第21話 麗国
「この国の名は、
漢字表記は、ベイオが脳内で置き換えたものだ。
「古来より、『名は体を表す』と言われておる」
……世界が違っても、諺には共通点があるんだな。
しかし、そんなところに感心している場合ではなかった。老師はさらに問いかけて来たのだ。
「さて。この国の現状を見るに、お主は心底から『麗しの国』と称えることができるかの?」
思わず周囲を見回すが、さっきの女官も誰も見当たらない。すぐ隣に座るファラン姫など、ツンとして視線を合わせようともしない。
明らかに、本音を吐けと仕向けられている。
「……難しいと思います」
意を決して告げた。こんなこと、聞かれた者によっては死罪を言い渡されることすらあり得る。だから、これは賭けだった。
「ふむ。そう思う理由を上げてみよ」
白く長い顎ひげをしごきながら、老師は言った。微笑んではいるが、細めた眼光は鋭い。
「失礼ですが、老師さまは木の皮を食べたことはありますか?」
ベイオの問いかけに、老師の双眸はわずかに開かれた。
「それは、新芽などではなく、樹皮のことか?」
「はい」
老師は瞑目した。
「ふむ。わしも相当長く生きておるつもりじゃが、それは経験したことがないのう」
「当然だと思います。あれは人間が食べるものではありません」
正確には、生前の日本でも、山椒の若枝の樹皮を加工して、食用にする例はあった。しかし、一般的とは言えないだろう。
「秋の収穫物から年貢を納めた残りでは、春まで持たないことがあります。今年の初めがそうでした」
ベイオの言葉に、老師は「ほう」と声を上げた。
すぐ隣では、ファラン姫が目を丸くしていた。
「どれだけあく抜きしても、苦くて渋くて。どれだけ煮ても硬くて。それでも、他に何も無ければ、食べるしかないのです」
ベイオの話に、再び瞑目して老師は考え込んだ。
「なるほど。それは難儀な問題じゃの」
「別に難しくはありません」
「む?」
毎朝のように井戸端で聞いた話。材料や工具を探し求めて、最近では荷車で運搬をしながら、漏れ聞いた巷の話。それを、ベイオなりにまとめた結論。
今、ベイオは口にする決意をした。
「年貢が、春に数えた村人の数で決められるからです。それも、五歳から五十歳までの」
すなわち、人頭税だ。子供まで数えるのは、アルムやベイオくらいから働くのが当然とされているからだが、十五歳までは半人分と見なされる。
「だから、長雨が続いたり、日照りが続いたりすれば、食料が不足してしまいます。でもそれなら、収穫量の何割と言うように年貢を決めるようにすればいいのです」
生前の日本の所得税が、まさにそれだった。
しかし、収穫量から算出するのでは時間も手間もかかるし、収穫するまで国の税収が分からない事になる。さらに、収穫量を誤魔化すものが出ないよう、対策も必要だ。
決して簡単なことではない。
「それに、まだあります」
「むぅ。申してみよ」
これを語るのは、正直辛い。しかし、どうやら「高貴なお方」は、本当に知らないらしい。
「春になると、子供が消えるのです」
「消える?」
「はい。冬が始まるまで一緒に遊んでいた子供が、春になるといなくなっているのです。五歳になる子ばかりが」
五歳。
この国では「数え歳」だ。産まれた月に関わらず、全員が年明けに一つ歳をとる。
つまり、次の春から半人分とは言え人頭税がかかる子供がいて、どうしてもその分の収量が賄える見込みが無ければ。
親としても、他に養う子供がいるのならば。
……取れる手段は決まってしまう。
前世の日本であっても、近代に入るまでは度々起きていたことだ。時代的にもっと昔だと思われるこの国に、すぐ解決しろと言うのは酷ではある。
ちなみに、決められた年貢にわずかでも足りなければ、家族全員が奴婢とされてしまう。奴婢とは要するに奴隷だ。
ロン老師も、言うほどたやすくはない問題だと考えた。それでも、この国の暗部であることに間違いはない。
この少年……というより、まだ幼児と呼ぶべき年頃のベイオがそこに気づいているのに、国の支配層の貴族や、彼らを教育する立場で賢者と呼ばれている自分すら知らなかった現実だ。
老師がベイオに投げた質問の答えは、もっと政治に偏ったものを考えていた。民の苦しみに無頓着な役人たちや、権力闘争ばかりの中央などの。
しかし、そう批判してきた自分たちこそが、民草の本当の苦しみに目を向けてはいなかったのだ。
「わしは、おのれの至らなさを恥じいるしかないのう。まさか、この年になってから幼子に教えられるとは」
嘆息する老師。どこか、一気に老け込んだようにも見える。
突然、すぐ隣で嗚咽が聞こえ、ベイオはギョッとした。
ファラン姫が泣いている。顔を覆って、肩を震わせて。
「姫さま……」
ベイオが声をかけると、彼女は顔を上げて、彼の両手を掴んだ。
「ベイオ。消えた子たちは、何人ほどいたのですか?」
涙でぐしゃぐしゃの顔だ。とっさにベイオは服の袖で拭った。いつもアルムにしているように。
だが、ファラン姫はされたことがないようだ。びっくりして泣き止み、少し身を引く。
「あ……済みません、つい。……人数ですけど」
気まずさを、質問に答えることでかわそうとした。
「今年は三人でした。ただ、一人は親兄弟も一緒に居なくなりました」
「家族全員なら、逃げたのじゃろうな」
老師はそう言いつつも、その家族のその後が決して良くならない事が分っていた。
農地を放棄すれば、国による加護は一切なくなる。すなわち、賤民として暮らすしかない。そして、賤民の集落は、新参者に決して甘くはない。狩りや屠畜などの技術を身に着けていればまだしも、そうでなければ賤民の中ですら最下層となるしかない。
ちなみに、代官の不興を買って賤民に落されたヨンギョンも、ベイオがアルムたちを紹介しなければ、奴婢にされるしかなかっただろう。
ふと、ロン老師は縁側の外に目を向けた。太陽は南中、即ち真南にあった。正午だ。
「よかろう。今日の講義はここまでとしよう」
……それにしても、自分の方が教えられるばかりじゃったな。
思わずため息がでる老師だった。
すると、ベイオがおずおずと声をかけてきた。
「あの、老師」
「なんじゃな?」
「僕……この本、読めません」
文机の上の、題名すら読めない分厚い本。
「
「はい」
……良かった。教えることが出来る物があったようじゃ。
なぜか救われた気持ちになる老師だった。
* * *
午後、一刻ほどベイオは老師から補修を受けた。この世界の漢字に当たる「辰字」を学ぶためだ。母親には、帰りが遅れると女官の一人が伝えてくれた。
ちなみに、日の出から日没までを六等分した時間が一刻だ。春と秋は約二時間で、夏はより長く、冬は短くなる。江戸時代の日本と同じだが、偶然ではない。もっとも簡単な時計が日時計だからであり、円周を分割するには六等分や十二等分が単純だからだ。
「辰字とは、かつて中つ国を最初に統一した辰国で生れた文字じゃ」
漢字表記は相変わらずベイオの脳内変換だ。
「中つ国」というのは、麗国のある半島がぶら下がっている大陸の中央部を指す名前らしい。
国名の文字「辰」の意味は、元は「震える」というもので、そこから転じて「繰り返す、活気づく」となり、さらに動植物が活発になる初夏の季節を表すようになったと言う。
この辰国は既に滅びており、何度か王朝が入れ替わって現在は「金」という国だ。字形も発音も違うが、意味は同じ黄金だ。
そして、麗国ははるか昔から、中つ国を統一した王朝に属国として従ってきたという。
情けない話のようだが、そもそも半島とは袋小路みたいなものだ。三方は海だから、大陸側から攻め込まれたら逃げ場がないのだ。よほど強力な軍隊がない限り、守り抜くことは出来ない。
そんな気の滅入るような歴史を聞きながら、ベイオは辰字の書き取りをやっていた。紙は貴重だから、竹の葉だが。
辰字の構造は漢字とよく似ている。
そのパーツも、良く見るとなんとなく大元の象形文字が思い描ける。省略の仕方などが違っているので、別な文字となったのだろう。
……要は、世界が異なっても、人が考えることは同じなんだな。
なんとなく納得しながら、竹の葉をその文字で埋め尽くし、ベイオは帰宅した。
「ベイオ! 遅い!」
帰宅すると、アルムがご機嫌斜めだった。母親には伝わったが、午後も仕事のあったせいでアルムには連絡が行ってなかったのだ。
平謝りして、ベイオは旋盤でコケシのような人形を作ってやった。
幸い、アルムは気に入ってくれたようで、自分で量産し始めた。筆と墨で色々な顔を描いて楽しんでいる。
……やれやれ。
今日はやけに疲れたので、ベイオは桶や樽の量産は諦め、アルムの相手に専念した。
「そう言えば、ジョルムを見ないけど」
アルムに聞いてみたが。
「知らない。朝から爺やさんと出かけてる」
狩りの手ほどきだろう。そう思うことにした。
一方、ファラン姫の方も、ベイオの知らぬうちに別な意味で騒動となっていた。
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