第101話 新年

 冬の寒さが極まる頃。新年を迎える祭りが、あちこちの町や村で行われていた。

 ボムジンたちが冬を過ごす町でも同じだが、違いは遊牧民の一団も祭りに加わっていることだ。

 北の国境近くであり、長いこと蛮族と蔑まれ、馬賊として恐れられてきた彼らがここにいるのは、ひとえにボムジンの人柄によると言えた。


「俺、別に何もしちゃいないんだがな」

 そうつぶやく彼だが、あちこちの新年の催しに引っ張りだこだった。

 元々、彼はこの辺りの出身なので、地元の訛りも自然で、最初から誰もが身内扱いだった。これに伐採事業での貢献が加わり、町やその周辺ではすっかり名士扱いだった。

 それに加えて、馬賊の襲来をたったひとりで撃退したとの評判。


「ラキアのことも、たまには思い出してやってくれよ」

 友人思いの彼としては、何とも居たたまれない。

 それに、本当に撃退したのはジュルムとヤノメなのだが、こちらは秘密扱いだった。


 極めつけは、遊牧民の隊商だった。馬賊の襲撃かと色めき立った町の人々をなだめ、受け入れさせたのは、彼の功績で間違いないのだが。


「俺、酒や干し肉が旨かったから、あいつらと飲み食いしてただけだぜ?」

 その酒宴に町の者も呼ばれ、自然と打ち解けていったのだった。


 さらには、羊毛や乳製品などの通常の交易品に加え、魔獣の毛皮や牙のような高価な品が献上されたのだ。

 魔獣の牙は特に貴重な品だったため、都からは返礼として大量の米が送られてきた。その一部は町にも寄贈され、この祭でも振る舞われている。

 ちなみに、その米はベイオが接収した布貨、貨幣として溜め込まれていた布地を、ディーボンに輸出して得たものだ。

 北の土地では米は作れないので、生まれて初めて食べるご馳走に涙するものも続出。さらにボムジンの名声は高まるのだった。 


「どうしてこうなった?」

「よろしいではありませんか」

 最近身に付けた愛想笑いを駆使しつつ、ぼやくボムジン。そのそばでたしなめるヤノメ。


 宴の上座に座らせられた二人の前には、ジュルムとコニンが同じように並んでちんまりと座らせられている。彼らに向かい合うようにして座らされているのは、同じ七歳となる子供たちだった。


 子供の死亡率が高いこの時代、数えで七歳となる子供たちを、皆で祝福する行事が年明けに行われる。

 しかし、今年は事情が違う。この場に集まった子供の中には、わざわざ国境の山脈を越えてやって来た、遊牧民の子もいるのだ。そのほとんどは獣人だった。

 これもまた、ボムジンが獣人の子供を引き取って育てている、と言う話が広まったためだ。

 もとから子供好きなボムジンだし、南部で長く過ごしたお陰で、獣人への偏見もない。そんな彼がいたからこその変化だったろう。


 しかし、この子供たちの親は、単なる七歳の祝福だけを求めたわけではなかった。

「ぜひ、うちの娘を嫁に!」

「うちの息子の嫁に!」

 貴重な純血種である二人を、何とか血縁に取り込もうと必死なのだ。


 コニンの方はナルイチが嫁にすると宣言していたが、先日、それは撤回された。そして、ジュルムも特定の相手は決まっていない。ならば、と言うわけだ。


「ポムジン、わたし、およめ、いや。ここにいたい!」

 涙ながらに訴えられると、ボムジンとしてはその手の縁談は断るしかない。

 一方、ジュルムは全く無頓着だった。元々、部族の長となるべく育てられていたので、妻が何人になろうと養えさえすればよい、と教えられてきたからだ。

 そこで。


「なぁ、ジュルム。形だけでも良いから、コニンと婚約してくれないか?」

 そのボムジンの言葉に、コニンは心臓が止まるかと思った。願ってもいないこと。しかし、もし拒否されてしまったら、もう生きていけない。

 それくらい、思い詰めてしまったのだ。

 ジュルムはそんなコニンの顔色を見て、心のなかで思った。


 ……こんな年で婚約相手を決められるのは、嫌に決まってるよな。


 アルムがずっと自分を拒んでるのと同じだと。それでも必死に我慢するくらいに、ボムジンと暮らしたいのだと。

 まさか自分が好意を持たれているなんて、考えもしなかった。


 だから、答えた。

「コニンがここにいたいなら、そう言うことにして良い」


 コニンは耳を疑った。

 嬉しくて涙が出てきた。それが恥ずかしくてうつむいてしまった。

 それを見て、ジュルムは思い込む。


 ……そんなに泣くほど嫌なのか。


 獣人の嗅覚は、相手の気持ちをかぎ分ける。コニンから漂うのは、喜びに加えて、悲しみ、苦しみ、苛立ち。

 それらをジュルムは、ボムジンから離れずにすむ喜びと、自分に対する負の気持ちだと信じて疑わなかった。

 疑いもしないから、相手に聞くこともしなかった。


 ジュルムは、泣く相手を、悲しむ相手を、どうして良いかわからない。

 ジュルムのトラウマだ。

 ファランがセイロンの死で苦しんでいるときに、何もできなかった。強さだけでは救えない。守れない。

 そう思い知らされ、逃げ出した。ベイオに救ってほしくて。ファランを、そして自分を。


 弱い者を慰め励ますにはどうしたら良いのか。そんなことは誰にも一度も教えてもらわなかった。ジーヤは「もう教えることはない」と言い残して去った。つまり、彼にもわからないのだろう。

 あのナルイチと同じだ。力が全て。弱さは恥。しかし、奴を退けたのはジュルムの力ではない。ベイオの言葉だ。


 ……俺は、どうしたらベイオみたいになれる?


 はっきりしている。無理だと。

 いつだったか、シェン老師が言っていた。ベイオの知恵は底が知れない、と。何十年も学び続けた老師でもそうなのだ。


 そして、今。

 婚約の披露も兼ねたこの席で、ジュルムはポツリとつぶやいた。

「コニンは、可哀想だな」

「え?」

 急な言葉に、コニンは混乱した。

「小さくて、弱くて、辛いことばかりで」

 だからこそ、ボムジンのもとを離れたくないのだろう。獣人も純血種も関係ない。無条件に受け入れ、本当の娘のように惜しみない愛情を注いでくれる彼に。

「いつまでも、ここにいれば良い」

 そう言いつつも、ジュルムはここを去る日が近いと感じていた。


 その日は、すぐに来た。


* * *


 国境の山脈への入り口にあたる、木立に挟まれた小道。

 そこでジュルムは、巨大な熊に再会した。


「……そこで何をしている?」

「おお、虎の小僧か」

 引き裂いた馬の肉を咀嚼しながら、ナルイチは答えた。

「荷役の馬が老いぼれでな。ここまで戻ってきたらポックリ逝きおったのさ。ここに放置しても、野獣に食い散らかされるだけだからな」

 だからと言って食べるのか。いや、骨だけでも持ち帰ってやった方がいいのか。

 熊の横には、きれいに肉が削ぎ落とされた骨が積まれていた。


 しかし、ジュルムが気にすべきはそこではなかった。

「戻ってきた、と言ったな。都に行った帰りか?」

 問いかけると、ナルイチは牙を剥いて微笑んだ。

「そうだ。交易品を持ち込んで、ペイオの協力を取り付けたぞ」

 それを運ぶ荷役の馬だったのだろう。ナルイチの愛馬は、少し離れたところで平然と草をんでいる。


「協力か。じゃあ、また戦だな」

 また、弱いものが踏みにじられることになる。なら、自分はどうすれば良い?

 食べ終わった大熊は、ベロンと口の回りを舐めて言った。

「一緒に来るか?」


 つい数日前なら、答えは否だった。

 しかし、ここにいてもコニンに何もしてやれない。いつの間にか、考える基準が彼女になっていることにも、その理由にも、彼はまだ気づかない。


「俺は、弱い者を助けたい」

 彼の呟きに、大熊はフフンと鼻をならした。

「なら、そうすれば良い。俺は強い奴を倒す。お前は弱い奴を助けろ」

 簡単に言うが、放っておけば何万もの人が死ぬ。それはベイオを苦しめるだろう。そして、ファランやアルムも。


 ……それに、コニンも


 そう。彼女のような非力な者に降り注ぐ不幸が、無数に産み出される。


「わかった。後から行く」


 ジュルムはきびすを返し、町へと向かった。


 別れを告げるために。

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