第48話 想い

 ディーボン軍は一旦、全部隊の指揮官を都に集合させ、軍議を開いた。国王の逃亡で、作戦のスケジュールを大きく見直す必要に迫られたからだ。


 第一陣の参謀、ゾン・ギモトが代表して、現状をまとめる。


「国王は北都に遷都した。今後は、中つ国に救援を依頼し、連合軍として我らに立ち向かってくるであろう」


「良いではないか。手間が省ける」

 第二陣の将軍モイリ・ガイだ。

 ヒト族だが、勇猛果敢さで定評がある。今回の遠征では東の海岸沿いに北上し、道中を制圧して来ている。

「我らの目的は中つ国。向こうから出てくるなら、これを打つのみ」

 積極的ではある。


「それは、楽観的すぎないか?」

 ガフ・スガセイだ。


「麗国の中で戦うと、麗国の民に被害が出る。麗国軍なら降服する状況でも、救援に来た中つ国の軍には、体面もある。引くに引けんだろう」


 ほう、とギモトは感心した。


 猛将と謳われた熊侍ガフだが、ベイオ達との出会いで大きく変わったようだ。

 第一陣が平定した地域の内、ブソンから風の峠までの地域を含むケイサン道では、街道の整備が進み、ベイオの発案による水車を使った灌漑事業も進んでいる。

 もはや、ガフの中で麗国はただの通り道ではなく、兵站を担う重要な戦略拠点なのだろう。中つ国に攻め込む際の策源地と言うわけだ。


 だが、その理解が軍全体に広まっているとは言いがたい。


「ふん、こんなショボい国がどうなろうと知るものか」

 モイリがうそぶく。


 ギモトが見回したところ、他の武将に表情の変化はなかった。誰もが同じことを感じていたのだろう。

 ガフひとりを除いて。


「そこから徴発した米を食らいながら、何を言うか」

 蔑むような口ぶりに、モイリが色をなした。

「聞き捨てならんぞ!」

「それはこっちの台詞だ。この戦、いつまでかかると思う? 夏か? 秋か?」

 ガフの言葉に、ようやく気づいたらしい。


「今までは、麗国軍が逃げ出す度に残していった糧食があった。が、元はここの農民から搾り取った年貢だ」

 ガフは全員を見回した。


「それも、そろそろなくなる。これからは俺たちが直に徴発していかにゃならん。秋の収穫が足りなければ、、本国の補給に頼るしかない。その時、農民を粗末に扱っていたら、一揆もあり得るぞ」

 ずい、と卓の上に乗りだし、続けた。


「中つ国なぞ一捻りな猛者なら、一揆も怖るるに足らんのだろうがな」


 会議の間に沈黙が降りた。


 咳払いをして、ギモトが議題を進める。


「既に第一陣の占領区では、夏の干魃に備えた水車を用いる灌漑事業と、輸送を効率化するための街道整備を行っておる。必要とあらば、その詳細を提供しよう」


 冬を越して戦が続くなら、この国を貧困のなかに捨て置くわけにいかない。皮肉なことに、戦争がこの国を救うことになる。


 ……もちろん、見込み通りに我らが勝ち続ければ、だが。


 ギモトは胸中でつぶやいた。

 中つ国の兵力次第では瓦解する、砂上の楼閣のようなものだ。

 そうなれば、ベイオは……あの、驚くべき才覚を発揮している少年は、どうなることか。


 ……主君の大望など差し置いて、この戦、負けられんな。


 軍議は深夜まで続いた。

 

* * *


 ファランは、掌に乗せた硬貨をじっと見つめていた。ベイオが彫ったと言う、彼女の肖像を。あどけなく微笑む少女。


 ……ベイオの目には、わたくしはこんな風に映るのかしら?


 そこには、嬉しいだけではない、何か切なさを感じるものがあった。

 その笑顔のあどけなさは、アルムがいつも浮かべているもの。特に、ベイオと一緒に遊んでいるときの。

 王家に生まれ育った自分には、縁がなかったものだ。


 国王が逃げ出して、都は酷いことになったが、幸いにも彼女の両親は無事だった。しかし、屋敷も財産も燃えてしまい、今はゾエンの屋敷に近い空き家を借りて暮らしている。

 その為だろうか、以前にもまして、彼女に期待するようになったのだ。

 どうやら、彼女をゾエンに嫁がせようと考えているらしい。


 ゾエンはディーボン軍と繋がりがあり、国王の逃げた都のまとめ役として頭角を表している。遠縁だが王家とも血縁があり、生まれ育ちもよい。年齢差など、貴族や王家では問題にならないほどだ。


 しかし、そこには彼女の気持ちは全く考慮されない。下手をすると、ゾエンの意思ですら。

 例えば、ゾエンの師であるシェン・ロンがその気になれば、もう決まったようなものだ。


 ファランはジュルムに目を向けた。警護という名目で傍らに立つ、虎人族の少年。彼もまた、似たような境遇だ。

 純血の獣人で、今は滅びたタンラ国の王家の地を引く彼も、それによって生き方を定められている。アルムにこだわるのは、どこまでが彼の気持ちで、どこからが周囲の想いなのだろうか。


「何を見てる、ファラン」

 ジュルムは横目でにらんだ。

 

「あなたは、アルムのことが本当に好き?」


 あまりに直栽的な問いかけに、少年は狼狽えた。とっさに顔をそらしたが、ピクピク動く耳や、波打つように大きく振られる尻尾で丸わかりだ。


「お……お前には関係ない」

「いいえ、ありますわ」

 きっぱりと言い切る。


「お互い、好きな人と一緒になれるよう、協力しましょう」


 色々、途中をすっ飛ばしたファランの申し出だが、ジュルムは気がついたらうなずいていた。


* * *


「すごいな、もうここまで出来てたんだ」

 雨のなか、笠を被りみのを着て、ベイオは故郷の村の水車小屋を見に来ていた。


 新型の馬車なら、都からこの村まで二日かからない。ディーボン軍による街道の整備が進み、以前ほど悪路に悩まされなくなったのもある。


「ベイオ、これ、ネジネジじゃないね」

 そびえ立つ揚水機を指差してアルムが言った。彼女も簑を着ているが、獣耳が潰されるので笠は嫌がった。おかげで、赤毛がびしょ濡れだ。


 水も滴る良い幼女。と、しておこう。


 しかし、この揚水機に関しては、彼女も気に入ってるらしい。

 見た目は、縦に引き伸ばした観覧車だ。ゴンドラの代わりに手桶が下がっていて、下端で水を汲んで上端でひっくり返り、雨樋を大きくした流路に流し込む。

 まだ用水路が完成していないので、途中で川へ逆戻りだが。

 

「おーい、アルム。川に近づくとあぶねーぞ。増水してっからな」

 同行したラキアが声をかけた。

 てへへペロッしながら戻ってくる。


 他の場所より早く建設に取りかかったので、ベイオにとっては古い設計なのだが、その分、建設中のトラブルも多かった。ベイオの留守中は、ラキアの仲間が面倒を見てくれていたのだ。

 木材の調達ではボムジンも大忙しだったようだ。


「こうして見ると、やっぱり可動部が多すぎるよな」

 特に、沢山ある桶を取り付けている軸の痛みが早そうだ。部品の規格化は進んでいるので、交換すれば良いだけなのだが。

 やはり、ほとんどメンテナンス・フリーなネジ式にはかなわない。


「これ、壊しちゃうの?」

 アルムは残念そうだった。見た目は確かに派手だから、ベイオにもわかる。組み上げた水がまっすぐ十メートルも持ち上げられて、流されるのだから。


「壊さないで残すよ。他の使い方もあるだろうし」


 例えば、洗濯とか。麻布の場合、丈夫だからと濡らして叩きつけるやり方だが、高いところから水を落とす事で代用できるかもしれない。


* * *


 村に入ると、みんなと分かれて家に戻った。


「ただいま、お母さん」

「お帰り、ベイオ」


 今回は、都に老師やゾエンたちがいるので、特にゾエンがいるので、母エンジャは安心して待っていられた。

 それでも、息子の帰宅は嬉しい。


「あのね、お母さん」

「何かしら、ベイオ」

「ゾエンさんがね。都に来ないか、って」

「ゾエンさまが……」


 それは、実質的なプロポーズだろう。

 母親とは言え、まだ二十代半ば。胸がときめかないわけではない。


 ……それでも、この村での静かな暮らしが、自分には合っている。


 都での生活は、虚飾と腐敗に満ちていた。その中で、父も夫も善をなそうとして命を落とした。だから、忘れ形見の息子を抱えたここでの暮らしは、経済的には苦しくても、安心できた。

 しかし、ゾエンは前の夫と比べても優れたお方だ。そして、今はあの頃より時流が味方している。

 それに、ベイオはもう大きい。既に自分の進むべき道を見出し、歩み始めている。こんな田舎の村に居てはいけない。


 息子の将来のために一緒に都に上る。しかし、それは口実にしていないだろうか? ゾエンと一緒になるための。


「母さんはこの村にいます。ここも、かなり暮らし向きが良くなってきましたから。今は毎日、新しい代官さんのところで仕事をしているから、これでも結構、忙しいのよ?」

 逃げ出した代官に代わって、ディーボンが選んだ行政官がこの村にも着任していた。年配だが物腰の柔らかい男性で、代官屋敷の焼け残った離れを住居兼執務場所にしていた。

 以前いた下男たちも逃げてしまったので、人手が足りず、読み書きのできるエンジャは頼りにされていた。


「ベイオは、心配せずに都で頑張りなさい」

「……うん」

 うなずくと、ベイオは母に寄り添った。


 ……今くらいは、甘えても良いよね。


 それに、ゾエンもプロポーズするなら自分で来るべきだ。

 七歳の子供に頼らずに。

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