第65話 新生

「ついにこの首を取りに来たか、リウ・ゾエン」


 青白く表情のない顔で、ル・セイロンはつぶやくように言った。


 重症だな、とゾエンは声に出さずつぶやいた。

 病名は、死に至る病、絶望。


 それも当然だろう。


 必死にかき集めた麗国の兵は、春の淡雪のように消え去ってしまった。上は将軍から、下は一兵卒に至るまで、一人残らず逃げ去ったのだ。

 最後の頼みだった中つ国の軍勢も、突如起こった天変地異と、その直後に出現した龍に恐れをなして、守りを固めた陣営にこもったままだ。

 しかし、セイロンは麗国の宰相。逃げも隠れもできない。もちろん、自死することすら許されない。


 ……私が倒れれば、主上は、国王は中つ国へと逃げ出すだろう。そうなれば、この国は、麗国は終わる。


 そう悩み苦しむセイロンを前に、ゾエンは心中でつぶやいた。


 ……まさしく、八方塞がりだな。


 セイロンを追い詰めている張本人でありながらも、同情を禁じ得ない。彼の立場に自分がいたら、同様に責めさいなまれたであろうから。


 ……すべてはこの国、いや、王族と官僚に蔓延した腐敗の仕業。


 医術の中で、最後の手段とされるものがある。腐り始めた手や足、時には臓府の一部を切除する、外科手術だ。

 

「ル・セイロン殿」


 この交渉の席について初めて、彼は口を開いた。外科手術の開始だ。


「選んでいただきたい。あなたが今後仕えるべきは、誰であるのか」


 ……ついに来たか。

 セイロンは覚悟した。

 この問いかけがあれば、答えは決まってる。それで、今生の苦しみも終わりだ。


 暫し間を置いたのち、ゾエンは続けた。


「現国王か」


 もちろん、と口を開きかけ、ゾエンの眼光に射すくめられる。


「それとも、この国の民草か」


「……民草?」

 意外な言葉に、セイロンは返事も忘れてオウム返しとなった。


「そう、民草です。この国の生産を一手に引き受けている、下民や賤民たちです」

 語りながらも、ゾエンは思った。


 ……セイロンの気持ちは分る。これは、あまりにも画期的なことだ。


 彼がベイオから初めて聞かされた時も、頭を殴られたような気がした。

 あの少年は、こともなげに言ったのだ。


「国王がいなくても民草は生きていけるでしょ?」


 実にあっさりと。


「でも、民草がいなかったら国王は飢え死にしちゃうよね。要するに、民草が給料を払って、国王を養ってるんだよ。年貢と言う形でね」


 実際には、国王一人ではない。その権威にぶら下がって、この国を支配している上層部すべてだ。


「だから、国王は民のために尽くさなきゃいけないんだ。命がけでね」


 その国王に死刑宣告されたことに対する、ベイオなりの解答だった。

 そして、そのベイオの語ったことを、ゾエンはほぼそのままセイロンにぶつけた。


「国王は……民のしもべだと!?」


 あまりのことに、息をすることも忘れてしまう。

 その衝撃は、まさしくゾエン自身がベイオから受けたものだった。


 彼は言葉を続けた。


「そして、ベイオはやがてこの国の王となります。まさしく、民草に仕えるために」


 とどめの一言。

 うなだれるセイロン。


 やがて、彼の肩が震えだした。


「わしは……何を見ていたのか。この国のためにと、犬馬の労をいとわず尽くしてきたつもりじゃった。じゃが、『この国』とは、国王その人を指すわけではなかった」


 ベイオの前世でも、「朕は国家なり」と言い放った国王がいたが、その子孫は革命で全員殺された。


「では、ル・セイロン殿。もう一度伺います」


 居住まいを正し、ゾエンは先ほどと同じ問いを投げかけた。


「あなたが今後仕えるべきは、誰であるのか」


 しばらく間があり、やがてセイロンは答えた。


「……民草に」


 ほう、と息をつく。

 一気に心が軽くなった。


 ……今わしは、初めて本当の息をしたような気がする。


 顔を起こすと、ゾエンが微笑んでいた。


 手術は成功したようだ。


* * *


 その日の午後。

 宰相ル・セイロンからの上奏により、国王は中つ国への亡命を受け入れた。

 とはいえ、国王はとうの昔から逃げるつもりだった。そのため、実際にはようやくセイロンが折れた形だ。


 そして、ル・セイロンは全ての責任を負って、宰相を辞任した。


 翌朝。

 国境の大河のほとりで、セイロンはゾエンと並び、渡し船で中つ国に入る国王の一行を見送る。


「これで、麗国は終った」

 セイロンはつぶやいた。


「やがて、新しい麗国が起こります」

 ゾエンは、抑えた声だが力強く宣言した。


 最後の一艘が岸を離れると、ゾエンはセイロンの肩に手を置いた。


「参りましょう。この国の新しい王の下へ」


 ゾエンが指し示す方に、彼の従者が控えていた。

 護衛として付き従ってきた、ジーヤとジョルムだ。


 セイロンは二人の引く車に乗り、ゾエンは馬に跨った。

 そして、四人は王都へと向かった。


* * *


 王都では、ベイオが大忙しだった。


 まずは、秋に開校する技術学校の準備。

 校舎の方は、都から逃げた貴族の館を徴発して改装中。講師の方は、技術全般をベイオ、金属加工をイロン、呪法の基礎をシェン・ロン老師が担当し、読み書きなどの基礎学問は引退した官吏から選んだ。

 読み書きの方は、先行して八月から講義が始まる。

 ありがたいことに、ジョ・レンギャ老師も講師として参加してくれると言ってくれた。健康が回復してからではあるが。

 しかし、麗国語は喋れないので、辰字がわかる上級者向けとなる予定だ。


 次に、光通信と郵便配達の全国ネットワーク作り。

 ガラスの鏡の代わりに、火災で融けてしまった美術品や食器類の銀を使うことで、何とか光モールス通信機が量産できたのだ。銀箔として薄く伸ばす技術は、イロンの仲間たちが提供してくれた。

 通信員の方は、まずはディーボン兵や職人にやってもらうが、秋からの学校でもどんどん育成していく予定。


 郵便配達の方は、ディーボンが急速に進めている検地に合わせて、全国の所番地が割り振られている。配達員は最初は獣人兵だが、徐々にこの国の獣人たちに受け継がせていく。

 ディーボンと中つ国の停戦が成立したので、かなりの兵士は帰国することになりそうなので、こちらも時間との競争だった。


 三つ目が、ボムジン&ヤノメの新居の建築。

 間取りはもう決まったので、既に工事が始まっていた。場所は南大門のすぐそば。焼け落ちてしまった高級官吏の館の跡地だ。

 仲間内のことではあるが、前世で学んだ建築技術がどれだけ活かせるかの試金石なので、ベイオはできるだけの時間をここに注ぎ込んでいる。


 そして、ファランが願っていた孤児院。こちらも、逃亡貴族の館を再利用だ。

 ただ、これに関してはベイオはあまりタッチしていない。具体的な計画などは、ゾエンが連れて来たル・セイロンという老人が進めてくれている。


 初めて会った時、セイロンはベイオの顔をじっと見つめてた。穴が開くほどに。


「あの……何か?」


 いたたまれなくなってベイオが尋ねると、セイロンは一礼して言った。


「失礼しました。次の王の御尊顔と思うと、つい……」


 またそれか、とベイオは少しウンザリした。


「国王と言っても、僕はまだ子どもだし。『政治』の事はゾエンに任せっぱなしになるよ」

「……まあ、そうなるでしょうな」

「でもね」

 ベイオはしっかりした声で続けた。


「やりたい『政策』はあるから、どんどん進めてもらう」


 ……『政治』と『政策』か。


 セイロンは胸中で繰り返した。


「わかりました。その『政策』の実現に、わしも全力を尽くしましょう」


 高齢を感じさせないほどの熱意でそう言われ、ベイオはちょっとひるんだ。


「あ、はい。お願いします」


 というわけで、少しセイロンには苦手意識が芽生えたベイオだった。


 一方、ファランの方はすぐにセイロンと打ち解けて、孤児院のことで毎日何時間も話しあったりしている。

 彼女が生き生きとしているのは、ベイオとしても嬉しいので、その意味ではセイロンにも感謝してるのだが。


 そして、ゾエンが北から帰還して一週間後。

 ベイオの母、エンジャとの祝言が大々的に行われた。

 会場は、宮城に付属した迎賓館だった建物。そこに、都に残っていた貴族や官吏などが集められ、この時勢にしては豪華な食事がふるまわれた。

 ただ、一般人であるベイオの仲間たちは、ここではなくゾエンの屋敷で宴会となっているはずだ。


 この祝言の会場で、あらためてベイオとファランの婚約が発表され、さらにベイオの即位も公表された。

 ゾエンが以前から周到に根回しを行ってきたので、即位のことは混乱もなく受け入れられた。しかし、ベイオの事を初めて見るものも多かったので、その年相応に幼く純朴な外見に、戸惑いを隠せないようだった。


 広間の奥に、ひときわ高い席が設けられた。簡易ではあるが、玉座だ。そこに座らされたベイオの前で、来賓客が皆、跪いた。


 ……これ、この後ずっとやるんだろうな。


 祭り上げられ崇められても、別に特別な力があるわけでもないのだから、居心地悪い事甚だしい。それは跪いている側も同じで、違和感があるだろう。


 そんな微妙な空気を一変させたのは、ゾエンと共に幼き国王の傍らに立った老人、ル・セイロンだった。

 前国王の宰相だった彼を知らぬ者など、この場にはいない。


「皆の者よ」

 セイロンは厳かに告げた。


「これなるは我が国の新しき皇帝、リウ・ベイオ開祖である。忠誠を誓うものは伏し拝め」


 一同に衝撃が走った。「皇帝」という言葉に。

 そして、やや遅れて全員がひれ伏した。


「ここに我が国は名を改め、『大麗帝国』として新たに生まれ変わる」


 その厳かな宣言を聞きながらも、内心ベイオは呟くのだった。


 ……早く終わらないかな。僕、忙しいんだけど。


 若き皇帝は、多忙であった。

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