第50話 夏

 雨季が明け、半島の南部に蒸し暑い夏が訪れた。

 ベイオにはピンと来ないが、例年に比べると一週間ほど早いらしい。

 干魃の予兆だ。


 前世の記憶があるベイオだが、この世界に生まれてからものは、三歳くらいまでしか辿れない。だから、過去の記録と照らし合わせて確かめたいと思い、書庫を訪ねてみたのだか。

 その記録が、さまざまな資料が、ほとんど燃やされてしまっていた。


「これって、思ったより大損害だね」

 一緒に来てくれたラキアに、ベイオは呟いた。


 焼け残ったわずかな史料を前に、ベイオは頭を抱えた。気候どころか、土地や人口の統計すら、ろくに残っていないのだ。

 火災を防ぐために書庫を石造りにしたのだろうが、押し入って火を放てば堪らない。


「全くだ。気持ちはわかるけど、手当たり次第燃やさなくても良いのにな」

 ラキアもうなずくと、そうつぶやいた。


 暴徒たちが書庫を燃やしたのは、奴婢、つまり奴隷の登記簿のためだ。これを燃やせば、奴隷から解放されると思ったのだろう。

 現実はそんなに甘くないのだが。


 汚物の回収処理を始めようと考えているベイオだが、せめてディーボンの支配下になった地域だけでもきちんと人口統計を出さないと、処理すべき汚物の量が見積もれない。

 もっとも、今までの人口調査は人頭税のためだったので、数えていたのは五歳から五十歳までの男性だけだ。全人口の方は、そこから推計するしかない。

 それでも、ないよりは遥かにましだ。


 また、灌漑や治水が必要な地域や規模も、土地ごとの記録が必要だ。手始めに故郷の村を優先したのは、ある程度わかっていたからでもある。


「まあ、人口調査や測量はやり直すしかなかったろうけどね」

 ベイオの呟きに、ラキアが応えた。

「うーむ。こっちでも検地やることになる

か」


 ……秀吉の検地と刀狩り。この世界でもやってたんだ。


 もっとも、刀の方は必要なさそうだ。そもそもこの国には、ろくに刀がない。武力を軽んじたのもあるが、鉄の生産量が少なすぎるのだ。


 前世の歴史に出てくる大閣検地だが、これが画期的だったのは、同時に人口統計も取り、耕作者に直接課税した点だ。

 このお陰で中間搾取が一掃され、国が安定したと、評価されている。


 相変わらず、「みやまさ」先生の受け売りだが。


「まあ、検地なら任せとけ。獣人のなかには、結構、麗国語をしゃべれるやつが増えてるからな」

 ラキアの言葉に、ようやくベイオも気持ちが上向いてきた。


 武人と職人に続いて、役人も渡ってくるわけだ。この分なら、じきに商人も押し寄せて来るだろう。そうなれば、貨幣経済が一気に進む。


「学校の方でも、色々手伝ってもらってるのに、済まないね」


 水車小屋などの建設から手が離れたので、ベイオは秋に開校予定の技術学校の準備に取りかかっていた。

 さすがに一人で全部は教えられないので、読み書きなどの基礎は、元官吏の人をゾエンが紹介してくれた。金属加工はイロンが手伝ってくれるし、ラキアも加わってくれる。


 しかし、記録焼失の問題は、ここにも影響してくるはずだ。


 この国、と言うよりこの時代には、工芸はあっても工業はない。両者の違いは、経済との関わり方だ。

 文化の一部である工芸に対し、工業は経済を動かし、その規模を増していく。何をどれだけ作るかは経済規模によるし、作った物が売れれば経済は成長するのだ。

 作っても売れなければ資源と労力の浪費だし、少なすぎれば経済発展にならない。


 その「何をどれだけ」が、人口やその分布などの統計により決まる。と言うことは、どの分野の技術がどれだけ必要とされているかに影響するわけで、教える教科の配分が変わってくる。


 それがほとんど、灰になってしまったのだ。検地の必要性が、さらに上がる。


 ベイオはラキアと検地の具体的なスケジュールについて話しながら、灰と焼け焦げた紙くずばかりの書庫を後にした。


* * *


 色々問題はあるものの、何とか計画は進んでいた。


 そんなある日、嬉しい出来事があった。村に残っていたヨンギョンが、都にやって来たのだ。

 花嫁のミンジャを伴って。


「はじめまして、ベイオ」

 同じ村に生まれ育っても、ほとんど初対面に近い。

「こちらこそ、よろしく」

 

 狭い村だから、村人全員が顔見知りではあったが、未婚の娘はあまり出歩かないので、話す機会はほとんどなかった。

 こうして見ると、大人しそうだが芯はしっかりしていそうだ。


「良かったね、一緒になれて」

「ああ、最初は彼女の両親に酷く反対されたんだけどね」

 代官の怒りをかって、賤民に落とされたためだ。しかし、その代官が屋敷に火を放って逃げてしまったので、うやむやになったらしい。記録も燃えたため、証拠もなにもない。

 それでも、一度ケチの付いた相手だからと、良い顔はされなかったようだ。


「それが、彼女の親が突然やって来て、嫁にもらってくれ、と言い出したんだから、びっくらするやら嬉しいやら」


 何でも、切っ掛けは国王の逃亡らしい。中つ国に助けを求めるなら、その代償は何か。

 実に嘆かわしいことだが、この国の最大の貢ぎ物は、女性だった。若い未婚女性を国中からかき集めて、奴隷として差し出すのだ。

 あからさまに、「貢女」と呼ばれている。


 ミンジャは、中の上くらいには入る器量良しだ。目をつけられる可能性は高い。そして、そうなったら逃れるすべはない。

 

 ……でも、ディーボンがこのまま勝ち続ければ、そんなことにはならないはずだよね?


 そう思うベイオだが、世間一般は違うらしい。誰だろうと、支配者は皆同じ、という感覚で見ているのだ。

 つまり、ディーボンが勝てば、やはり「貢女」を寄越せと言い出すに違いない、と。


 ガフやギモト、ラキアと親しいベイオにとっては納得いかない。

 しかし、そうは言っても、この世界の、この時代のディーボンを知り尽くしたとは言えないのだから、反論のしようがない。

 なにより、その思い込みが、大切な友人に幸せをもたらしたのだから。


 あとは、ミンジャが今みたいにずっと、ヨンギョンのそばで微笑んでいられるように、頑張るしかない。


 と、そこへアルムが唐突に割り込んだ。


「ミンジャは、ヨンギョンと子供を何人作るだ?」

「子供は授かり物ですからね。沢山産めると良いんだけど」

「おらは、ベイオの子が六人欲しいだ。獣人とヒトが半々で、獣人は剣士と拳闘士と重戦士、ヒトは呪法師と僧侶と盗賊で、パーティー組んでダンジョン攻略するだ!」

「ぱあてい? だんじょん?」

 ミンジャはなんの事かわからずヨンギョンを見る。そのヨンギョンは、途方にくれてベイオを見た。


 ……アルムにゲームの話したの、失敗だったかな?


 遠い異国のお話、という設定で話して聞かせたのだが、やたら気に入られてしまい、謎進化しているようだ。

 ラキア情報によると、獣人女性のお産は軽い場合が多く、双子や三つ子も珍しくないらしい。

 少子化が問題だった日本の事を、一瞬思い浮かべてしまう。


 ……獣人の女の子が一万人ほどあっちに転移したら、解決しちゃったりして。


 そんな「おバカ」なことを考えているベイオは、まだ余裕があって良かった。


 余裕がない者もいる。


* * *


「まいったな。ヨンギョンに先を越されちまった」

 木材を積んだ荷車を引きながら、ボムジンは愚痴をこぼした。


 ただでさえ夕闇は気が滅入るのに、誰もいない家に帰るのは気が重い。

 イロンがいるうちは、一緒に酒を飲んで過ごしたものだ。しかし、一人の暮らしに戻ると、どうも酒が旨くない。

 自然と酒量が減り、かわりに蓄えが増えてきた。


 結果、「嫁さん欲しい」となったわけだ。


「水車小屋も水路も完成したし、この村の仕事も一段落かな。いっそのこと、俺も都に行くか」


 聞けば、国王側が逃げ出したせいで、都の宮城などが焼け落ちて、再建もままならないらしい。木材の需要も多いだろう。

 一方、この村の代官屋敷も焼け落ちたままだが、新築の離れの方が残ったので放置されている。


「都は人も多いから、べっぴんさんとの縁もあるかもな」

 木材を代官屋敷に引き渡し、代金を受けとった。最近はこの村でもファラン銅貨が使われ出している。


「悪いが、都に行くことにしたんだ」

「そうか。今までよく働いてくれた。達者でな」

 新任の代官は、官吏を引退していた老人だ。どことなく老師を思わせる好好爺で、ボムジンも身分を気にせず話すことができた。


 ……多分、もう会うことはないだろうな。


 向こうで腰を落ち着ければ、こちらに戻る事があっても、何年も先だろう。


「じいさんも体を大事にな。これからもっと暑くなるから、気を付けろよ」

 最後にそう声をかけて、ボムジンは屋敷を後にした。


 翌朝、大家に挨拶して家賃の残りを支払うと、荷車に家財道具を積み込んで村を出た。


「道がよくなったな」


 整備された街道は、以前通ったときよりも遥かに車を引きやすかった。凹凸がならされ、水捌けもよくなってぬかるみもない。

 足取りが軽いから気分も上を向き、さらに足取りが軽くなる。


 鼻唄混じりに歩むボムジンは、この先に何が待つのか、まだ知らない。

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