第100話 皇帝VS獣帝

「僕はモノじゃないし、そっちの趣味もないよ」

 顔をしかめて、ベイオは男の申し出を断った。


 前世の日本でも、武家社会に小姓は珍しくなかったらしい。織田信長の森蘭丸とかは有名だ。

 しかし自分としては、男に囲われるのは真っ平だった。


「大体、こっちは名乗ったんだから、そっちも名乗るのが礼儀じゃない?」

 怒るでもなく、ベイオは真顔だった。


 男は再び、獰猛な笑みを浮かべた。

「俺の名はナルイチ。ジュルシェン族を統ペる首長だ」

 言うなり、男は服を脱ぎ捨てて、ズボンのような袴一つになった。厚い胸板を濃い胸毛が覆っている。


 ……たくましいのはわかったけどさ。


 熊の獣人と言う事で、既にガフ・スガセイと被っているので、ベイオとしては新鮮味がない。純血種は本来は希少なのだろうが、アルム父、ジュルム、ジーヤと身近には多い。

 なのだが、ナルイチの方はお構いなしだ。


「そして俺はやがて……」

 ナルイチの体毛が濃くなり、髭は顔全体を覆い尽くし、身体全体が巨大化した。腰から下を覆っていた袴が破れ、はじけ飛ぶ。

 完全に獣化が終る前に、男、ナルイチは叫んだ。

「この世界すペての帝王になる!」


 巨大な熊だった。後ろ足で直立したその体長は、三メートルではきかなかった。ガッと音がして頭部が天井の梁にぶつかり、バラバラと破片が落ちてくる。


 そして静寂。誰もが凍り付き動きを止めたその中で、ベイオの声だけが静かに響いた。


「ゾエンさん。修理費は……ジュルシェン族、だっけ。そこに請求してね」

「……は、はあ」

 余りの事態に、ゾエンも普段の冴えがない。


「こゾう」

 獣化した口では、ヒト族の言葉は発音しにくいらしい。

「このスガたにおどろカヌとは、ソうとう、キモのスわったモのよの」

 ベイオはかぶりを振った。

「いや……怖いよ、オシッコちびっちゃいそうなくらい」


 ベイオが余裕あるように見えるのは、ある種の確信を得たからだ。


 故郷の村で見つけた石碑。明らかに異世界から紛れ込んだ、あの遺物と、アルムの誕生、自分の死と再生の関連。

 何か、自分でもわからない大きな動きの中に、自分がいるという、その確信。


 さらに、決め手はファランの予知夢だ。

 彼女はベイオの夢を二度見ている。どちらも、自分の命が関わる、大きな節目だった。

 しかし、今回それはなかった。


 ……なら、誰かが死ぬようなことにはならないはず。


 そう、確信したのだ。

 そして、何よりも。


「僕は、もっと大きくて、おっかないのに会ってるからね」

 ベイオの言葉に、猛獣である熊が眉根を寄せるという、珍しい表情が返って来た。

「おモしろい。ナニニあった?」

 言うなり、巨大な熊はその場にどっかりと腰を下ろした。


「……龍だよ」

 遠い目でポツリとベイオは答えた。


「りゅう、だと?」

 意外な答えに、熊の目が見開かれた。

「うん。黄金の大きな龍。頭だけでも今のあんたより大きくて、身体の方は地平線までずっと伸びていた」


 完全に理解を越えた存在。自分の存在が、芥子粒よりも小さく思えた、あの時に感じた畏怖。

 それでも彼は必死に訴えかけ、老師たちを返してもらうことができたのだ。


 ……ただ大きくて、力が強いだけの熊だもの。話しだって通じるし。


 恐ろしいのは確かだが、無力感に襲われるまでではない。


「おモしろいゾ」

 そうつぶやくと、巨大な熊の身体は縮んで行き、大柄な人の姿に戻った。そして、傍らに落ちていた上着を羽織った。

 とりあえず、巨体に見合ったイチモツを見せつけられずに済みそうなので、ベイオは内心ほっとした。


「では、ペイオ。俺と取引しろ」

 ナルイチはもったいぶって話しを切り出す。


 しかし、ベイオの答えはそっけなかった。

 人差し指を立てて、天井を指さす。


「まずは、あれの修理代。結構するよ?」

「……むぅ」


* * *


 その夜は、ゾエンの屋敷で恒例の宴会となった。

 いつもの顔ぶれが勢ぞろいだ。例外は、ジュルム、ボムジン、ヤノメ。今は東北部で冬ごもりしている。


 とは言え、やはり獣人組にとってのナルイチは、威圧感を感じるらしい。それでもまだジーヤとアルム父は、ベイオがナルイチと和睦したことで敵意は見せていない。

 しかし、アルムはずっと鼻にシワを寄せて、ベイオの影から睨んでいた。

 よっぽど危険な臭いがするのだろう。


 ……確かに、同じ空気吸ってるだけで妊娠しちゃいそうだもんね。


 腹の中では、結構ヒドイことを考えてしまうベイオだ。


 ファランはと言うと、反対側ですまして食事をしている。ナルイチが大熊に獣化した場には居合わせなかったのだから、ベイオが新しい協力者を得た、と言うくらいにしか感じていないのだろう。

 ナルイチの方も、ファランやアルムには特に関心がないようだ。

 ベイオはむしろ、ファランと昼間の孤児院での話の続きをしたいところなのだが、この国の生産力の秘密、工業化は、まだしばらくの間は他国に知られたくない。だから、ナルイチの前では話題にするわけにいかなかった。


 そのナルイチだが、意外にもイロンとはすぐに打ち解けた。普段は偏屈と頑固を鍛冶場で鍛造したようなのに、彼の秘蔵の火酒の飲みっぷりが気に入ったらしい。

 さらに、ナルイチが返杯に注いだ遊牧民の火酒がよほど美味かったのか、そこからはもう止まらなかった。肩を組んで何語か分らない歌を叫びながら、酒と言う酒を飲み尽くしていく。


 呆れて眺めていると、ツンツンと袖が引かれた。振り返るとシェン老師だ。

「ベイオ。あやつと取引したそうじゃが」

「はい」

「それは、交易だけなのかの?」

「いえ。すでにそっちの方は、隊商がボムジンさんのいる町に滞在してるそうです」

「では?」

 交易以外での取引だ。


「ナルイチは、中つ国を取るそうです」

「ほう。それはまた、大きく出たのぅ。ハン王朝の再来じゃな」

「ハン、ですか」

「あやつと同じように、遊牧民からでた豪傑じゃ。中つ国もこの半島も支配し、ディーボンにまで攻め込んだという」

 前世の歴史で習った元寇。それに当たる出来事だろう。だとすると、約五百年前だ。


 ……この世界の「蒼き狼」は、獣人だったのかもしれないな。


 そんなことを思うベイオだった。


 ふと気が付くと、隣でアルムが舟をこいでいた。普段ほど食事が進んでなかったが、熊男で緊張して疲れたのだろう。

「アルムはおねむみたいね」

 ファランはそう言って立ち上がり、アルムの肩に手を置いた。

 ベイオも立ちあがって、ゾエンの席の前で一礼した。

「そろそろ下がります。おやすみなさい」

「ああ、お休み」

「お休みなさいませ、主上」

 ゾエンはまだ緊張が解けていないし、その向こう側のシスンはあからさまに警戒している。あんな姿を見せつけられたのだから、当然だろう。


 しかし、エンジャはいつものように温和なたたずまいで、夫のゾエンのそばで微笑んでいた。

「お休み、ベイオ」

「はい、お母さん」

 何があっても、母は母だった。


* * *


 その夜、ベイオは隣のアルムの寝息を聞きながら、それでも眠れずにいた。


 ……予知夢があるなら、こんな時だよな。


 なんとなくだが、今日のように物事が大きく動いた時に、予知夢が起きているような気がする。そのせいで、隣の寝室にいるはずのファランの様子が気がかりだった。


 そんな時、戸口の外で声がした。


「ベイオ……起きてる?」

 ファランの声だ。


「うん。まってね、今そっち行くから」

 アルムを起こさないようにそっと寝床から抜け出す。身を切るような寒さなので、綿入りの上っ張りを羽織った。

 戸を開けると、ファランは縁側に座って月を眺めていた。ベイオもその隣に腰を下ろす。

「寒くない?」

「ええ、大丈夫」

 ファランもきちんと着込んでいた。

 それでも真冬だ。お互いに吐く息が白い。


「夢を見たんじゃないんだね」

 気にかかっていたことをベイオは口にした。


「見てないわ。でも、あらためて考えると、何だか怖くて」

 月明かりに照らされた彼女の顔は、いつもより青白く見えた。


「今日来たあの大きい人、ボムジンさんを殺しかけたのよね」

 前回の予知夢の内容だ。その中では、襲ってきた馬賊の事はあまり印象に残っていない。

「床に就いてから、ジーヤさんから聞いた話を思い出して、アルムの様子から、そうじゃないかと思ったの」


 謁見の間での顛末は、アルムやファランには刺激が強すぎると思ったので、獣化のことなどは伏せてあった。


「そう言えば、あの時もこんな風に、二人で月を見上げていたね」

 ベイオが思い出したのは、処刑されかけて逃げ伸び、ディーボンの軍勢を見た夜の事だった。隠れた洞窟のそばの茂みで、震えるファランの肩を抱いた時。


「わたくしが予知夢で見たことが現実になった。あの時そう思って、怖くて仕方がなかった」

 目を閉じてそう言うファランの声は、静かに落ち着いていた。


「でも、本当の顔のない獣は、ディーボン軍じゃなかったよね。民衆の蜂起は起きなかったし」

 ベイオの言葉に、ファランは目を開いてうなずいた。

「蜂起はいつだって起きるわ。ベイオはそうならないように、いつも頑張ってるのよね」

 そう。自動織機も紡績機も、民を少しでも豊かにするためのものだ。絶望こそが、顔のない獣を呼び覚ましてしまう元凶なのだから。


「あの人……ナルムチさんは、どうなのかしら?」

 その言葉で、ベイオはファランが何を恐れているのか気づいた。


 中つ国。ナルムチはそこを取ると告げた。ならば、大きな戦争になる。


 ……あの国で、ここよりずっと大きな帝国で、顔のない獣が暴れまくることになるんだ。


 遠い異国の地であっても、恐ろしいことであるのに変わりはない。

 そのことを教えてくれたのは、ファランの優しさだ。それに感謝し、ベイオはそっと彼女の手を握った。


 ……工業化で変えていくのは、この国だけじゃない。


 戦争。それはやりたくないことだ。しかし、戦乱なしで国の在り方を変えるのは、この世界のこの時代では難しすぎる。

 ベイオがこの国を治めるようになったのも、ディーボンとの戦争がきっかけだ。そこでは、敵も味方も関係なく、沢山の人が死んだ。

 交易以外での、ナルイチとの取引。それは、彼がこれから起こす戦乱を、背後から支援することだった。


 ……やりたくないけど、中つ国。変わってもらわなきゃ。


 青い月は、冷たく照り輝いていた。

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