第83話 後ろ前オオカミ
石碑に刻まれた文字は、間違いなく英文だった。
工業高校でしっかり学んだベイオ……日野少年だが、英語はどちらかと言うと苦手だった。それでも見慣れた英単語が並んでいるのだから、間違いない。
地面に埋もれていた少し下から碑文は始まり、穴の底のところでいったん途切れている。
アルム父に穴の底に降ろしてもらい、ベイオは碑文の文字に触れた。
知らない長い単語が多い。碑文らしく、かなり格式ばった文章のようだ。
……西暦二〇XX年? 何があったっけ。
そこに刻まれていたのは、ベイオが日野進としての人生を断ち切られたあの日より、数年前の日付だった。
そして、ある単語に目が留まると、もう涼しい季節なのに、嫌な汗がにじんで来た。
……nuclear bombって、核爆弾?
他にも、戦争に関連する単語が目についた。どうやら、何か大きな戦争か何かが起こるか、起こりかけたらしい。それが終結したことを記念した石碑なのだろう。
……でも。
石碑の裏に回ってみる。こちらには何も彫られていない。表面は磨いたように滑らかだ。
……でも、何か彫ってあったのかもしれない。なにしろ……。
つるつるとした表面に手を触れる。ガラスのようだ。反対側の角は尖っているのに、こちら側の角は丸みを帯びていた。
……まるで、高熱で融けたみたい。
下の方へ行くと、だんだんと角張って来る。
ベイオは後ろを振り向き、斜め上の空を仰いだ。
……あのあたりで爆発した、核爆弾の熱で。
ぞわり、と鳥肌が立った。ガクガクと震えが来る。
「ベイオ、大丈夫だか?」
アルムが心配して抱き着いて来た。その身体から伝わるぬくもりが、ベイオの悪寒を癒してくれた。
「なんでもないよ、ビックリしただけさ」
アルムを安心させたくてそう言ったが、ベイオの胸中は千々に乱れたままだった。
……大丈夫。もう何年もここに埋まってたはずだ。放射能なんて消えてる。
広島も長崎も、戦後すぐに復興した。もしここに放射線検知器があっても、何の異常も出ないはずだ。
しかし、本当に恐ろしいのは別のことだった。
ハッキリと思い出したのだ。
……あれは、この石だ。
去年の春、このあたりでアルムと遊んでいてこの石を見つけ、手を触れたときだった。ベイオが目眩を起こして倒れ、前世の記憶を取り戻したのは。
となれば、ベイオとしてこの世界に生まれ変わったことに、何か関係があるのではないか。
「これ、土台が出てくるまで掘り下げてもらえます?」
ベイオが頼むと、アルム父は無言でうなずいた。
穴の底のあたりから、文字を刻んだような溝が見えたための依頼だった。
アルム父は二人を抱き上げて穴から出すと、さらに掘り始めた。アルムが土を運び出すのを手伝う。
ベイオは工房の椅子に腰掛け、作業をぼんやりと眺めていた。しかし、頭の中では目まぐるしく考えが渦巻いていた。
……僕がいた世界では、この碑文にあるような出来事は無かったはずだ。少なくとも、僕は知らない。
記憶が正しければ、この半島の北にある独裁国家が核開発を続け、問題になっていた。しかし、アメリカなどが働きかけて開発は中断したはずだ。
……いや、実はしてなかった?
そうかもしれない。そして、戦争が実際に起きたのかもしれない。
……異世界が一つだけ、なんて限らないし。
別な世界ではこの地で戦争が始まり、一旦収まったものの、再発して核兵器が使われたのか。その爆発で、この石碑はこちらに飛ばされてきた、と。
一応、理屈は通るのだが。
……どうして、この時代なのだろう?
この世界は、獣人や龍がいるが、概ね前世の世界と良く似た歴史を歩んでいる。ただ、時代的には五百年ほどの差がある。
もちろん、世界が違えば、時間の流れも違うのかもしれない。そうではあるのだが……。
……それに、何でここなんだろう?
ベイオが生まれたのは都だった筈だ。そのすぐ後に政変が起きて、この村まで落ち延びてきたと、母エンジャから聞いているが。
……考えても分からない事だらけだな。
そのうちに、村の奥の方からにぎやかな声が近づいてきた。子供らが楽し気に喋りながら、山車を返しに来たのだ。
「楽しかった!」
「ありがとう、ベイオ!」
「また来年もね!」
口々にそう言うと、子供らは帰っていった。
ベイオは山車から人形と仕掛けを取り外し、工房の棚にしまった。
「ベイオ」
アルムの声に振り替えると、泥だらけの彼女が立っていた。
「おとうがね、暗くなるからお屋敷に戻った方がいいって」
確かに、夕日はもう山の向こうに隠れていた。日がずいぶん短くなっている。
「わかった。朝になったら、また来るよ」
荷車を返すのは明日の約束だった。収穫が終わってしまえば、それほど使わなくなる。だから貸す方ものんびりしていた。
しかし、できればこの石碑の事は人に知られたくない。山車がすごく好評だったので、明日は早朝はまだしも、昼近くなれば村の子供たちが遊びに来るかもしれない。穴に落ちたら大変だし、珍しいものを見て黙っていられる子供はいない。
となれば、問題は石碑を調べる時間だ。
「なるべく早く掘れるかな?」
ベイオが聞くと、アルムはニパッと笑顔になった。
「おらたちは夜目が効くから、今夜中に掘っちまおうと、おとうが言ってるだ」
まかせろ、という感じでアルムが胸を張る。東の空にはほぼ真ん丸な月が昇っていた。月明かりで十分なのだろう。
「わかった。頼むよ。でも、寝る前に体洗った方がいいよ」
「うん!」
元気な声に見送られて、ベイオは代官屋敷に戻った。
翌朝。
起きてすぐ、ベイオは工房小屋に向かった。小屋の前ではアルム父子が待ち構えていた。
「ベイオー、おはようだー!」
アルムが元気に手を振ってきた。
「おはよう、アルム。早速だけど、荷車を返してきてくれるかな?」
「えーだよ!」
貸してくれた村人に支払うファラン銅貨を渡すと、アルムは荷車を引いていった。
ベイオはアルム父に向き直る。
「石碑、根本まで掘れました?」
アルム父はうなずくと、穴の縁を指差した。穴の中に立て掛けた梯子の先端が覗いてる。
落ちないように気を付けながら、ベイオは穴を覗き込んだ。
……思ったより深いな。
四メートル近くある。どうやら、碑文は三段になっているらしい。朝日は穴の底まで届かないが、石碑に反射して何とか明るさを保っていた。
慎重に梯子に手をかけ、一段ずつ降りていく。最初は、昨日みた英文だ。
……次は、中国語?
たしか、簡体字という漢字だ。駅の表示等で良く見る。
さらに降りていくと。
……日本語だ!
見慣れた漢字と仮名の文章。
穴の底に降り立つと、ベイオは食い入るようにその碑文を読んだ。
『ここに、第二次朝鮮戦争で犠牲となった、全ての人々を慰霊する。
西暦二〇XX年八月十五日、三十八度線は***側から予告なしに破られ、**側の親北派が呼応して起こした軍事クーデターにより、半島の南端まで戦乱が広がった。』
*の部分はハングルで表記されていたので、ベイオには読めなかった。
……そういえば、ネット地図の表記も、この半島はハングルで表示されてたっけ。
八月十五日は終戦の日だが、日本に勝利した記念日としている国も多い。「夢よもう一度」と言うことなのだろう。
苦い気持ちで、碑文を読み進める。
どうやら、日米は半島にいる邦人及び米国人救出のため派兵したようだ。この石碑の世界では、日米安保や憲法も改正されていたらしい。
そして、どうやったのか中国にも手を回し、「協力を取り付けた」と書かれていた。
その結果、この地で激戦となり、北は核爆弾で脅しをかけたが、日米側がかろうじて勝利。半島は南北共に国連統治となった。しかし、自害した北の独裁者は影武者で、本物は行方不明らしい。
……この辺が、この後の核爆発の伏線なのか。
その下には、犠牲者の名前が国ごとの表記で並んでいた。
細かい文字で、何百人も。
しかし、その尊い犠牲は無駄になってしまったのかもしれない。この石碑をこの世界に弾き飛ばした、核爆発によって。
「ベイオ!」
穴の底で物憂げな思いに沈んでいると、アルムの元気な声に引き上げられた。
「荷車、どっちも返してきただよ」
「ああ、ありがとう、アルム」
そう答えると、ベイオは梯子を昇って穴から出た。
「ベイオ、泣いてる? どっか痛いだか?」
「え?」
そう言われて、初めて自分の頬が濡れていることに気づいた。
「昔、ここで戦があって、たくさんの人が亡くなった、そう書いてあったんだ」
「そっか、悲しいだね」
そう言うと、アルムはベイオをギュッと抱き締めた。
……なんだか、慰められてばかりだな。
ベイオはアルム父を振り返った。
「碑文は読み終ったので、穴を埋めてください。誰か落ちたら大変なので」
うなずくと、彼は黙々と土を穴に戻していった。
その作業を、ベイオは側に立ち尽くして眺めていた。
……が、すぐに隣でアルムがぶーたれた。
「つまんなーい!」
そして、ベイオの手を引いて歩きだした。小川に沿って、木立の間を。
「いい天気だから、お散歩するだ!」
頭上は秋晴れ。足元には落ち葉と、木の実。
「ドングリたくさん!」
このあたりの木立も、ミズナラが多かった。まだ若いので木材には向かないが。そして、ナラ等の広葉樹の種がドングリだ。
アルムは夢中でドングリを拾った。ベイオも拾った。
「水に浸けて潰して、蒸して食べるだー」
殻を剥いて灰汁を抜けば、ドングリは食べられる。秋から冬にかけての雑穀餅は、ほとんどドングリだと言ってよかった。
……しかし、これだけ種を撒いても、こんな風に全部拾われたら、ガッカリだろうな。
そう思って、頭上の枝を見上げた。枝分かれしたその先に実るドングリ。
懸命に枝を伸ばし、実を実らせても、食べられてしまう。
ドクン。
何故か、心臓が変な波を放つ。
枝分かれする並行世界。そう、確か世界線と呼んでたSFアニメがあった。
「ベイオ?」
両手一杯にドングリを盛ったアルム。きょとんとした顔は、ベイオに対して一片の疑問もなく、信頼しきっていた。
「主上」
振り返ると、アルム父がこちらに向かって歩いてきていた。
「主上、お教えください。あの石碑は何なのですか?」
言葉使いとは裏腹に、誤魔化しは許さぬとばかりの真剣さがあった。
前門も後門も狼。
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