第99話 糸と野獣
晴れ渡った冬の青空に、空っ風が吹き渡る。その風を受けて、カラカラと軽い音を立てて風車が回っていた。
場所は孤児院の男子棟と女子棟の間。そこに建てられた頑丈な
風車の回転は傘歯の歯車を介してそのすぐ下の仕掛けに伝わり、重りの砂袋を巻き上げていた。この巻き上げ機は二つあり、重りを巻き上げきると、もう片方に切り替わるようになっている。
巻き上げ終った方の軸は、歯車を介して隣の女子棟東側の建物にまで伸び、建物を縦に貫く回転軸につながっていた。
「こうやって見ると壮観だな」
自分の作り上げたものに、ベイオは満足げだ。
「本当に、これだけの仕掛けが一度に動くの?」
ファランは、広い作業場を埋め尽くした機械に目を見張った。
自動織機が三台、並べて置かれている。それらは全部、風車からの力が伝わる回転軸につながっていた。
「回す力は足りてるよ。ただ、風が足りない時期は男の子たちに頑張ってもらうようだけど」
風車のすぐ下の巻き上げ機は、櫓の下のハンドルを回しても動くようになっている。風が無ければ、これを回して重りを巻き上げるのが、孤児の男子たちの仕事の一つになる。
「じゃ、試運転だ。アルム、そこの取っ手を引いて」
「あーい!」
元気の良い声で返事をすると、アルムは壁際の取っ手を引いた。回転軸の留め金が外れ、風車の櫓の上からゆっくりと重りが下がる力で回転が始まった。
風車の力を一旦、重りを巻き上げることで蓄えているので、風の強さに関わらず一定の力が出せるわけだ。
重りの降りる力の回転が伝わり、三台の自動織機が動き始めた。
既に経糸は張り終わっており、
「大成功!」
ベイオが声を上げると、アルムがいつもの謎ダンスを始めた。
「これで、布が沢山織れるわね」
音を立てて動く自動織機を見つめて、ファランがつぶやいた。それにうなずきながらも、ベイオは答えた。
「まだまだだよ。水車を使えばもっと沢山の機械を動かせるから」
都の北側の川辺に建設中の工場が、春には動きだす。それは、もう一つの課題を生みだした。
「今度は、一刻も早くこれを仕上げないとね」
手に持っていた巻紙を広げる。そこには「自動紡績機」と名前の書かれた設計図が描かれていた。
「手作業で糸を
綿花や羊毛などから糸を紡ぐのは、手間のかかる作業だ。
繊維の塊の端を指でつまみ、それを
巻き付け終わったら、再び紡錘をぶら下げて、繊維を引きだしながら紡錘を回転させる。
この繰り返しだ。
機織りと同様に、この世界でベイオが物心ついて以来、ずっと見て来た作業だ。これを機械で行うのだが、紡錘の回転方法が難しかった。糸をよじるときと、よじれた糸を巻き取るときで、回転軸が九十度変わるからだ。
「それなら、こんなのが有るぜ」
イロンに相談したところ、思いがけないところにヒントがあった。彼が故郷を離れる時に持ち出したという、師匠のノートの写しだ。
彼と出会った時にベイオを狂喜乱舞させた旋盤の設計図も、このノートに載っていたものだと言う。
「何しろ、秘伝中の秘伝だからな。他人に見せたのはお前が最初だぜ」
しかし、イロンの言葉は既にベイオの頭に入ってこなかった。
……これ……やっぱり!
ノートの内容は、アイディアを描いた沢山のスケッチだった。その中には、人力でプロペラを回して空を飛ぶ、ヘリコプターのようなものもあった。
荒唐無稽ではあるが、生前に見た万能の天才が描き残したものと瓜二つの図。
時代を先取りし過ぎた西洋の天才のアイディアが、二十一世紀の日本の工業学校卒業生と出会った瞬間だった。
……これらの多くは、今の僕になら作れる!
そして、イロンが開いたページにあったのは、ベイオが頭を悩ませていた紡錘のための仕組みだった。
糸巻きの外側に、それより速く回転する枠を取り付け、この枠に糸をひっかけてから糸巻きに結び付ける。こうすれば、枠の回転で充分によじれた糸が、そのまま糸巻きに巻き付いて行くことになる。
これなら、人は繊維の塊を継ぎ足していくだけで良いから、一度に何本もの糸を紡ぐことができる。糸巻きや枠の回転を動力化すれば、自動紡績機の完成だ。
とは言え、アイディアのスケッチから実際に制作できる設計図までは、かなりの開きがある。その間を埋めるものが技術であり、ベイオが前世でみっちりと学んだものだった。
それが実を結んだものが、今ベイオが手にしているこの紡績機の設計図だ。既に、工業学校の生徒たちが、イロンの指導で試作に取り掛かっている。
まず、この国で繊維工業を確立し、主要産物として他国と交易を行う。これがベイオの大戦略だ。
幸いにして、綿花の栽培は中つ国から伝来してこの国に根付いていた。北の遊牧民から羊毛が得られれば、さらに活発化するだろう。
「ベイオ」
不意にアルムが腕を掴んで来た。
「怖いだ。怖いのが、来るだ」
真っ青な顔で震えてる。
何が起こったか分らないが、ベイオはファランと顔を見合わせた。
「アルム、どうしたの? 話して聞かせて」
ファランが、努めて落ち着いた声で話しかけた。アルムは震えながらも、答えた。
「あっちから、怖い臭いが来るだよ」
北の方を指さし、アルムは答えた。
その時、ベイオたちのいる作業場に、男の子が駆けこんで来た。五歳かそこらなのに、ファランに向かってハキハキと
「院長様。男子棟の方に、アルムのお父さんが参りました」
「ご苦労様。すぐに参ります」
そう答えると、ファランはベイオに手を差し伸べた。
「多分、アルムが怯えてるのと関係しますね」
その通りなのだろう。ベイオがファランの手を取ると、冷たくしっとりとしていた。
「とにかく、行ってみよう」
設計図を小脇に抱えると、反対側の手でアルムの手を引き、ベイオは作業場を出て行った。
* * *
皇帝として公式の朝議や謁見を行うこの場所は、本来は迎賓館である。つまり、他国、とりわけ中つ国の使者をもてなす場所だ。
そのため、贅を凝らせた建物であり、天井も高い。皇帝が座る玉座も、当初は急ごしらえだったが、どんどん補強されて立派になってきている。
にもかかわらず、玉座に着いたベイオと、その男の目線の高さは一緒だった。
……大きな人だな。
そう思ったベイオだが、身長だけならボムジンの方が高い。
男の方が高いのは、ひざまずくどころか身をかがめることすらせず、胸を逸らして腕組みしているからだ。
「そこの者! 頭が高いぞ! 皇帝の
傍らのリウ・シスン元帥が怒声を上げるが、男は動じない。
ベイオは目配せして、剣を抜こうとするシスンを押さえた。
……アルムの様子から見て、この人は相当強い。
ベイオたちを迎えに来たアルム父は、屋敷の方でアルムを落ち着かせている。獣人にとっては相当な畏怖の対象なのだろう。
それは、玉座の下で護衛に立つジーヤの様子からも分った。虎耳がピクピクし、細長い尻尾が神経質に揺れている。いつもの泰然自若とした様子とは大違いだ。
「さてと」
ベイオは口を開いた。
「僕がベイオ。この国で皇帝をやってる。話があるなら聞くよ。忙しいんで、手短に頼むけど」
恐れどころかなんの気負いもなく、ベイオは相手に告げた。
男は口の両側を釣り上げた。
笑顔のつもりかもしれないが、牙としか呼びようのない鋭い歯がむき出しになるので、全く親しみはわかなかった。
「ペイオ」
純血種の証である割れた上唇で、男は呼びかけた。
「俺の物になれ。可愛がってやるぞ」
まさかの求愛であった。
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