第66話 帝国

「帝国ってさ、なんかこう、悪者って印象なんだよね」

 夜の都の大通りを馬車に揺られて、ベイオはぼやいた。御者はジーヤだ。


 祝言と即位の宴は延々と続いているが、良い子は寝る時間なので、ベイオとファランはゾエンの屋敷に引き上げる途中だ。


「中つ国から完全に独立するためだって、老師さまがおっしゃってたわ」

 かたわらのファランが答えた。


 呪教思想では、皇帝とは他に並び立つもののない、この世でもっとも高貴な存在だ。他の国々の王は、全て皇帝の臣下としてそれぞれの領地を統治してるにすぎない。


 昔はディーボン国もその枠組みに入っていたようだが、どちらかと言うと中つ国の優れた文化を取り入れるためだったらしい。発展を遂げた今では、ディーボンの王も皇帝を名乗り、完全な独立国となっている。

 今回、新たに即位したベイオが皇帝を名乗ることで、麗国もそれに倣うことになる。


「でも、なんかこう、他国を下に見てるような感じなんだよね」


 ベイオとしては、独立国でありたいだけで、他国の上に君臨するつもりはないのだ。


「ディーボンとは仲良くしたいけどね、対等な相手として」


 国対国では、これがなかなか難しい。現に、ベイオが即位したからといって、この国の国力がいきなり上がるわけではない。明らかに、ディーボンに比べれば弱小だ。

 中つ国のとなど、比べるまでもない。


 しかし、今後もこのままとはいかない。工業化を目指すならなおさらだ。貿易で赤字ばかりを重ねてしまうことになる。


 ベイオが画期的な新製品を作って輸出しても、いずれは真似される。国力のある国が同じものを作れば、はるかに安く大量に作れる。それらが入ってくれば、国内産業はひと堪りもない。


「何とかして、良い品を沢山作れるように、生産性をあげないとね」


 前世のどこかの国を思い描きながら、そんなことをファランに話してると、馬車は屋敷にたどり着いた。


 ……いけない。せっかく二人きりだったんだから、話題を選ぶんだった。


 今更ながらに気がつく。伊達に男子校出身ではない。


「ごめんね、固い話ばっかりで」

「そんな……構わなくてよ。ベイオはいつも頑張ってるもの」

 気を使ってくれるファランの優しさが心に染みる。とは言え、女の子が喜ぶ話題なんてさっぱりなのも事実。


 ……こっちにはアイドルとかいないしな。


 それに一番近いのがファラン自身だったりするので、なおさらだ。


「ベイオ、ファラン、お帰り!」


 そんなベイオの悩みを吹き飛ばしてくれるのは、アルムだ。玄関から走り出てきて、ベイオに飛びついた。


「ただいま、アルム」

 ベイオがギュッと抱き締めると、シッポが元気良く振られた。


「こっちの宴会はどうだったかな?」

 玄関を潜ると、広間からイロンの豪快な笑い声が響いてきた。聞くまでもなかったようだ。

「あ、ジュルムはこっちにいたんだ」

 アルムがいたからだろう。その隣にはアルム父も座ってる。二人とも、何だか窮屈そうだ。


 ジュルムはヤノメにからかわれてるのか、顔が真っ赤だ。

「なんだか、暑いな」

 そう言って、水をグイッと飲み干した。

 思わず、ベイオは声が出た。

「ジュルム、それ……!」

 アルム父が飲んでいた杯。つまり、お酒だ。麦から作った蒸留酒。

 喉が焼けて、ジュルムは盛大にむせた。


「あらあら、大丈夫? ほら、お水よ」

 ヤノメが、例によってどこからともなく水を満たした器を取り出した。ジュルムは一気に飲み干したが、かなりこぼしてしまい、胸元が濡れた。

 今度は布を取り出し、ヤノメは拭いてあげたのだが。

 それまで散々からかわれたからか、酔いが入ったのか、ジュルムは言わなくて良いことを言ってしまった。


「なんら、呪法で何れも出せるのにゃら、あの時、裸でいないれ、服を出せパ良かったにょに」


 ろれつが非常に怪しい上に、いつになく長い台詞だが、妙にはっきりと聞こえてしまう。

 そして、広間は静まり返った。


 ガタン、と音がした。ボムジンが杯を取り落としたのだ。


「……あの時って?」

 抑揚のない声で、ボムジンはたずねた。


「ペイオが、リ、龍に飲み込みゃれた時にゃ。ヤノメが龍ににゃって、知らせに来たにょら」


 ……どんどんろれつが怪しくなるのに、何でこうも聞き取れちゃうんだろう?


 棚上げしておいた案件が、最悪のタイミングで動き出した。


「龍、か」

 落とした杯を拾い上げ、ボムジンは酒を注ぐ。が、手が震えてほとんどがこぼれてしまった。

 一気に飲み干すと、顔を覆って呟きだした。

「ベイオや爺さんが大変だからってんで、別々になっても文句言わなかったけどよ」

 肩が震えてる。


 ……あー、お母さんに振られた時と同じだ。


 偉丈夫な外見のわりに、意外と泣き上戸。純情でガラスのハートなのだ。


 ……また、朝まで慰めることになるのかな。


 良い子にしてるんだから、お願い。寝かせて。そう思うベイオだが、真っ先に寝ていて欲しかった子が粘る。


「あー、そういや、裸を見た爺やが――」

「若、失礼」

 いつの間にか後ろをとっていたジーヤが、ジュルムのうなじに手刀を打ち込んだ。こてん、と意識を失ったのを、そのまま首筋を掴み持ち上げる。

 必殺、猫掴み。ジュムルをぷらーんと吊り下げて、ジーヤは退散した。


「あの……これには、その、色々と」

 ずっと固まってたヤノメが、ボムジンに声をかけた。

「うん。そうだよな。色々とあったもんな。良いんだよ、裸なんて。減るもんじゃないし。龍だって、気立てがよけりゃ」

 が、突っ伏して続けるので困る。

「でも、心はすり減ったりするんだようぉうぉうぉ~」


「大人の込み入った話だから、僕ら子どもはもう寝ます」


 そうベイオは宣言し、ポカンとしてるアルムと真っ赤な顔のファランを連れて広間を出た。

 ボムジンもヤノメも、大丈夫だろう。大人なんだから。多分。


* * *


 翌朝、ベイオがアルムを連れて庭に出ると、す巻きにされたジュルムが木の枝から逆さ吊りにされていた。

 てっきり、ジーヤにお仕置きされたのかと思ったのだが、その下の地面には桶が置かれ、中身がすえた臭いを放っていた。


「おはよう、ジュムル」

「……ペイオか。ぎポぢわるい」

 どうやら、夜通し吐き続けたらしい。それで逆さ吊りとは、ワイルドすぎる。さすがは獣人。

 しかし、これでは清々しい朝とは言えない。


「でっかいミノムシ」

 アルムは根が素直なだけに、想ったことをそのまま言ってしまう。

 ジュルムが顔を真っ赤にしてるのは、血が下がってきてるだけではなさそうだ。


「待っててね。ジーヤさんに頼んで、降ろしてもらうから」

 涙目のジュルムにそう言って、ベイオはアルムの手を引いて獣人組の家になってる納屋に向かった。


「昨夜は、若が御プ礼をいたしまして、誠に申し訳ありません」

 ジーヤは土下座だし、アルム父も神妙な顔だ。


「仕方ないよ。無理にお酒飲ましたわけじゃないし」

 そう言ってベイオはとりなした。


「臭いだ」

 アルムが鼻をひくつかせてる。

 ジュルムは部屋の中でも吐いたようだ。篭の中に、汚れた衣服や上掛けなどが丸めてある。

 アルムはそれを抱えると「洗ってくるだ」と言って部屋を出て行った。


「ジーヤさん、そろそろ、ジュルムを降ろしてあげて」

「わかり申した」


 二つ返事で、ジーヤも部屋を出て行った。


 アルム父とベイオが二人残った。


「えっと、アルムのことなんだけど」

「わがままを許してしまい、申し訳ありません」

 平身低頭するアルム父。


「頭を上げてよ。アルムのことは大好きだから、僕も一緒にいたいんだ。でも、毎晩同じ寝床だと、どうなのかな、って」


 ヤノメの裸体事件で、気になったのだ。


 最近は都の夜も気温が高く、ふと目を覚ますとアルムの寝間着がはだけて、あられもない格好になってたりする。

 今はまだ、子供だからで済む。しかし、あと何年かすると色々困ることになりそうだし、アルムの方は色々やる気満々だ。

 具体的には何も知らないようなので、助かってるが。


 それに、最近はファランの方まで一緒に寝たがる。いくら広い寝床でも、左右からくっつかれると寝づらい。


「だから、母屋の方にアルムの部屋を用意しようと思うんだけど、いいかな?」

「まったく問題ありません」

 そう答えて、アルム父は深々と頭を下げた。


「どうぞ、娘をよろしくお願いいたします」


 父親の中では、既にアルムは嫁に出した感じらしい。


「あと、いつまでも納屋で暮らすのは良くないよね。ボムジンの家ができたら、庭に離れを建てるよ」

「そんな、もったいのうございます」

「いいって。これからは、獣人への差別をどんどん無くさなきゃいけないし」


 ベイオとしては、獣人の生活様式にあった住宅というテーマにもなっている。


 帝国に皇帝。大仰な名前とは裏腹に、ベイオの国づくりは庶民の生活向上が最優先なのだった。

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