第110話 夏に思う冬の彼方
禿げあがった頭をつるりと撫でて、老師はため息をついた。
「まったく。こんなに頭に衝撃を喰らい続けたら、こぶだらけになってしまうわい」
ベイオはニコニコ笑って得意げだ。
「ファラン銅貨の鋳型を量産した時の応用だよ」
自動織機の後ろから筒状に巻かれた紙を取り外し、老師に見せる。紙には小さな穴が沢山空いており、全体を見ると「麗」の文字の形になっていた。
「……これが鋳型じゃと?」
「そう。横一列が
緯糸を通す
これに対し、経糸の二、三本置きに緯糸が表に出るようにしたのが綾織りだ。緯糸を通すたびにその位置をずらしていくので、光にかざすと斜めの模様が浮かび上がる。強度はやや落ちるが、生地に伸縮性が出て、手触りも良くなる。前世ではデニムやツイードがこの織り方だ。
これをさらに応用して、平織と綾織りを自動的に切り替えるようにしたのが、この最新式の自動織機だ。
手織りでこれを行った例は、ディーボンなどでも見られる。鎧や狩衣に家紋を織り込んだものを、熊侍ガフくらいの武将になると身に着けていた。
それが全自動で大量生産されるのだ。
「これって多分、偽造すると、もの凄く高くつくよね」
「……元々、手織りでは勝負にならんわい」
絹のような贅沢品だけではなく、日用品として使う木綿や麻や毛織物にも、この織り方は使える。
「支援物資の布地は、これから全部、これにするつもりなんだ」
「この国の旗が織り込まれた布地とはな」
この国の支援を受けた民は、染めても浮き上がる、麗国の印をまとうことになるのだ。
「物資を奪っても出所がすぐに分かれば、襲われにくくなるはず」
「なるほど、恩を売るというより、略奪の防止が目的じゃな」
「それこそ、米粒全部に刻印彫れば――」
老師の目がくわっと見開かれた。
「そこまですると!?」
「やらないよ、さすがに。でも、米を入れる袋に織り込むのはいいかも」
米俵も、藁で編んだ
ベイオの開発力がうなぎ登りなのは、技術学校の効果が大きい。基礎を学んだ生徒たちが、彼の助手となって部品の作成などを手伝っている。部品の共通化や標準化のお陰で、図面を起こした次の日に試作品が完成することもある。
その生徒たちの何人かには、化学の実験を繰り返してもらっている。ベイオの前世の知識で欠けている分野を補うためだ。
その目下の課題は、ガラスの量産化。
そう、ガラスだ。これがないと、電球が作れないのだ。
……折角、発電できたのに!
暗いロウソクの明かりで読み書きするのは、健康的にも経済的にも良くない。自動織機や紡績機は夜間も動かせるけど、明かりが灯明では火災が怖い。
電球こそが、電気の革命だ。
……と、言うのが理屈なんだけどね。
ガラスの製造では、燃料や、原料の灰として、大量の木材が要る。その大量生産・大量消費の行き着く先を知っているベイオは、考えずにいられない。
……この世界でも、資源の奪いあいで戦争になったり、環境汚染が起きたりするんだろうか?
環境破壊なら、既に起きかけていた。木材不足による、森林の大量伐採。だから、ボムジンたちに東北部に行ってもらったし、植林も進めた。
ガラスや鉄や銅の生産を増やせば、廃棄物も増える。すぐに大きな影響はでなくても、放置すれば百年、二百年後には深刻な問題となるだろう。
ベイオがこの世界での生涯を終えた、ずっと先の時代に。
……ひょっとして、これが「冬の先を読む」こと?
ふと老師に目を向けると、ソワソワと研究室にある作りかけの機械を物色していた。禿げ上がっても男子。好奇心は尽きないらしい。
その老師に、今感じたことをぶつけてみる。
「ふむ。お主がこの世を去ったあとか。ずいぶん先のことじゃのう。少なくとも、わしよりもずっとな」
「ナルイチも、それを考えてるってことだよね?」
ベイオがやっているのは、この世界の、そしてこの国の未来を変えることだ。
爆破テロで少年が命を落とす世界でも、あの石碑が建てられた核で滅んだ世界でもない世界に、そして麗国に。
豊になって教育が行き届けば、暴力や武力に頼らなくてもすむはずだ。それがベイオの願いだ。
では、ナルイチは?
ナルイチは戦いの後の事に無頓着だ。そのくせ、自分が死んだ後の事を考えてる。
「ナルイチは、戦って死ぬつもりなんだ……」
それが、たったひとつの答だった。
「やつは、獣化なんちゅう力を身に付け、獣の姿で長いこと山にこもっておったそうじゃな。そのなかで、何かを見いだしたのかも知れん」
その「何か」とは、老師にもうかがい知れない。人ならざるものと成った男が、求めるもの。
「不穏な気配しか、感じとれんのう……」
* * *
季節は夏。
入道雲の浮かぶ青空のもと、大陸北部の草原を一台の車が疾走していた。車を引くのは壮年の獣人、ジーヤ。乗るのはギョレン老師。その座席の背もたれに掴まるジュルム。
三人は、ナルイチが兵を進めたという情報を得て、ジュルシェン領の北西を目指していた。
情報をもたらしたのは、バイエンたちが築いた伝令の中継所だった。ナルイチに物資を届けながら、連絡網をさらに内陸深くまで広げていったのだ。
「領土の周辺は、どうしても帰属意識が希薄となる。自給自足の遊牧民なら、なおさらだ」
ギョレンが概説する。
「じゃあ、ナルイチが中つ国の打倒を掲げても、従おうとしない集落か出てきた、ということか?」
ジュルムも結構、こうした時局を見る目がついてきたようだ。
「恐らくは。やつも、そんな連中に後ろから刺されたくはないのだろう」
先日の南部連合とは違い、北西部は四つの部族に分かれて対立しているらしい。その一つ、一番小さなホイファという部族が、今回狙われた。
「典型的な、各個撃破だな」
「かっこ?」
「バラバラな敵を、一つずつ潰していくや方だ」
ジュルムは鼻の頭にシワを寄せた。
「かっこよくない」
「堅実で手堅いやり方は、得てしてそういうものだ」
ジュルムとしては、潰される側が気になる。先日の南部の町のような、見せしめのための徹底した虐殺は、絶対に止めなければ。もう、大人と赤子を助けるために、幼い子供を殺すのは真っ平だ。
だから今回は、自分達だけで先行した。猛虎団は準備が整い次第、後を追ってくる。バイエンの分隊先行、機動力のある者だけで、まず駆けつける。これを真似たのだ。
「見えましたぞ」
ジーヤが声をあげた。疲れを知らぬ脚力が、一段と回転力を上げる。
地平の彼方からは、うっすらと煙が上がっていた。
もちろん、民家からの煮炊きの煙であるはずがない。
「先に行く!」
そう宣言すると、ジュルムは座席の背から手を放し、車の後ろへと飛び降りた。そして大地を蹴ると、金黒の残像を残して車を追い越し、今まさに焼き討ちにあっている集落へと突進した。
……もう、コニンを殺させるものか!
集落に飛び込むと、まさにナルイチの部下の一人が、十代半ばほどの少女の腕をつかんでいた。懸命に抗う少女だが、男の力にはかなわず、振りほどけない。
……!
声にならぬ声をあげ、ジュルムの小さな拳が男の顔にめり込んだ。目一杯強化されていたのに加え、全速力で走ってきた勢いが乗って、男は錐もみしながら吹き飛んだ。
すかさず、次の相手を探る。聴覚、嗅覚、視覚。
すぐそばの天幕の中から悲鳴が。飛び込むと、中の暗さに目が慣れる前に、恐怖におびえる女性と幼い子供の、そして悪意に満ちた男の体臭が。
男の背中に飛びついて、右腕に組みつき肩関節を外す。苦悶の叫びを上げくずおれる男を放置し、次の獲物を求めて幕屋を飛び出す。
ギョレン老師の獣人力車が集落に着くころには、ジュルムに意識を刈り取られたり身動きできなくなった男たちが、広場にうずたかく積み上げられていた。
「壮観だな」
そう言って、ギョレンは身体強化で車上に立ちあがった。そして、伝声の呪法を唱えると、厳かに宣言した。
「我はジュルシェン・ムダンの参謀、ジョ・レンギャ。
集落の中に、朗々と声が響き渡る。
「ジュルシェン・ムダンの名において命じる。ただちに全ての暴力をやめよ。一切の暴力と略奪を禁じる」
水を打ったような静けさの中、ギョレンは周囲を見回した。部下の姿はちらほら見えるが、ナルイチの姿は無かった。おそらく、既にここを立ち去ったのだろう。
……思った通り、
後に残った部下が羽目を外した。ナルイチにしてみれば、それだけのことなのだろう。恐怖は確かに、人々の心を縛り、支配する。しかし、一つにまとめ上げることは出来ない。
車の座席に座り直し、身体強化を解除する。
広場の片隅を見ると、助けられた人たちがジュルムを取り巻いていた。ジュルムの表情も明るい。
……こうした他人との交流を、今のナルイチは放棄している。
最初からそうだった筈がない。力と恐怖だけで、あれだけの手勢を集められるものではない。何かがあって、変わったのだ。
……そうか。ベイオとジュルム。
この二人と出会ったことで、ナルイチはどうでも良くなったのだ。自分が今のこの世界を破壊しつくすから、お前たちで後はやれ、と。
その破壊がどれだけのものになるのか。流石のギョレンも、胸が悪くなった。
そして、暑い夏は戦乱の季節となって行く。
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