第63話 光の網

「ふむ。通信手段となる呪法か」

 ベイオの出した問いかけに、シェン・ロンは腕を組んで沈思黙考した。


「ゾエンさんとも、連絡を緊密にしたいですから」

 北都からトンボ返りした伝令によって、ファラン達がこちらに向かったことが分った。同時に、ゾエンが国王側と交渉するため、ギジョ郡へ単独で行くことも。


「途中でジーヤやジョルムと行き違いになったら可哀想だし」

 今のところ、事情が伝わっていない可能性が高いのは、その二人だ。なんとか自分の無事を知らせ、出来たらゾエンの警護を頼みたい。


 ゾエンは以前も単独で交渉に臨んでいるが、今回は国王側がより一層追い込まれている。逆上して最悪の手段に訴えないとは断言できない。


「しかし、わしの知る限り、呪法には使えそうなものが見当たらんのう」

 そう答えて、シェン・ロンは傍らに横臥するジョ・レンギャに問いかけた。


「ギョレン殿。なにかありませぬかな?」

 問われて、瞑目していたジョ・レンギャ(あざなはギョレン)は目を開いて答えた。


「何も思いつかぬな。そもそも、遠くまで作用する呪法となれば、ほとんどが攻撃呪法だ」

 二人は龍によって攻撃に使える呪法を禁じられている。

 そして、遠距離となれば老師クラスの呪法師でなければ無理だ。


 呪法は、いわゆる魔法ではない。あくまでも自然現象を意図的に引き起こす力だ。その対価である呪力も限られている。

 もっとも、その自然から外れた存在、龍などになると違うようだが。


「というわけで、力を貸してください」

 老師たちの部屋を辞し、居住まいを正してベイオはヤノメに頼み込んだ。


「ジーヤとジュルムに僕の無事を伝えて、ゾエンに同行させたいんです」

 ヤノメが龍の姿になって飛べば一瞬だし、上空から彼らを見つけ出す事もできるはず。そう、ベイオは踏んだのだ。


「わかりました。では、ちょっと行ってきますね」

 まるでコンビニにでも出かけるように、彼女は請け負ってくれた。

 ……のだが。


「わぁ! いきなり庭で変身しないで!」

 しかも、服を脱ごうとしている。


「着たままでは破けてしまいます」

 ヤノメは当然のごとく言うが、いや当然なのだが。


 ……龍ってやっぱり、社会常識ないんだな。


 痛感してしまった。

 なんとかヤノメを説得し、河に沐浴しに出かける風を装ってもらった。幸いにして季節は夏。同じように出かける女性も多かった。

 水中で変身し、そのまま河を下って海から空に登ってもらうのだ。面倒ではあるが、人眼には付きにくい。

 女官を一人伴ってもらい、衣服の番を頼んだ。


 色々と心臓に悪かったが、喫緊の連絡は何とかなった。


 問題は、今後の恒久的な通信手段だ。

 まずは、この世界で手に入るもので、なんとかするしかない。

 ベイオは工作部屋に引き上げた。


 まず、思いつくのは光を使った通信だ。太陽光を鏡で反射させて信号を送る。


「鏡って、この国で作れるかな?」

 この屋敷にも、小さなものはある。女官に頼んで持ってきてもらった手鏡だ。しかし、残念ながら中つ国から輸入したものだった。裏面に作った者の銘があった。


「磨いた金属でも何とかなるかな」

 底が平らな銀の皿を何枚か厨房から借りて来て、それで簡単な装置を作った。


 大き目な皿を水平に起き、傍らに角度を調節できる支柱を立て、その先端に小皿を取り付ける。小皿を取り付けた軸にはバネと紐がつけられていて、大皿の横のレバーを押すことで小皿が上下に傾いた。

 陽射しのよい窓際に置いて試してみたが、何とか狙った場所に光を当てることができた。


「あとは……モールス符号ってどんなだっけ?」

 長短二種類の符号の組み合わせで文字を表すやり方だ。無線で多く使われたが、光信号でも同じ使い方ができる。


 ……確か、英文のアルファベットでは、よく出てくる文字ほど短い符号で表せるように工夫されていたはず。


 Eが「・」で、Tが「―」というように。

 麗国語の表音文字も、同じ形で符号化できるはずだ。

 文字種の数それ自体はアルファベットの何倍もあるが、幸いなことに、この国の表音文字は子音の部品と母音の部品に分かれている。それらを符号化して組み合わせれば、覚える数は大幅に減るだろう。

 大きな紙に表音文字の子音と母音の部品を書き並べ、それぞれに符号を割り振って行った。


「よし、じゃあ試してみよう、アルム……」

 そこで、アルムがここにいないことに気づく。

 思えば、ベイオが何かを作っている時、いつも傍らに興味津々なあの子がいた。


 ……早く帰ってこないかな、アルムもファランも。


 ちょっと寂しい感じのベイオは、母に声をかけて実験を手伝ってもらった。


「面白いわね、これ」


 母のエンジャは、この光通信機が気に入ったようだ。


「あまり遠くまでは伝わらないけどね」


 確か、平地に立っていると地平線は四~五キロだったはず。櫓のような高い場所に設置すればもっと伸びるが、今度は山などが視界を遮る。この王都と北都の間の距離が約二百キロほどだから、何カ所も中継地点を作る必要があるだろう。

 しかし、馬を飛ばしても獣人が全力疾走しても、半日やそこらはかかるのだ。この光を使ったモールス符号による通信網が全国を覆えば、大きな変化を生むだろう。


 問題は、曇りや雨の日の昼間だ。特に、何日も晴れ間がない雨季が困る。

 一方、夜は普通に明かりをともしてやれば良い。


「昼間でも、充分に強い光を起こすことができれば、太陽光を当てにしなくて良いんだけどなぁ」

 実際には、老師たちくらいの、かなり年季の入った呪法師でなければ難しいらしい。


 また、この通信では長い文章を送るには時間がかかる。たくさんの人に使ってもらいたいので、何時間も独占されてはたまらない。

 それに当然ながら、送れるのは言葉だけだ。品物は送れない。


「やっぱり、郵便も必要だよね」


 そうなると必要になるのが、住所だ。

 例えば、故郷の村に住むヨンギョンやミンジャに手紙を送るとする。そうなれば、数ある村の中であの村がどれなのか、道、郡、村とはっきりわかる呼び名が必要だ。実際には村レベルになると呼び名が一定していないことも多い。

 さらに、配達相手の住民が村のどこに住んでいるのか、ハッキリわかるように番地も振らないといけない。


「こっちは国の制度が関わるから、大変だなー」


 それこそ、自分が王になるくらいでないと、実現は難しそうだ。


 母を相手に、ベイオはああでもないこうでもないと頭を悩ます。そんな息子を暖かく見守る母、エンジャ。


 ……故郷の村からずいぶん遠くまで来たけれど、この子はずっと変わらない。


 変わらないままでいてほしいと思う反面、変わらざるを得ないと言う事も分っていた。

 ゾエンはベイオを国王に据えて、全く新しい国を作ろうと画策している。ファランの見た「顔のない獣」の夢が現実とならないように。


 そのすべてをエンジャは受け止め、ゾエンと再婚することに決めたのだった。


* * *


 ジーヤとジュルムは平原をひたすら歩いていた。

 誰も乗っていない車をジーヤが引いて、その脇をジュルムが歩く。


「若。車に乗ってもよろしいのですぞ」

「歩く方がいい。修行にもなるからな」


 修行と言うのなら全力疾走でもすべきだ。あるいは、ジーヤを乗せた車を引くとか。そうするでもなく、ただ歩いているのは、心の迷いの表れだ。


 主と仰ぐベイオが消えたからだ。


 ジュルムが目指すのは獣人たちの族長。そこまでだ。

 国王などとはとても名乗れない。

 獣人だけで一国が成せればいいが、人数はとても少ない。それこそ、半島の南西にあるタンラ島を埋めるのがせいぜいだ。

 そんな弱小国を作ったところで、生き残ることはできないだろう。かつてのタンラ王国の二の舞だ。


 だから、ジーヤはジュルムに説いたのだ。

 ベイオがこの国の王になれば、その一角に獣人の居住地を作ることができる、と。

 そこに国中に散らばった獣人たちが集まれば、数も増える。獣人の人口が経る一方なのは、同族の配偶者が見つかりにくいためだ。だから一か所に集まるべきだし、皆にとってわかりやすいリーダーは純血種だ。


 ベイオが作る、獣人差別のない国で一族をまとめ、増やし、その上で自治や独立を目指す。これが、ジーヤの描く将来だった。

 ジュルムは、そこまで深い考えではない。ただ、ベイオの気持ちがまっすぐなのはわかった。


 ……それでいい。そう思ってた。


 だからこそ、ベイオが行方知れずなのは不安を掻き立てた。思わず、空を見上げてため息をついてしまう。


「……あれは?」


 向かう先、南の方角の空に、黒い線が見えた。波打つように動き、次第に長さや太さが増える。近づくにつれ、先端の膨らみとその後ろの一対の突起が見えて来た。


「……龍!」


 ジーヤが車を引く横木を放して飛び越え、身構える。

 二人が見上げる空では、漆黒の竜の鱗が陽光に照り輝き、渦巻くように旋回していた。その全長は数十メートルほど。

 やがて竜は地上に降り立った。話に聞いた龍とは、色もサイズも大きく異なるが、龍であることには間違いがない。


 と、その姿に異変が生じた。頭部の下から肌色の突起が現れ、後ろに伸びた胴体が急速に縮んで行った。見る見るうちに、突起は全裸の女性の身体となり、胴体は長い黒髪となった。

 黒髪はその全身を覆い、黒い羽衣のようになった。


「「……ヤノメ!?」」


 ジュルムとジーヤが異口同音に叫んだ。


「はい、ベイオの願いにより、あなた方を迎えに参りました」

 微笑みながら、ヤノメは告げた。


「ベイオが申すには、あなた方にゾエン殿の警護をしてもらいたいそうです」

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