第82話 異形の収穫

「あれから一年か……」

 祭りの踊りの輪を眺めながら、ベイオはそうつぶやいた。


 思いは数日前に戻る。


 先日の襲撃のため、ベイオは都での行動に制約が出てしまった。反皇帝派はあの後も計画性のない突発的な動きを見せているため、充分な護衛を付けないと、出歩くのは危険だからだ。

 しかし、現状はその護衛が不足している。ジーヤ達はファランの護衛も兼ねているからだ。孤児院への協力を取り次ぐために、彼女は毎日、様々な人に会っている。一方、攻撃呪法を封じられている老師たちでは、襲撃への対処が難しいのだ。

 そして、例によって一般の衛士は御飾りにしか成らない。


「いっその事、都を離れてみてはどうじゃ?」

 そのシェン老師から言われて、ベイオは故郷の村へ行くことを考えた。


 都では自由に外出できないため、技術学校で予定していた屋外での実験や実習を後回しにした結果、ベイオの講義をしばらく休講にしても問題がない状況だ。

 時期はちょうど、秋の収穫が終わるころ。ディーボンが街道を整備してくれたおかげで、馬車で朝早く出て途中で一泊すれば、村までは二日で行ける。帰りは年貢を納める荷車に同行すればいい。

 なにしろ、住民全員が顔見知りという小さな村だ。ベイオの暗殺を考えたとしても、外部の者が入ればたちまち見つかってしまう。代官屋敷に滞在すれば、さらに安全だ。

 そんなわけで、ベイオはアルム父子と三人で都を離れ、懐かしい故郷へと向かったのだった。


 村に到着したのは、夕焼けが西の空を染め始めるころだった。馬車から眺める村の様子は、ディーボンの熊侍ガフに連れ出された時から、何も変わっていないように見えた。


「ベイオ! それにアルムも!」

 代官屋敷に着くと、門から駆け寄って来たのはヨンギョンだった。代官が代わったおかげで、また下男として働けるようになったとか。

 夏の初めに新妻のミンジャと都へ来てくれて以来だ。ほんの三ヶ月かそこらなのに、随分と懐かしい。


「ヨンギョンも元気そうでよかった。ミンジャさんは?」

 ベイオが問いかけると、ヨンギョンの視線が泳いだ。

「えーと、実はな、その……」

「まさか、フラれた!?」

「コラ! いくらお前でも怒るぞ」

「……ごめんなさい」

 ベイオは素直に謝った。

 それを見て微笑むと、ヨンギョンは質問に答えた。

「その、なんだ。来春には産まれるんだ」

 微笑みというより、デレッとしたニヤケ顔だ。それを見てピンと来たのは。

「赤ちゃんだか?」

 このての話題、アルムなら飛び付くに決まっている。両手を前に組んで、目を輝かせて。

「おめでとう、ヨンギョン」

 ベイオが祝いの言葉を告げると、ヨンギョンは照れたように頭をかいた。

「いや、はは、まだ無事に産まれるまでは気が抜けないけどな」

 医療を呪法に頼るこの国では、貧民には何の助けもない。アルムの母がそうだったように、出産で命を落とす女性は珍しくないのだ。


 ……その時には、老師さまかヤノメさんにお願いしよう。


 そう、心に誓うベイオだった。

 屋敷での仕事を終えたところだったので、ヨンギョンは愛妻の待つ家へと帰って行った。ベイオから渡された土産の品を手に、何度も振り返って、手を振りながら。


 その日、アルム父子は自分たちの小屋で過ごすことになっていた。まだ日があるうちに見に行ったところ、少し掃除すれば問題ないとの事だった。どうやら、一時期この小屋に間借りしていたヨンギョンが、義理堅く定期的に掃除してくれていたらしい。

 しかし、ベイオが母エンジャと暮らしていた小屋は、ゾエンが迎えに来た時に引き払ってしまっていた。今は別な人が暮らしていた。

 そのため、ベイオは代官屋敷に泊まったのだが、残念ながら高齢の代官は体調を崩し臥せっていた。この夏の暑さがこたえたとの事だった。


 ベイオは、老代官の居室に見舞った。

「早く、良くなるといいですね」

 白髪と白い髭の老代官には、エンジャも世話になったと聞いていた。

 しかし、床に横たわったまま、老人は静かに答えた。

「わしは十分生きもうした。やがてこの身は土に返るでしょう。そして、魂は天に。地脈と気脈とを廻り、新たな命としてやがて生まれでる。それが世のことわりです」

 それは呪教の経典である理経の言葉だ。ベイオも、老師に何度も暗唱させられた。


 ……一種の輪廻転生だよね。もしかしたら、ヨンギョンとミンジャの子供になったりして。


 それならそれで、精一杯、可愛がってあげたい。そう、思わずにおれなかった。

 ベイオは「お大事に」と一礼し、自室に引き上げた。


 そして翌朝。ベイオはアルム父子を小屋まで迎えに行って、二人を連れて小川の側の水車工房の小屋を訪れた。

 何もかも、立ち去った時のまま……とは、流石にならなかった。水車を川に浸すと、歯車や軸が回り始めたが、じきに滑車を回す革紐が切れてしまったのだ。しかし、それを取り換えたあとは、問題なく動いてくれた。


「ベイオ、なにを作るだか?」

 アルムが興味津々で、ベイオが荷物から取り出す箱を見ている。

 箱の中に入っているのは、技術学校でサンプルとして生徒たちに見せた、歯車や操り車カム。あれらは、この日の為にベイオが作り溜めていたものだ。それらを組み上げたのが、この箱だ。


 去年、ベイオは「次の収穫祭には新しい山車も出したい」と考えていた。村を離れてしまっても、暇があれば図を描き、部品を削りだしていた。山車の上で動く人形も、あとは組み上げるだけだ。

 アルム父子と一緒に村を回り、空いている荷車を一台借りて来て、そこに部品を組み込んで試運転をして。

 そうこうしているうちに、収穫祭の当日となった。


 そして今。


 その二台目の山車が、村の広場で踊りの輪の中にある。子供たちが交替で引いていて、龍に導かれて半島に移り住んできた獣人や動物たちの人形がその上で動いている。

 言い伝えには二系統あり、この地に人々を導いた存在が、ヒト族の伝承では始祖鳥だったが、獣人族では龍だった。なので、二台目の山車は龍にしよう、と心に決めていたのだ。


 ……まさかその後、本物に会うとは思わなかったな。


「おや、エンジャのところのベイオじゃないか」

 アルムと一緒に踊りの輪の外に腰かけていると、村男の一人が肉の串焼きを手渡してくれた。

「あんたの水車で灌漑したおかげで、今年は豊作だったよ。ありがとな」

 そう言って、男は屋台の方に戻って行った。


 生まれ育ったこの村には、皇帝の名などは伝わっていない。あくまでもベイオは「エンジャの息子」だ。母エンジャにしても「代官屋敷で働いてる」という形容が着くだけの、村人Aでしかない。

 だから、村人たちは暖かく接してくれる。手桶や荷車や水車など、便利なものを作ってくれた恩人として。

 妬みも嫉みも畏怖もなく、ただ普通に接してもらえるのは、近頃では得難い。


 一方、隣で豚肉の串焼きにかぶりついているアルムは、あまりそうしたことにこだわりがないようだ。

「お肉、美味しいだよ。ベイオも食べるだよ」

 そう言ったあと、ちょっと寂しそうに付け加えた。

「……ジュルムも、来れば良かった」

「そうだね」


 南大門での襲撃以来、アルムもジュルムを気遣うそぶりを見せ始めた。以前よりもはっきりと、「大切なベイオやファランを守る仲間」として意識しているらしい。


 ……もっとも、恋愛感情のはるか手前みたいだけどね。


 どこまでもアルムは歳相応だ。これからも、そうであって欲しい。


 一方、アルム父には大事な仕事を頼んである。こちらに残した、石に刻んだ「ベイオ原器」を持ち返るために掘り出す作業だ。

 原器の寸法そのものは、竹などの定規に写し取って都に持って行けたが、正確で狂いのない原器が手元に無いと、今後は困ることになる。


「あ、おとうだ!」

 隣でアルムが立ち上がり、手を振った。アルム父が、こちらに小走りで駆けてくる。いや、祭りの輪を回り込みながらどんどん加速して、全力疾走?

「うわっ!?」

 そのままベイオを抱きかかえ、広場から走り出る。びっくりしたアルムが追いかける。

「おとう! どうしただ!?」

 アルムの問いかけにではなく、アルム父はベイオに向かって答えた。

「あの石は変です。動かせません」

「!……何がどう変なの?」

 ベイオの言葉に、アルム父は「とにかく見てください」としか答えなかった。


 百聞は一見にしかず。

 ベイオの水車工房のそばには穴が掘られていた。ベイオ原器の石の周りを、一メートルほど掘り下げて。

 ベイオは、掘り下げた石の穴の横に降ろしてもらった。

 百三十センチ×三十センチほどの石は、意外にも縦に長かった。それだけ掘り下げても、穴の底より下まで続いているようだった。

 そもそも、この石をメートル原器に選んだのは、表面が磨いたように滑らかで、片側は角が取れて丸みを帯びているのに、反対側がほぼ直線になっていたからだ。

 そこに目盛りを刻むだけで、メートル原器にできるくらいに。

 だからてっきり、誰かが建材の石柱を置いて行ったのだとばかり思っていた。

「まるで石碑……だね」

「はい。ここを見てください。見たこともない文字が」

 穴の中を覗き込み、そこに彫られている文字を、ベイオは見た。


 ……これは!


 身体が震え、バランスを崩して落ちそうになる。とっさにアルム父に支えられて、それでも視線は文字から離れなかった。


 ……この文字は!


 この世界にあるはずのないものだった。


 ……なんでアルファベットが、ここに?

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