は、いわば護身用じゃ。武器を持たぬ文官が身を護るための物で、懐刀程度のもの」
老師の指摘に、ガフは「ふむ」とうなずいた。
「より高度な呪法には、戦に使える戦術級がある。ある程度広い範囲に、また幾百幾千の兵に効果を及ぼす。攻防の両方でな」
「風の峠であんたが使った、防御結界がそれか」
確かに、あれを敵側が使ったら厄介だ。鉄砲の弾丸も防げるのかどうかは分らないが。
「攻撃用の呪法もあるがの、出来れば同胞には使いたくないのでな」
あのクラスの攻撃呪法としては、老師がベイオ救出のために宮城で駆使した雷撃の豪雨、「雷神の舞」がある。
「さらには、戦そのものを抑止、または終わらせてしまう、戦略級もある。流石にこれを使うと、国が滅ぶがの」
そこまで行くと、ガフには想像もつかなかった。
「それは……あんたも使えるのか?」
「まさか。そこまで使えるとなると、もはや人とは呼べん。神仙の領域じゃ。山を砕き、海を干上がらせるとすら言われとる」
ただし、と老師は続けた。
「その域の呪法を体現する生物は、おる」
「……生物?」
怪訝な顔のガフに、老師は告げた。
「龍、じゃよ」
* * *
「そろそろ、野宿の準備でもすっか」
都への気楽な一人旅を続ける、木こりのボムジン。旅の供は独り言だ。
日は西の山々の稜線にかかり、日中の蒸し暑さも薄らいできた。
半島の東側は大山脈が連なり、途中で枝分かれした中央山脈が南西へと伸びる。その両方に挟まれた地域が、ベイオの産まれた村やブソン港のあるケイサン道だ。全域が山がちであり、平地は少なく、街道も曲がりくねっている。
その曲がった街道を進んでいて、ふと奇妙なものを見てボムジンは歩みを止めた。
「ありゃあ、野犬の群れか?」
稀に、街道でも人が野犬に襲われることはある。ボムジンも、遠くに見かけたことならある。
しかし、街道の上で輪になって座り込んでいるのを見たことはないし、話に聞いたこともない。
一匹二匹なら、自慢の怪力で蹴散らす自身はあるが、車座になってる群は十匹以上いる。下手に近づくのは危険すぎる。
と、その一匹がこちらに気づき、向き直った。その瞬間、犬の背後が見えた。
「人だ!」
瞬間、荷車を引く横木から手が離れ、ガタン、と荷台が地面を討った。そこから身の丈の長さの棒を取り出し、走り出す。
野犬の輪の真ん中で、人が倒れている。距離と夕闇のため、年齢も性別も分らないが、放っては置けなかった。
「こらぁ! お前ら!」
大声で怒鳴りながら、棒を風車のように両手で振り回しつつ、野犬の群れに突進する。
その勢いに
後に残ったのは、うつ伏せに倒れた人。白か、単色に染められた衣が殆どであるこの国には珍しく、色とりどりの薄絹を重ね着している。
「女……か?」
小柄で、背はボムジンの胸まで届くかどうか。
長い髪をうなじのあたりでまとめ、途中を帯紐で何度か縛りつつ、脚の方まで延ばしてある。この髪形も初めて見るものだ。
黒い髪は艶やかで、月明かりを反射して縞となっていた。その模様が、ゆっくりと動いている。
「生きていたか。良かった」
眠っているのか、気絶なのか。
このままにしては置けないので、そっと抱き上げ、荷車の方へと戻った。そして左手のみで抱きかかえ、空いた手で
「べっぴんだな」
華やかな衣裳とは裏腹に、顔は化粧気がなく、健康そうな肌のままだった。歳の頃は二十歳前後か。
衣の上から見た限りでは、外傷は無さそうだった。
「何はともあれ……メシの用意だな」
村から都までは、馬でも数日かかる距離だ。急がずゆっくり進むので、十日ほどかかるだろう。天候が荒れれば、適当な場所でやり過ごすこともある。
なので、食料は村で手に入るだけ仕入れておいた。干し肉や魚の干物、漬物などだ。
火を起こして、鍋に雑穀と具材を入れて雑炊を作る。串に刺した干し肉や干物を周囲に立てて炙る。手慣れたもので、あとは出来上がるのを待つだけだ。
やがて、鍋や串刺しから良い香りがし始めた。その匂いのせいか、ボムジンの腹が鳴ったせいかわからないが、女が目覚めた。
「……ここは?」
このような状況で発せられる、典型的なセリフだ。
しかし、だからこそボムジンは返答に窮した。
「すぐそこが街道だ」
手を伸ばして傍らを指さす。
「どこの街道ですか?」
ますます戸惑う。この辺に住んでいるなら、「どこの」も何もないし、旅人なら相当な方向音痴だ。
いや、そもそも彼女の来ているものからして、どう見ても旅支度ではない。荷物すら見当たらなかった。
それでも、ボムジンは律儀に答えた。
「ブソン港から都へ向かう街道の途中だ」
「ブソン……ここは、何と言う国ですか?」
訳が分からない。これが、浜辺に流れ着いた漂流者なら、まだ話が分かるが、ここは山の中だ。
そこで、彼はある可能性に思い至る。
「ひょっとしてあんた、人攫いにでもあったのか?」
遠く離れた土地で攫われて、この場所に放り出されたのなら、つじつまが合う。
「いえ、そうではなくて……」
と、今度は女性の腹が「くう」と鳴った。
「……すみません、お恥ずかしい」
「ま、その辺はメシでも食いながら話そう」
言うなり、ボムジンは雑炊の鍋を火からおろし、蓋を開けた。食欲をそそる香りが濃厚に広がる。
それを椀によそって、女に差しだした。
「ありがとうございます」
一礼して女は椀を受け取り、口をつけた。
「あんた、もしかしてディーボンの生まれか?」
麗国では、盃以外の器を手に持って飲食することはない。逆に、ディーボンでは椀を持って食べる。文化の違いという奴だ。
「え……あ、はい。海を越えてやってまいりました」
「そっか。まあ、どんどん食べてくれ。串焼きもあるぜ」
そう言いつつ、自分もガツガツと食べ始める。
女は育ちが良いのか、食べ方にも気品があった。品よく串焼きをかじるという、高度な作法を身に着けているくらいだ。
「で、どこを目指していたんだ?」
「はい、まずは都へ」
……女の一人旅で? ねぇって。
女性の脚では二週間はかかるだろう。
「あれか。車か何かに乗ってきたのに、ここで放り出されたとか?」
考えられる限りの、ありそうな想定だった。それでも、今いる国の名前すら分からなかったのは謎だが。
しかし、女は首を振った。
「……まあいいや。都に行くなら、俺と同じだ。俺はボムジン。木こりをやってる」
名乗ると、女は一礼して答えた。
「……ミミガ・ヤノメと申します」
変わった名だな、と思いつつも、異国の生まれだから気にならなかった。
その後もあれこれ話したが、ヤノメはなぜか、自分の境遇については言葉を濁した。
「腹も膨れたし、そろそろ寝るか。ヤノメ、あんたはその筵で良いか?」
「はい、ありがとうございます」
ボムジンは予備の筵を荷車から取り出し、焚火を挟んだ反対側に敷いて横になった。
振り仰げば満天の星。雨の心配はなさそうだ。一日、荷車を引いて歩いてきたから、相応に疲れてもいる。
しかし、反対側のヤノメが気になって、なかなか寝付けないボムジンだった。
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