第109話 力と業
強ければそれでいいんだ。
力さえあればいいんだ。
そう思い、ボムジンの家を飛び出したジュルムだった。
しかし、それだけでは誰も救えない。それを今回、いやと言うほど思い知らされることになった。
星空のもと、焚き火の前で車座になって、食事がふるまわれた。母親たちのうち、乳が出るものは授乳し、出ないものは支援物資の米で重湯を作り、与えていた。
そう、米だ。麗国でも貴重なはずの米を、ベイオは支援のために送ってくれたのだ。見ず知らずの他国の者たちの為に、惜しみなく。
助けた町の者に聞けば、この町はヒト族がほとんどで、獣人は蔑まれていたらしい。麗国とも疎遠で、むしろ中つ国との方が交流があったと言う。
「国境の川を越えてからこっち、立ち寄った集落は冷淡でしたからね」
そう語るのは、支援物資を運んできた輸送部隊の指揮官、百卒長のバイエン。猪人族の青年で、リウ・シスンが最初に訓練した十人の一人だ。かつて、中つ国の侵略部隊を殲滅するためにセイロンが指揮した、連装
「集落の外に幕屋を張らせてもらうだけなのに、やたら警戒されましたっけ」
そもそも、この辺り一帯が多かれ少なかれ、元のこの町と同じ傾向だったようだ。
それでも警戒されるだけですんだのは、輸送部隊を護衛する兵士らの錬度が極めて高かったからだ。弓矢や槍などは持たずとも、腰の剣――ディーボンの刀は目を引いた。
これがなければ、襲われて物資を奪われていたかもしれない。
「そんなわけで、伝令の中継所の設営も、すげなく断られちゃいました」
あっけらかんとバイエンが笑うと、八重歯のような牙が見えた。
彼らは本来の任務は果たした。中継所はあくまでもおまけだ。今までの経緯を考えれば、当然だ。
……獣人への差別、か
ジュルムは脳内でつぶやいた。
しかし、ここにはもう、そんな雰囲気はどこにもない。ジュルムと猛虎団による必死に救援活動と、麗国の支援部隊が、そんなものは覆したのだ。
……その前に、中つ国にすりより麗国への略奪行為を命じていた者たちを、ナルイチが皆殺ししているのだが。
……ボムジンも、考えてみればすげぇな。
ただの気のいい大酒のみだが、彼の飲みニケーションとベイオが量産する絹が、東北部で同じことをやってのけているのだ。一人も殺さずに。
「ときに、バイエンとやら。ひとつ教えてくれ」
ギョレン老師に声をかけられ、猪人の青年は居ずまいを正した。
「何なりと」
「そなたの率いる部隊は、我の予想より随分と早くたどり着いた。どの様な工夫があったのか、是非聞きたい」
真剣な老師の表情に気圧されながらも、バイエンは知ってる限りのことを話した。
ベイオの懇願で、リウ・シスン元帥は物資の輸送を急ぐ決断を下した。当初、全輸送部隊を帝都から出発させる計画だったのを、大幅に変更して、半分を北都から即日出発させたのだ。北都で物資が不足してしまうが、それは後で帝都から補う。玉突き輸送だ。
ベイオが去年の台風災害の救援で使った手の応用となる。
更に、北都発の部隊も二つに分けた。バイエンが護衛部隊の大半を率いて、自分等の馬に最低限の物資を積み、早駆けで先行したのだ。
牛車が主体の残りの部隊は、もうじき国境を越える所だという。
「だから、俺たちは明日の朝、引き返して合流しなきゃならないんですわ。護衛が手薄じゃ危険ですから」
「大変だな。ご苦労なことだ」
「いやいや、皆さんほどじゃ」
彼がジュルムに向ける目には、憧憬の念がこもっていた。
「皇帝陛下もあなたも、『生ける伝説』ですからね」
「伝説? 目の前にいるのに?」
ジュルムにはしっくり来ないらしい。そのせいか、あくびが出た。
「そろそろ、寝る」
立ち上がり、幕屋のひとつに入ると、そのまま泥のように眠った。
随分と久しい、深い眠りだった。
* * *
ジュルムたちは、その町にさらに半月ほど留まった。その間、バイエンたち支援部隊は国境との間を何度か往復して、かなりの量の物資を運び込んだ。
「生き残った連中で、こんなに食えるのか?」
女子供がほとんどなのだから、ジュルムの疑問は当然だろう。しかし、ギョレンは諭すように話した。
「周辺の集落に渡して、家畜と交換するのだ」
「そうか。……確かにな」
家畜を全て殺された彼らは、破産したのも同じだ。しかし、貴重な穀物となら、かなりの頭数が手に入るだろう。
ジュルムたち猛虎団が町を去るときが来た。同時に、バイエンたち麗国支援隊は、さらに後続の輸送部隊を引き連れてジュルシェン領の奥へと向かった。
ベイオがナルイチに約束した分の支援物資を届けに。
「複雑な気分ですね」
猛虎団の長、ラガダイは彼らを見送りつつ、つぶやいた。ジュルムは表向き、ナルイチと対立してはいない。しかし、この地での惨劇を目の当たりにして、団員の間にどんな感情がわいたかは、聞くまでまもない。
「麗国としては、中つ国こそが脅威だからか」
ギョレンが答える。
既に昨年、あからさまな侵略を受けており、辛くも撃退したにすぎない。再び同じことが起きても、次はないかもしれないのだ。
バイエンから聞いた、ベイオ作った連装
何より、数が少ない。製造には大量の鋼が必要で、ベイオはこのために国中の武器を鋳潰すしかなかった。
そして、密集した敵には有効でも、散開されると弱い。囲まれて肉薄されれば、逆に殲滅されかねない。
奇策は所詮、奇策に過ぎない。例えばあの時、リウ・ジョショが兵を二分し、別な場所から川を渡らせていたら。
背後を強襲されたら、弩隊はひとたまりも無かっただろう。
だから。ナルイチに加勢することは戦略的には正しい。それは間違いない。
しかし、とギョレンは考える。
……後々のことを考えたら、残虐行為は控えるべきではないのか?
あまりに苛烈すぎるのだ。この町でも、ナルイチに対する怨嗟の声は深い。表だって声をあげられない分、ドロドロとおりのように心の底にたまり、熔岩のように熱くたぎっている。
なのに、見えている限りで、彼は「下らない」とでもいうように、無関心だった。
それが意味することを考えて、ギョレンは愕然とした。
……これは、なんとしてもベイオに伝えなければ。
しかし、内容が内容だ。中継で見られても問題がないよう、表現を工夫し、ベイオ以外に悟られないようにする必要があった。
しばし沈思黙考ののち、ギョレンは筆を執った。
* * *
ギョレン老師からの通信文を読んで、ベイオは頭を抱えた。そのあげく、シェン・ロン老師に泣きついた。
「ほぅほぅ、もはやお主がわしに教えを乞うことがあるとはのぅ」
いつもの技術学校の研究室で、作りかけらしい色々なからくりを見回しながら、老師はホクホク顔だった。このところ、弟子のはずのベイオにやり込められてばかりのシェン・ロンとしては、小気味良いらしい。
「意地悪しないで教えてよ。何なの、この一文は!?」
ナルイチは秋を厭わず。冬の先を読むなり。
そのたったの一行だけ。
「まだ夏すら来ていないのに。もしかして、今度の秋、向こうでは豊作になるとか? それだと、穀物支援の価値が下がって――」
「落ち着くのじゃ、ベイオ」
「……はい」
ベイオはおとなしくなった。
「ギョレンは中つ国の生まれじゃ。だからこれは、かの地の文化で考えるべき」
「中つ国の文化?」
「左様。この言い回しは、詩歌のそれじゃな」
ソレがドレなのか、ベイオにはさっぱりだった。
「それで言うなら、夏こそは人生で大望を果たすべき時期。秋は、その成果を受けとるべき時期」
セイロンの晩年を、人生の秋に例えたのと同じだ。
「え、じゃあナルイチは、やりたいことをやったら、あとはどうでもいいと?」
不安を隠せない。
ナルイチを支援すると決めたのは、彼の掲げるビジョンに、共感できるところもあったからだ。特に、獣人の地位向上など。
中つ国では、獣人の男性を強制的に宦官に取り立て、女性はヒト族との婚姻を強制していると言う。これは要するに、獣人の絶滅を目論んでいるということだ。
ベイオにすれば容認しがたいし、それを打ち破るというナルイチには期待もできた。
「僕は、間違ったの?」
「そこまでは言っておらんし、そもそもわからん」
曖昧すぎる、とベイオは感じた。
老師は言葉を継いだ。
「ギョレンが見たところ、ナルイチの戦いぶりには天下を取った後の展望が読み取れない、と言う事じゃろう」
それじゃ、批判するだけの野党が政権を取った時と一緒だ。
そう、ベイオは感じた。
「……まるで、顔のない獣みたいだ」
中つ国と言う巨大な樹を食い散らかして倒してしまう獣。違いは、こっちのは顔がはっきり見えていると言う点。
「ジュルムに頑張ってもらうしかないのか」
そうつぶやいたベイオは、傍らの機械のスイッチを入れた。
新型の自動織機だ。外に建てた風力発電機の電力が通じると、往復子がパンパンと左右し始めた。こうして織られる大量の布地、特に絹が、この国とジュルムの活動を支えている。
「まだ後半の文があるぞい」
老師の言葉に、ベイオは伝令の文をもう一度見た。
『冬の先を読むなり』この一文だ。
「冬ってことは人生の終わりってこと?」
「そうじゃな」
「ナルイチは極楽浄土にでも行くつもりなのかな」
とても、そうは思えない生き方だ。
「察するに、自分が死んだ後の事について、考えがある、と言う事じゃろう」
しかし、何を考えているかは、ギョレンにもわからない。おそらく、ナルイチのそばにいる部下でも、見て取れないことなのだろう。
「見ようとしないと見えないってのは、これと一緒だね」
ベイオは一メートルほど織り上がった布地を織機から外し、老師に手渡した。
「斜めから光を当てるようにして、見て」
言われた通りに窓からの光に布地を当て、老師は脳天を殴られたようなショックを受けた。
「……な、なんじゃ、この布は……」
布地には、この国の国旗でもある「麗」の一字が浮き上がっていた。
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