第59話 合戦

「さてと。どうしたもんかな、この釣り針」

「左様。ちと、あざとすぎるかの」


 日の出前の早朝。

 平原を見下ろす高台に布陣したディーボン軍。その陣営に立つ、熊侍のガフと老師。

 見据える平原の彼方には、麗国軍が集結していた。距離は十キロほど。足軽の行軍でも二時間程度だ。


「据え膳食わぬはなんとやら、とは言うがな」

「こんな罠は、仕掛けごと踏み潰すに限りますじゃ」


 ガフは老師にすがめた目を向けた。


「仕掛けか。例えば?」

「まずは、中つ国の軍が、右手の山影で待ち構えておるな」

 ガフはうなずいた。

「夜のうちに国境の河を渡っていれば、有りうるな」

「しかし、すぐには出さんじゃろう」

「ほう。まだあると?」

「呪法じゃよ。わしなら、あの山頂辺りから放つ。爆炎か雷撃か。旋風も良いのう」

「なるほど。それで浮き足だったところを、脇から打つか」

 捻りが足りない気もするが、戦術は単純な方が応用が効く。


「で、どうやって踏み潰す?」

「動き出した軍は、急には止まれんからの。おびきだして叩くのが一番じゃ」

「敵側の呪法は?」

「わしが封じて進ぜよう」


 日の出と共に、ガフの部隊は進撃を開始した。


「血気盛んじゃのう」

 獣人の兵士に引かせた車に乗り、回りを見回して老師はつぶやいた。

「舌あ噛まねえで下さいよ!」

 兵士の軽口に呵々かかと笑い、老師は答えた。

「さして揺れておらぬわ。ベイオの『さすぺんしょん』のお陰じゃな」

 と、その片眉がくいっと上がった。


「ふん。始めおったな」

 思った通り、右手の山頂に呪力の高まりが感じられた。


「仕掛けるぞ」

「合点!」

 車は向きを変え、右手の山へ突進した。一気に距離を詰めると、老師の呪法が放たれた。

「火炎弾!」

 数発の火球が山頂に向かって飛ぶが、風の防御結界に弾かれた。同時に、呪力の高まりも雲散霧消する。

「よし、回避じゃ!」

「おうよ!」

 車は右に左にと蛇行する。そこに降り注ぐ雷撃の雨。

「流石はジョ・レンギャ。無駄のない呪法じゃな」

「へい! おかけでバッチリ読めますぜ!」

 獣人の脚力と呪力感知を活かした機動戦術だ。そこにベイオとイロンのサスペンションが加わり、振動に邪魔されることなく、老師は車上で呪文を詠唱して攻撃を連射する。


 ……先程の呪力の高さにはヒヤリとしたがの。


 相手の呪力はこちらより強い。しかし、防御の結界を張り直しながらでは、大規模な呪法は組み立てられない。小技の手数を競うなろら、攻撃に専念できるこちらが有利だった。


 ……それでも、持久戦は避けんとな。


 読みが正しければ、ジョ・レンギャは打って出てくる。その時が狙いだ。


 そのジョ・レンギャは、次第に募る焦燥感に苛まれていた。

 相手は自分より若い、即ち格下の呪法師のはずだ。使える呪力も少ないはず。にもかかわらず、攻撃を連発してくる。しかも、縦横無尽に移動しながら。

 大した威力はないが、生身で受ければただではすまない。だから、防御の結界は必要だし、その分余分に呪力を消耗する。

 気がつけば、すでに半分を切っていた。


 見れば、リウ・ジョショの伏兵は山影から出てしまっている。それなのに、ディーボン側の力を削ぐはずの大規模な呪法は放てないまま。

 そして、麗国軍は動かない。それも当然だ。見せかけのために、頭数だけ集めた雑兵なのだから。

 その結果、全くの無傷のディーボン軍に、リウ・ジョショ軍は真正面からぶつかることになってしまった。


 中つ国の総大将であるリウ・ジョショもまた、焦り始めていた。彼にして見れば、呪法の援護などなくても構わないと、たかをくくっていた。自分の精鋭で蹴散らしてくれると。

 しかし。


「ヒトと獣人があんな連携をするなど!」


 彼の部隊にも獣人兵はいるが、みな最下級の足軽だ。上官の盾となって死ぬだけの存在。

 しかし、ディーボンでは騎兵にも獣人がいて、あり得ない戦い方をしていた。


「手綱も持たずに、なぜ操れる!?」


 特に、先陣を切って躍り出てきた、派手な鎧兜の武将。明らかに総大将だが、右手に槍、左手に太刀を構え、こちらの兵を文字通り薙ぎ払っていた。

 何より、真後ろから弓矢を射かけても、馬首を巡らし、ザッと太刀で切りかわすのだ。


「こやつ、後ろにも目があるとでも言うのか!」


 残念ながら、違う。人より広い馬の視界を通じて、気配として感じ取っているにすぎない。獣人と獣との絆の深さによる妙技だ。


 化け物だ、と吐き捨てるようにつぶやくジョショウ。獣どころか、魔物と呼ぶのがふさわしい。

 そして、その魔物たちに彼の精鋭が餌食となっていく。


 一方、ジョ・レンギャはついに覚悟を決めた。呪力の消耗が激しすぎる。先程から防御がやっとなのだ。


 ……遥かに上位のはずの自分が、むざむざとやられてなるものか!


 呪力で身体を強化し、山頂から敵をめがけて跳躍。落下しつつも風の呪法を駆使し、車上の敵呪法師の上へと迫る。この身と残りの呪力全てをぶつける、必殺の呪法だ。


「ほう、思いきったのう。それなら、こうじゃ!」

 老師は車上に立ち上がり、自らも全ての呪力を解放した。凄まじい渦が巻き上がり、空気が圧縮され壁となる。

 そこに、全身を槍の穂先と変えたジョ・ギョレンが激突する。お互いの呪力がぶつかり、逆巻き、吹き上がっていく。

 

 突如起こった異変に、強者つわものたちも戦を忘れ、凍りついた。

 

「――老師!」

 ガフも馬上で呆然となった。


 ……これが呪法だと言うのか?


 二人の呪法師の間で、焔が燃え盛り風が唸り、岩が消し飛ぶ。そのすべてが巨大な旋風となって、周囲のあらゆるものを巻き込み噴き上げていく。


「わああああ!」

 その渦から辛くも逃れて転がり出たのは、老師の車を引いていた獣人兵だった。

 外傷は無いにもかかわらず、その場に倒れて吐血した。


 他の獣人たちも次々に膝をつき、苦痛に顔を歪める。

 ついには、ガフも馬上で体を支えられなくなり、地面に降りたところで膝をついてしまった。


「呪力の流れが……乱れているのか!」


 獣人ほど呪力に敏感でない人間たちも、激しい目眩や頭痛に襲われ、もはや戦どころではなかった。


 ……まだ強まるだと? あり得ん!


 二人がどれ程の呪法師であれ、とうに呪力が尽きているはずだ。それなのに、呪力の渦は強まり大きくなるばかり。


「退け! 全軍待避! ここは危険だ!」

 ガフは必死の思いで立ち上がり、部下たちに指示を出した。


 ……こんなところで無駄死にさせてなるものか!


 老師の安否も気になるが、動ける部下たちを逃がさないと。じりじりと広がるあの渦に巻き込まれたら終わりだ。


 と、まさにその渦に飲み込まれそうな兵卒が目に留まった。先程、渦から転がり出て、吐血した者だ。


「何してる! 早く逃げろ!」


 呼び掛けつつ、ふらつく足で近寄り、助け起こす。


「お……御屋形さま!」

「喋るな! 歩け!」

「じ、自分など捨て置いてくださ――」

「馬鹿野郎!」

  逆巻く渦の轟音を弾き返す怒声。


「殿ってのはな、殿しんがりを勤めるためにいるんだ! お前らが脱出するまで、俺はここを引かんぞ!」


 辺りを見回すと、愛馬がうずくまっていた。そこまで何とか這いずり、吐血した兵を乗せる。近くにいた兵も担ぎ上げ、愛馬に立てと命じる。


 ……いや、立ってくれ。頼む!


 願いが通じたのか、愛馬は立ち上がってくれた。


「よし、行け!」


 掌で、その尻をパンッとはたく。

 その走り去る姿を見据えて後、ガフは渦に向き直った。


「シェン・ロン!」

 叫んで一歩踏み出し、そのまま無様につんのめる。それでも身を起こし、渦に向かってにじり寄る。


「もう充分だろう! 帰ってこい!」


 その叫びに答えるかのようなタイミンクで、は現れた。


 はるか、空の高みから。


「……なに、あれ」

 山を越えかけたところで、急にジーヤとジュルムが苦しみだした。

 ベイオは車から飛び降り、「ここで待ってて!」と皆に告げて山の頂へと走る。

 そして、その向こうに広がる光景に、息を飲んだ。

 傍らに駆け寄ってきたヤノメが、震える声でつぶやく。


「まさか、龍門を開いてしまうなんて……」

 そして、蒼天のかなたをふり仰いだ。


「だから、貴方が現れるのね!」


 天高く巻き上がりつつ、さらに威力を増しつつある呪力の大渦を、その遥か高みから飛び込んできた黄金龍のあぎとが噛み砕いた。


 その中でぶつかり合う、二人の呪法師もろとも。


「老師さま!!」

 ベイオの叫びは、轟音に飲まれた。

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