第60話 龍

「痛たたた……」

 身体中がギシギシときしむ。久しく無かった痛みだ。

 反射的に呪法で癒そうとして、老師は愕然とした。


 ……呪力が無い、じゃと?


 使える呪力が枯渇したのではない。周囲のどこにも、呪力が感じられないのだ。


 ……ここは、どこじゃろうか。


 閉じていた目を開く。周囲は暗いが、不思議なことに、顔の上にかざした自分の手は、はっきりと見えた。

 闇にわずかながら濃淡が見られる。どうやら、洞窟のような空間に、仰向けに横たわっているようだ。

 しかし、背中に当たる感触は滑らかで、岩のようではない。手で触れた部分も、熱くも冷たくもなかった。


 音はなにも聞こえない。……いや、すぐ近くで微かにうめき声が。

 何とか首だけでも起こせたので、辺りを見回す。と、足元の側にうつ伏せに横たわる姿があった。


「……ジョ・レンギャか?」

 最後に覚えているのは、呪力を身に纏って突っ込んでくる、敵側の呪法師の姿だった。

 そして、体の奥底から沸き上がる力。互いの力がぶつかり合い、全てを巻き込む渦となった。力に酔しれ、我を忘れた。


「なんてこった。わしらは龍門を開いてしもうたようじゃぞ」

 思わず声が漏れ、酷使された体が悲鳴をあげた。


 ……あの時既に、わしら二人とも呪力は尽きようとしていたはず。


 それが、あの大渦だ。間違いない。

 ぶつかり合った呪力が龍脈をこじ開け、ねじ曲げ、この世界中の呪力が流れ込み吹き出す竜巻を産み出したのだ。


 ……辺りに呪力が無いのも、それに関係があるのじゃろう。


 ひとたび開いた龍門は、止めどなく広がり続ける。この麗国などひと飲みとするくらいにまで。

 伝承では、太古の昔にそれで滅びた中つ国の王朝があったと言う。


 ……肝が冷えるとは、この事じゃな。


 それを、誰かが止めた。その結果、原因を作り出した二人が幽閉された。そう考えれば、この状況は理解できるのだが。


 ……止めたのは誰か。ここはどこか。何一つ決め手がないままじゃがな。


 いずれにせよ、さして時間は残されていない。


 ……呪法が使えないとなると、わしも長くないからのう。


 彼が高齢の割に壮健だったのは、常に治癒の呪法をかけ続けてきたからだ。それが使えなければ、老いが一気に押し寄せてくる。

 それに加えて、あの爆発的な呪力の放出は、彼の臓腑にも障害を引き起こしていた。


「さて、意識があるうちに伺っておきますかな……」

 暴走する龍門を閉じることのできる存在。彼の知識を総動員しても、可能性は一つしかなかった。


「……龍どの」

 闇に向かって語りかけると、やがて答えがあった。。


* * * 


 ……龍だ、本物の。


 ベイオの目の前に広がる光景は、まさしくファンタジーその物だった。

 金色に輝く鱗におおわれた巨大な頭部。ゾエンの屋敷にも、いや、宮城の大広間でも入りきらないだろう。

 その後ろに伸びる胴体は果てしなく続いており、終わりが見えないほどだ。

 その首も胴体も、なんの支えもなく、空中に静止している。圧倒的な重量感のまま。


 強烈な呪力を放っているのだろう。ジュルムやジーヤばかりか、合戦場の獣人兵たちも倒れ伏している。


 ……そんな、ガフさんまで!


 脚が震える。声ひとつ出せず、ただ立ち尽くすしかなかった。


 と、そんなベイオの傍らに立つ者がいた。


「仙龍ロ・ゾリエン、お初にお目にかかります。ミミガ・ヒミカが娘、ヤノメと申します」

 龍の偉容に怯むでもなく、彼女は語りかけた。

 さっきまで結い上げてあった髪はほどかれ、山頂の風に吹き流されるままにしている。

 さながら、それ自体が命を持つかのように、たゆたう黒髪。


 ……まるで黒い龍みたいだ。


 そんなことが心に浮かんだ瞬間、脳裏に響いた声に掻き消された。


『その名を耳にしたのは幾星霜ぶりである。御母堂は壮健なるかや』

「はい。父が他界した時には気落ちしてましたが、わたくしの旅立ちには祝福してくれました」


 ……とんでもない相手と、ヤノメのお母さんは旧知の仲みたいだけど。


 言葉遣いを除けば、故郷の伯父とでもするような話題だ。ベイオにとって、ヤノメはさらに謎の存在となった。


『しかるに、そなたの傍らにおる童は何者ぞ』


 ……龍が、話しかけてもいない者について関心を持つなんて。


 珍しいこともあるものだ。そう、ヤノメは思った。


「はい。これなるは次の国王、ベイオにございます」

『その歳で王気を纏うとは大したものではある。しかし、それでこの世が大きく変わるものでもあるまい』


 ヤノメがロ・ゾリエンと呼んだ金色の龍は、ベイオにそれ以上の関心はないようだ。こうべを廻らし、飛び去ろうとする素振りを見せた。


「待って!」


 とっさに声が出た。こんな状況で、恐ろしくて立ってるのもやっとなのに。


『小さきものよ。何用か』

 龍は振り向いた。


「お願いします。老師さまを返して!」

 必死の思いで、ベイオは訴えた。


 先程の光景。呪力が吹き出る龍門を、龍のあぎとが噛み砕いた。しかし何故か、この龍が老師たちの命まで奪ったとは思えなかったのだ。


『老師と言うのは、龍門を開いた呪法師の片割れか』

「はい」

『ならぬ』

 にべもなかった。


『この者たちは、呪力を暴走させる愚を犯した。再びこのようなことを起こせば、この世界が崩壊する。人には過ぎた力だ』


 ……まるで、核兵器みたいだ。


 ベイオは心の中でつぶやく。

 そして、龍は宣告した。


『よってこの者らは、呪力を封じた我の体内で余生を過ごしてもらう』


 まるで終身刑だ。

 ここで諦めたら、二度と老師に会うことはできない。


「僕には老師さまが必要なんです。この国を、世界を変えるために!」

 懸命に訴える。


 それでも、龍の心を動かすには至らなかったようだ。


『呪力に頼れば、より強大な力を欲するようになる。そうして滅びた国をいくつも見てきた。人も世も、変わりなどせぬ』


 ……でも、変わらなきゃ。変えなきゃいけないんだ。


「呪力には頼りません。僕は、この世界を工業化したいんです」


『……工業化、だと?』


 はじめて、龍の口調に変化が現れた。あからさまな問いかけだ。ベイオの言葉に、関心を示したのだ。


「便利なものを沢山作って、みんなに使ってもらって、みんなで豊かになるんです」

『便利なもの、だと?』


 龍は、ただベイオだけに目を向けていた。


「最初は、軽くて丈夫な手桶。次に、荷車。中身がこぼれにくい樽」

 今まで作ってきたものを上げていく。

「それらで、ものを運ぶ事業を起こして。それから、水車。これで水を汲み上げて用水路を作って……」

『幼く見えるが、いったい何年かかった?』

 話に割り込んできた。よほど興味をそそられたようだ。


「去年の春からなので、一年と少しです」

『そうか、続けるがよい』


「でも、僕一人じゃ作れるものに限りがあります。だから秋には、もの作りを教える学校を作ります。老師にはそこで、色々なことを教えて欲しいんです」


『学校か……』

 龍が視線を上げた。まるで、遠くを眺めるかのように。


「僕が作ってきたようなものを、沢山の人に国中で、いえ、世界中で作ってもらいたいのです。そうすれば、世の中はどんどん良くなるはずです」


 声に力がこもる。


「時間が足りません。今年の雨季はほとんど雨が降りませんでした。灌漑も進めないと、秋の収穫が心配です」


 龍はベイオに顔を寄せてきた。黄金色に輝く家ほどもある頭部が、彼の視界を覆った。

 翡翠のような龍の瞳には瞳孔がなく、金色の光が渦を巻いていた。


『飢饉が起こると言うのだな?』

「はい。そして、農民の蜂起があるでしょう。顔のない獣が、この国を食いつくしてしまいます」


 しばし、間があった。

 やがて、龍の瞳の金色の渦が小さく絞り込まれ、その光量を増す。


『あの予知夢を受け取った人の子は、お前か?』

「いいえ、ファランです。僕の……婚約者で、今日のことも、彼女が夢に見ました」

 さすがにまだ、婚約なんて実感が湧かない。


『そうであったか』


 龍は大きく口を開いた。その喉の奥は、さながら異世界に続く洞窟のように広がっていた。

 と、その奥から光が溢れだし、ベイオは眩しさに耐えきれず目を覆った。


* * *


 強烈な呪力に体を縫い止められ、ガフは仰向けに横たわっていた。

 目の前に広がる大空は、先程までの呪力の大渦が産み出した雲が畝をなしていた。


 その雲を貫いて伸びる、黄金色の帯。いや、その高さに気づけばわかる。彼の軍勢が列をなしてその上を歩けるほど幅があると。


 天空に浮かぶ巨大な黄金の橋。

 しかしそれは、わずかに左右に動いていた。波打つように。

 そして、その先端にある頭部と、その後ろにある一対の腕。


 ……あれが、龍か。


 ひとたび怒れば、国ひとつが消し飛ぶ程の呪力を放つと言う、伝説の存在。

 それが今、上空にいる。


 いったい何をしているのか? そう疑問を感じた時、龍が顔を寄せている山頂に佇む、小さな人影に気づいた。

 獣人の強化された視力が、その姿を識別した。


 ……あれは、ベイオ!?


 何でそんなところに。

 そう思った矢先。

 

 龍の口からまばゆい光が溢れだし、山頂を包み込んだ。


「ベイオ!!」


 呪力の激しい波が大地を打ち、ガフの意識は削ぎ取られた。

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