第61話 屋敷

「そうか。お前たちはベイオの臣下となったのか」

「その主上が目の前で消えてしまいました」

 ガフとジーヤは獣人語で会話している。場所は、合戦場から少し南に離れた平原。


「何もできなかった我らは、ただ恥じ入るばかりです」

 そう言ってうなだれるジーヤの隣で、ジュルムも立ち尽くしていた。


 ……アルムやファランに合わせる顔がない。


 ジョルムが付いていれば大丈夫。出立する前に、ファランはそう言ってくれた。アルムも、付いて来たそうなのに我慢してた。

 それなのに。


「俺も同じだ。何もできなかった。ただ、倒れて見上げていただけだ」

 珍しく、ガフが自嘲的に本音を晒す。

 だが、獣人ほど呪力に敏感なわけでないヒト族の兵ですら、威圧感で動けなくなったほどだ。むしろ、あの中で立っていられたベイオの方が普通ではない。


 そしてあの龍は、口からまばゆい光を放ったあと、こつぜんと消えてしまった。そのため、辺りを覆っていた呪力の重圧も消え、獣人たちも動けるようになったのだ。

 そこで、ここまで下がって野営の準備となった。幸い、負傷者はさほどいなかったので、士気はそれほど下がっていない。


 それに対して、中つ国の軍の損失は大きかった。総大将のリウ・ジョショは戦意を喪失して退却していった。向かったのは東。山地を背にして守りを固めるのだろう。

 麗国軍はと言えば、龍門が開いたとたんに、散り散りになって逃げ出してしまった。

 いつものことだ。


 いつもと違うのは、相談相手がいないことだ。今更ながらに、戦略面で老師に頼っていたことことを痛感する。

 中つ国の軍と、ついに一戦交えたのだ。龍の出現で引き分けたとはいえ、それまではかなり押していた。本来ならここで、有利な条件で交渉に入りたいところなのだが。


 しかし、ベイオの獣人たちは、そんなことに関心はない。ベイオの事だけだ。


「どうか、我らが主がどうなったのか、それをお聞かせくだされ」

 そう言って、ジーヤは頭を下げた。ジュルムが続く。


「俺が見たのは、さっき話した通りだ。龍の口から出た光にベイオともう一人が飲まれ、光が消えたら龍も消えた」


 見たままだ。それ以上のことは何もわからない。生きてるのか死んでるのか。生きているとしたら、どこにいるのか。さっぱりだ。


 うなだれたまま、獣人親子は去って行った。誰も乗らぬ車を引いて。


* * *


 ゾエンを待ってから出立した後発組は、北都に到着した。

 一行は城でギモトに出迎えられた。そこには、合戦場からの伝令が早馬でたどり着いていた。


「龍、ですか……」

 ゾエンは絶句した。ファランから夢の話は聞いていたが、あの「顔のない獣」のように何かの象徴だと思っていたのだ。

 まさか、本物が出てくるとは。


「それで、老師さまやベイオは……?」

 ファランの関心はその二人だ。

 ギモトは額に手を置きながら答えた。


「老師の方は、合戦の最中に敵側の呪法師と交戦していた、と報告にあります。しかし、乱戦だったのでその後ははっきりしません」

 敵と刺し違えたとか、呪力の渦に飲まれたとか、龍に食われたなど、報告も錯綜としていた。


 それは、ファランの不安をさらに掻き立てた。


 ……竜に食べられたなんて、夢のそのままだわ。


 夢の中での恐怖がよみがえる。

 そして、夢の最後に現れたベイオ。


「あの……ベイオについては何か……」

 慎重な彼が、合戦のさなかに飛び込むはずがない。しかし、そうなれば目撃情報も限られる。


「今のところ、ガフ殿の話だけです」

 ギモトが一同に伝えたのは、ガフがジーヤとジョルムに話した内容だった。


 光と共に、龍も、ベイオとヤノメも消え去った。

 老師も居所が分からない。


 不安のあまり、ファランは眩暈がした。足元がふらつき、倒れそうになったのを、アルムが抱き留めた。


「ベイオなら、大丈夫だ」

 アルムは微笑んでいた。

 根拠なんかいらなかった。無条件に、ベイオを信じている。


 そんな彼女を、ファランは羨ましく思った。


 ……わたくしも、そんな風に信じ切れたら。いえ、信じないと。


 婚約したのだから。今はまだ幼いが、成人すれば夫婦となるのだから。


「ありがとう、アルム。ベイオのことを信じないとね」

 ファランも、アルムを抱きしめた。


 不安は消えないが、信じていればそれに飲み込まれたりはしない。


 その日、一行は北都に留まり、一泊することになった。

 全員の気持ちとしては、一刻も早く現場に駆け付けたかった。しかし、老師ばかりかベイオまで姿を消したとなれば、闇雲に急いでも意味はない。

 獣人であるアルムやその父は別格だが、他の者は旅の疲れも感じていた。


 そして、その夜。

 ファランはまた、夢を見るのだった。


* * *


 光が消えてベイオは目を開いた。


「……ここって、屋敷の庭?」

 数日前に、ボムジンとヤノメを迎えて酒宴となった、ゾエンの屋敷の庭だ。


 見慣れた風景に、一瞬、ついさっきの事の方が夢や幻のように思えてくる。


 ……龍と対面して話すなんて。


「……そこにおるのは、ベイオかの」

 足元からの声に、ベイオは一気に現実に引き戻された。


「老師さま!」

 身をかがめて、横たわる老人のそばに膝をつく。


「やれやれ。いきなり明るい中に放り出されて、眩しくてかなわん」

 ぶつぶつ文句を言う様は、まさしく老師だった。


「ふぅ。呪力が戻ったおかげで、なんとかなったわい」

 両手を顔の前に掲げ、手のひらを眺める。

「この一刻で十年は老いぼれた感じじゃ」

 その手をベイオに向かって差し出す。


「すまんが、身体を起こすのを手伝ってくれんか。腰の方は時間がかかりそうじゃ」


 ベイオはうなずいて、その手を取った。


 ……こんなに細くて、節くれだっていたっけ?


 老師が言う老化は、気持ちだけではないようだった。

 ベイオが手を引き、老師は痛みを訴えつつ上半身を起こした。


「ジョ・ギョレンよ。まだ生きておるか?」

 老師の脚の方に、うつ伏せで倒れているもう一人の老人がいた。

 ジョ・レンギャ。あざなはギョレン。

 字とは、中つ国の成人が本名の他に持つ呼び名だ。

 面と向かって本名で呼びかけられるのは、親や主君、位や年齢が上の者に限られる。

 戦闘中は対等な関係だが、今はそうではない。礼法に倣って、老師はそう呼びかけたのだが。


 返事はない。ただの死体のようだ。


 しかし、その背中は今も、わずかに上下していた。


「ベイオ、すまんが人を呼んでくれんか。あやつには、わし以上に治療が必要なはずじゃ」


 ベイオはうなずくと立ち上がった。


 と、そこにヤノメが歩み寄った。解いていた長い黒髪は、元のように結い上げられている。


「……そなたは?」

 老師が問うと、彼女は深々とお辞儀をした。


「ヤノメと申します。このたび、ボムジンさんの妻となりました」

「ほう、ボムジンの。果報者じゃの」

 この時勢に、めでたい話は貴重だ。久しぶりに、心底からの微笑みが浮かぶ。


「わたくしも呪法が使えますので、お二方の治療をいたしましょう」

「それはありがたい」

 今度は、きしむ体で老師がお辞儀をする。


「ベイオ!」

 屋敷の中に入った途端、ベイオは駆け寄って来た母に抱きしめられた。


「お母さん!」

 ベイオも母、エンジャを抱きしめる。

 ゾエンに連れられて村を出た彼女だが、旅に同行しても足手まといなだけなので、ここに残ったという。


「あのね、お母さん。庭に老師さまともう一人のご老人がいて、具合が悪いらしいの」

 ベイオが訴えると、エンジャはうなずいた。

「それは大変。これ! 誰か!」

 エンジャの声に女官が現れた。指示を与えると、すぐに屋敷の者たちが動きだす。

 正式な婚姻はまだ先だが、エンジャは既にこの屋敷では女主人と見なされていた。


「いきなり、庭の方が光に包まれて、みんな何事かと驚いてしまったの。そうしたら、あなたが駆けこんで来たものだから」

 母の言葉に、ベイオは今更ながら気が付いた。

 龍がここに送り込んだのだと。


 ……これも、呪法なんだろうか? 後で老師さまに聞かないと。


* * *


「……なんかこう、身体がしなびて縮んだような感じじゃのう」

 ゾエンの衣服を借りて着替えた老師シェン・ロンは、客間に寝かされたジョ・レンギャの傍らで、そうつぶやいた。

 ゾエンの方が背が高いので、どうしても着心地はちんちくりんとなる。


「まぁ、お前さんの方は生きている事が不思議じゃがな、ギョレン」

 中つ国の言葉で、シェン・ロンは語り掛けた。

 うっすらと目を開け、ギョレンはしわがれた声で答えた。


「わしは負けた。後は死ぬのみ」

 そして、再び目を閉じる。


「そうはいかんぞ」

 ニヤリと笑って、シェン・ロンはギョレンに告げた。


「この国は老人をこき使うのでな」

 その言葉に、ギョレンは目を見開いた。


「わしに何をさせるつもりだ?」

 怒りか戸惑いか。心が動いたため、その問いは先ほどより力があった。


「戦は終わりじゃ。いや、闘いは続くじゃろうが、わしらの出番はなかろう。あの龍が言った通りならの」

 あの洞窟のような場所、龍の腹の中で告げられた。


『攻撃の呪法を禁じる』


 一方的な宣言だったが、今、まさに実感していた。ある程度回復してから試してみたのだが、確かに小さな火矢ひとつ打てなかった。今も自分にかけ続けている治癒の呪法は問題ないにもかかわらず。


「これは要するに、龍門を開いてしまったことに対する罰じゃな」

 龍の腹の中で、二人はベイオと龍の対話を聞かされていた。シェン・ロンを返して欲しいとの懇願に答えた、その際の条件だった。


「シェン・ロン。あのベイオという少年は何者だ?」

 ギョレンの問いはもっともだった。普通なら、龍を目の前にして、その威圧に押しつぶされることもなく、堂々とものを言えるはずがない。


「わしにもわからんよ。あの子は、龍の腹よりも底知れん」

 ベイオが時折見せる、奇想天外な発想。それは単なる思いつきではなく、この世界の仕組みに対する、何らかの知識の裏付けがある。

 シェン・ロンの中で、確信に近づきつつある思いだった。


 ……呪教や呪法とは全く違う、異質だが整然とした知識、じゃの。


 それが異世界の科学技術だとは、さすがの老師と言えども気づくのは難しいだろう。


「それに、呪法ならわしらより優れた使い手がおるしな」

 先ほど、ヤノメの治癒呪法を受けてすぐに分った。


 ……ベイオのそばに集まるものは、皆、規格外の奴ばかりじゃが。


 呪法の常識を当てはめれば、ヤノメは規格外どころか、この世のことわりすら越えた存在だ。


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