第84話 アルムの生まれた日
答えたくない質問を強要されるよりも、答えてあげたい質問に答えようがない方が辛い。自分を信頼しきっている相手なら、なおさらだ。
「小屋に戻って話そう」
そう、ベイオはアルム父子に告げ、ゆっくりと歩き出した。
……単なる時間稼ぎかな。
アルムは両手いっぱいにドングリを抱えたまま、ベイオの後をついて来る。
「おとう、どうしただ?」
隣を歩く父親が、やけに真剣な顔なのが気になるようだ。
アルム父は獣人語で答えたが、よくわからないようで何度かやり取りがあった。
それでもアルムは納得いかないらしい。黙り込んで、とぼとぼとベイオについて歩く。
アルム父子の小屋に入るのは久しぶりだった。土間の上にゴザを敷いただけの簡素な造りだ。
話すのは工房小屋でも良かったのだが、壁のない吹きっ晒しでは、余り微妙な対話はしたくなかった。
そのゴザの上を進められて、ベイオはちんまりと正座した。その正面にアルム父が座る。アルムは、両手のドングリを部屋の隅にある素焼きの壺に入れ、父親の横に座った。
「えーと、まず、あの石碑のことなんだけど」
言葉を選びながら、ベイオは話し始めた。
嘘はつきたくない。しかし、この世界に対し単純素朴な理解しかしていない彼らに、いきなり並行宇宙とか転移とか話しても混乱するだけだろう。ましてや、自分が異世界から転生してきた、なんて話せるわけがない。
……こんな時は……そうだ、相手の気持ちに注目するんだっけ。
就職面接のための研修で読まされたパンフレットに書いてあった。
「なぜそんなにあの石碑が気になるの?」
逆質問になってしまうが、ベイオとしても気にかかる。確かに珍しい石碑だが、それ以上の物ではない。文字が読めないなら、英語だろうと日本語だろうと関係ないはずだ。
アルム父は傍らに座る娘に手を伸ばし、赤毛の髪を優しく撫でながら答えた。
「あの石は、この子が生れた日に、生えてきたのです」
「「え?」」
意外すぎる話で、ベイオとアルムの声が重なった。
「どこから話せばいいか、私にもわからぬのですが……」
そう言って、アルム父は自分の半生を話しだした。
アルム父は、この半島の南西にある離島、タンラ島で生まれ育った。今は滅んだ獣人の王国、タンラ国の王族の傍流として。
ある日、タンラ島にヒト族が何人も船で送り込まれて来た。都で政変があり、政治闘争に敗れた一派の子女が島流しとされたのだ。
アルムの母はその一人だった。
……それは多分、お母さんが都を離れたのと同じだな。
ベイオはそう考えて、納得した。
アルムと目が合った。血は繋がってないけれど、思った以上に二人には縁があったようだ。
娘の前で、細かいいきさつは話しにくいのだろう。アルム父はかなり話を飛ばした。アルム母の下男となったところから、いきなりアルムの母が妊娠したところへ。
その点はまぁいい。ベイオにしても、幼馴染の父親からラブロマンスを語られたいわけではない。
が、気になる点はあった。
「あの……タンラ島ではそう言うの、大丈夫なんですか?」
「もちろん、見つかれパ、ふたりとも死刑です」
やはりか。
わかっていてもそうなってしまう。なってしまったら、逃げだすしかない。
「私は、妻をつれてディーポンに渡るつもりでした。あちらではヒトと獣人の組み合わせは珍しくないし、悪く言われることもないと聞いたので」
確かに、とベイオはうなずいた。獣人のガフが大名になるくらいなのだから。
小舟を盗んで半島の南西まで逃げ伸び、そこから陸路で南東のブソン港を目指したのだが、身重のアルム母を抱えて峠を渡るのに時間がかかり、この村まで来たところで臨月となってしまったという。
そこでベイオの母、エイジャと出会った。アルム母が自分と同じ政変の犠牲者だと知ったエイジャは、親身になってアルム母の世話をしたらしい。
そして話しはようやく、アルムが生れた日にたどり着く。
……理路整然と話すのが苦手な人は、そうなりがちだよね。
前世の母を思い出す。何か説明しようとすると、遥かに前の話からになってしまうことがよくあった。日野少年はそのたびに「昔々あるところに、が始まったな」と思ったものだ。
……いけない。大事なところだから、良く聞いておかないと。
アルム父の話に注意を戻す。
その日は朝から陣痛が始まり、エンジャは乳飲み子のベイオを抱えてこの小屋に来て、世話をしてくれた。
「主上はちょうど、あのあたりの棚に置かれた籠の中に寝かされていました」
小屋の隅の、普段は素焼きにする器を乾かす棚を、アルム父は指さした。
……自分も、そこにいたんだ。
何もできない乳児だが、アルムの誕生に立ち会えたのなら、何だか感慨深い。
そしていよいよ陣痛が強くなってきたとき、エンジャにもっとお湯を沸かすように言われ、アルム父は水を汲みに小川まで走った。
まさに、水車工房が今ある場所まで。
「その時、地面が激しく揺れました。こう、ドンと突き上げるように」
……地震?
獣人のアルム父が立っていられず、倒れてしまうほどの揺れだったと言う。
「揺れが納まってあたりを見回すと、あの石が地面から生えてました」
まるで地面を突き破って出てきたように、周囲には地割れが広がっていた。恐れをなしながらも、妻と生まれてくる子供が大事なので、水を汲んで小屋に戻ったのだが。
「そこにいたのは、産声を上げるアルムを抱きかかえ、目を閉じて動かない妻。そして、動かない主上を抱きかかえ、激しく泣くエンジャ殿でした」
「え、僕が?」
意外な成り行きに、ベイオは呆然とした。
アルムが産声を上げた、まさにその時に地震が起こり、ベイオは寝かされていた籠ごと棚から投げ出されたらしい。外傷は無かったが、激しく土間に打ちつけられたショックなのか、呼吸が止まっていた。
「エンジャ……ベイオちゃんをここに」
アルム母は、出産の出血が止まらず、命の火が燃え尽きようとしていた。せめて最期に、生れたアルムにベイオを会わせてやりたかった。
「女の子だから、この子の名前はアルム。よろしくね、ベイオちゃん」
エンジャが隣にベイオを寝かせると、アルムはそれまでより大きな声で泣き、ぱたぱたと手足でベイオの身体を叩いた。
すると。
動かなかったベイオが急に咳き込み、まるでアルムに釣られるように泣き始めたという。
「良かった。アルム、ベイオちゃん、どうかいつまでも……」
それが、アルム母の最期の言葉だった。
……なんて……なんという……。
ベイオはアルムを見た。目を丸くしてこちらを見返しながら、とめどなく涙を流していた。
……僕は……いや、ベイオはその時死んだんだ。そこへ、僕の魂が入り込んだ。
まさに、あの石碑がこの世界に出現した時に、まるで引きずられるように。
並行世界で核爆発が起きた、ちょうど同じ時に爆破テロで日野清が死んだ。よく似た世界だから、世界線も近いのだろう。それがどれだけ意味があるのかわからないが。
そうなると、アルムは? 彼女もまた、異世界からの生まれ変わりなのだろうか?
そう。核爆発となれば、おそらく何万人も一度に死んだはずだ。意外と、アルムと同い年の子は、かなりがそうした生まれ変わりなのかもしれない。
ただ、前世の記憶がないだけで。
……じゃあ、なんで僕だけ、記憶が戻ったんだ?
わからない。わかるはずもない。
あの時も今回も、何度もアルムは石碑に触れている。つまり、石碑はきっかけに過ぎず、前世の記憶はベイオ自身に何か要因があったのだろう。
が、そこまでだ。
……解きようのない謎が残ったな。
なんとも煮え切らない結論だ。気になる伏線を張りまくったまま打ちきりになった、漫画やアニメのような。
「主上。私の話はここまでです」
そう言って、アルム父は一礼した。
「地震の時に、地割れが起こったり、埋もれていた石が出てくるのはよくあることです。しかし、あの石碑に書かれていたのが昔の戦の事だとは思えません」
「なぜ、そう思うの?」
「あの石は、新しすぎるのです。この国で戦乱があったのは遥か昔。しかし、何十年も風雪に晒され、土に埋もれていたようには見えません」
たしかにそうだ。碑文の文字は欠けていないし、彫った後のエッジも鋭かった。
「その点は……確かに奇妙だよね。でも」
一旦、話を区切って、言葉を選びながら続けた。
「あの石碑に書かれてたのは、遠い時代の戦争の事だけだよ」
麗国語の「時代」には、「世界」という意味もあった。苦しいが、嘘ではない。
「だから、なぜあそこにあったのか、僕にも分からない」
事実、その通りだ。
しかし、話せないことは沢山ある。
枝分かれした世界線。そこに実るドングリは、そこに生きた人々の魂。
それらが枝を離れ……つまり、それぞれの世界での生涯を終えたとき、それらを拾い集める「存在」がいたとしたら?
ベイオは、アルムがドングリを入れた壺に目を向けた。
……この世界が、あの壺のようなものだとしたら?
その「存在」は、自分達をどうするつもりなのだろう?
アルム父は、ゆっくりとうなずいた。
「分からない。それが主上のお答えですな」
「うん。ごめんね」
「いえ、そんな……私としては、娘の身に関係しないかと、気になったものですから」
アルム父は、やはりアルムの父だった。
……そうだよな。
娘が生まれたときに地震があった。それだけでも、迷信深い人なら不気味に思うだろう。そして、死んだと思った子供が生き返ったり。
あげくの果てに、その時出てきた岩が、あんな怪しげな石碑だなんて。
心配にならない方がおかしい。
……だから、お母さんも何も言わなかったんだな。
エンジャにしてみれば、一時とはいえ、最愛の我が子が仮死状態になったのだ。どれ程、恐ろしかっただろう。思い出したくもないに違いない。
「僕に言えるのは、アルムのことを大切にする、ってことだね」
「ありがとうございます、主上」
土下座されてしまった。
が、もっと面倒なのは、アルムが目をハートにしてこっちを見つめてることだ。
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