第81話 きがなくて、きのある話
「夢破れて山河なし、だなぁ……」
目の前で解体されていく一戸建てを見上げて、ベイオはため息をついた。傍らの巨漢に頭を下げる。
「ボムジン、ごめんね。約束破って」
巨漢はカラカラと笑って答えた。
「良いってことよ。今の借家だって悪くないし、ヤノメがいればそこが俺の家さ」
「あら、わたくしの方こそ」
しなだれかかるように寄り添うヤノメが、コロコロと笑う。
……シチュエーションとしては真逆だよなぁ。
新婚夫婦が見上げるのは、建築中の新居のはずだ。それが今は、解体中。
「あ、その柱を外すの待って! あっちの梁を先にやらないと、折れちゃうから」
ベイオの指示で、柱や板が丁寧に外されていく。どれもみな、貴重な建築資材だ。
戦火と台風に加えて、先日の南大門での襲撃による大火事。都には家を失った人々が溢れかえっていた。彼らのための住処を、早急に用意する必要があった。仮設住宅と言うのも気が引けるようなバラックだが、テント暮らしよりはずっとマシだ。何よりも、冬へ向かっているこの季節には。
そのために、木材はいくらあっても足りなかった。木こりのボムジンがどんなに頑張っても足りないほどに。
「ま、おかげで俺は商売繁盛だけどよ。最近は遠出しなきゃならんのがなぁ」
「寂しゅうございますわ」
二人の
「何とかしないと、冠山が老師さまになっちゃう」
ベイオのつぶやきに、ボムジンがキョトンとした。
「山が学問でも教えるのか?」
「いや、あの……頭が……」
さすがに失礼なので、ベイオは言い淀んだ。
「ああ、禿げちまうってことか」
ガハハ、と笑うボムジン。
が、笑い事では済まされない。
冠山は都の南にある山だ。高さは数百メートルだが、切り立った崖や斜面を覆う樹木を持つ、風光明媚な場所だ。秋になれば紅葉も美しいらしい。
都はこうした山々に囲まれているが、その低層部はかなり伐採が進んでいる。ボムジンらの木こりたちが仕事に励んだおかげだ。
「植林も進めてるけど、追い付かないからなぁ」
木を切るのは一日だが、育つまでには何十年もかかる。切り尽してしまうと表土を支える根が失われ、山崩れを引き起こす。それで民草が苦しむのでは本末転倒だ。
禿山を量産したくなければ、近場で沢山伐採するわけにはいかない。全国で薄く広く伐採するしかない。そのため、ボムジンも仕事で家を空けることが多くなってきた。
そこで次に問題になるのは、街道の輸送力だ。
ディーボン軍が行軍してきた経路は、かなり良く整備された。ブソン港から帝都を経て北都までの間だ。しかし、伐採に適した森林は南西部や東北部に多く、そこまでの街道には手が回っていない。昔ながらの石ころだらけ、雨が降れば泥まみれのまま。
そして、街道の整備にも、木材の輸送にも、人手がかかる。
冬を迎える前に家を建ててやりたい。しかし、収穫が終わるまでは人手が足りない。何とももどかしいジレンマだ。
……何とかならないものかな。
しばらく考えて、ベイオは傍らに立つ獣人男性を見上げた。この国に残ってくれた、ディーボン生まれの職人、ゾヌミガ・ラキアだ。
「用事を思い出したんで、ここ、お願いしても良いですか?」
「ああ、構わないぜ。しかし、面白い作りだな、この家……」
すでに柱の殆どは取り外され、きちんと並べられていた。そこに彫られた木組みのためのホゾを、ラキアは夢中で見て触っていた。
「ボムジンさんも、材木が盗まれないように」
「まかしとけ」
ヤノメも頷いた。
ここの材木は貴重な資材だ。ちょろまかされてはたまらない。
むかし、ボムジンから貰っていた端材や廃材とは違うのだから。
「じゃ、行こうか」
背後に控えていたジュルムとジーヤに声をかけ、ベイオは自宅へと向かった。
* * *
自宅、即ち義父であるゾエンの邸宅に戻ると、ベイオは客間に向かった。
「こんにちは。シスンさん、少し話があるんですが」
「おお、皇帝陛下。もちろん構いませんよ」
口髭を
「あ、結構読み進んだんですね」
ベイオが書いた技術概論だった。技術学校のテキストとして書いたもので、平易な表音文字と算木数字で書かれている。
「横書きなので最初は戸惑いましたが、同音異義語にも配慮があって読みやすいですな」
文脈だけでは区別が困難な単語は、辰字表記にルビを振っておいたのだ。日本語の漢字仮名交じり文と同じ。文章自体も、話し言葉に近づけてある。いわゆる、言文一致の試みだ。
その書物を閉じて、リウ・シスンは幼き皇帝に向かい合った。
「さて、どのようなお話しでしょう?」
ベイオも座る。シスンに付けておいた女官が、さっと二人にお茶を出す。香りからすると、若い仙麗人参を煎じたもののようだ。
……早速、収穫したんだな。
薬用というイメージとは裏腹に、意外と飲みやすい。美容と健康にも良いらしいが、子どものベイオにはあまりメリットがない。
「えーと、話と言うのはですね……」
湯呑を盆の上に置いて、ベイオは居住まいを正す。まだ付き合いが短いのだから、礼儀は大切だ。
「今、動かせる船はどれくらいありますか?」
「船、ですか……」
先日、シスンは水軍の指揮官から陸海の総司令官に格上げされた。実際の辞令と任務の引継ぎはまだ先だが、セイロンに渡された資料には目を通していた。
「南部のジョルラ道およびケイサン道水軍は、かき集めても三十隻程度でしょう。北部ならその十倍は用意できますが」
……ケイサン道水軍の船は、ほとんど木材にしちゃったしなぁ
ディーボン向けの荷車の生産に使ってしまったのは、ベイオ本人だ。
しかし、遊んでた……いや、遊軍となってしまっていた北部の水軍にそれだけ残っていたのはありがたい。
「総動員したいんで、手配をお願いします」
ベイオの言葉に、シスンは目を丸くした。
「御下命とあらば。しかし、戦の準備でもなさるおつもりですか?」
ここ数日でベイオに対する見方は百八十度切り替わっていたが、疑問を持たずにはいられなかった。
「木材を運んでもらいたいのです」
「……なるほど」
シスンはうなずいた。
「では、いよいよ宮城の再建ですか」
今のところ、焼けてしまった宮城は元より、南大門の楼閣も再建の目途は立っていなかった。木材不足、人手不足が原因だ。
「いえ、そっちは後回しで」
……昭和天皇も、長い事仮住まいだったと言うし。
東京大空襲で皇居が焼失した後、戦後のかなりの期間をジメジメとした防空壕で過ごされた。そう前世のSNSで教えてくれたのは、アキナさんやその仲間たちだった。
「なんと。宮城は帝都の要でしょうに」
意外そうなシスン。
やはりそう思うか、とため息をつくベイオ。
ベイオにしてみれば、自分のことよりも
それでも時折セイロンあたりが「しかし、それでは威厳が、警備が」と進言してくる。そのたびにベイオは「前向きに善処します」と答えてきた。
……どっちが官僚なのか分らなくなるな。
そんなことを考えながら、ベイオはシスンに説明した。冬を迎える前に、家を失った人々に住まいを提供しなければならない事を。そのために都周辺の森林を刈り尽すわけにはいかない事を。
「そうでしたか。いや、これは確かに、兄者の言う通りですな」
シスンは、幼馴染で年上のセイロンを兄と呼んでいる。
「これが、民草に仕える、と言う事ですか……」
そうつぶやくと、普段は厳めしい顔がほころんだ。
「ならば、わたくしめも犬馬の労を
こちらの世界での「忠武公」が生れた瞬間だった。
* * *
ボムジンは死にかけていた。
自慢の鉄の筋肉は萎え、鉄の胃袋は反旗を翻した。
もう何日も、何を食べても戻してしまうのだ。
「ああ……帰りてぇ。ヤノメの料理が食いてぇ……」
だらしなくへたり込んで、弱音を吐く。もうそれしか、吐けるものは残っていなかった。
その顔は、見上げる空よりも青く染まっていた。そして、その下に広がる海原よりも。
「おっと、邪魔だぜ。寝るんなら向こうにしておくれ」
巨体をひょいと飛び越えたのは、ラキアだ。二人が木材調達のためにシスンが用立てた船団に乗り込んで三日。半島をぐるりと半周する船旅だ。
ディーボンから海を渡って来たラキアと違い、ボムジンは船に乗ったのは生れて初めてだ。そんなわけで、船酔いも初体験。お約束だ。
「もう、俺はダメだ。このまま死ぬんだ」
「船酔いで死んだ奴なんていねぇよ」
ボムジンが弱気になればなるほど、ラキアがイヂリ倒す。これもお約束。
「うっく、ヒック。ヤノメはあんなに子供を欲しがってたのに……」
「俺だって、カミサンや子供らを帝都に置いてきてるんだぜ」
ラキアとしても、怪力野郎がメソメソしている姿には、いい加減飽きて来た。
「もうちょっとでブソン港だ。補給のために一晩停泊するから、久しぶりに
元気づけるつもりで言ったのだが、逆効果だったらしい。ボムジンはヨロヨロと起き上がると、船べりにしがみついて海面に向けて激しくえずいた。とは言え、出てくるのは酸っぱい胃液ばかり。
「ほれ、口を漱いで」
貴重な生水を器に汲んで手渡す。
「東北部で伐採が上手く行きゃ、恋女房と合流できるんだろ?」
一応、慰めておく。
半島の東北に位置するハムギョウ道。林業が盛んだが、険しい山が連なっていて交通の便が悪く、都まで届くには非常に時間がかかる。
これを、戦が終わってしばらく不要になった軍船で輸送するのが、ベイオのアイディアだ。重い火砲を降ろして積み荷を増やす以外に、ボムジンのような木こりやラキアのような職人も乗せていき、陸路より早くたどり着けるようにしたわけだ。
そして、伐採作業が一通り終わる頃に、ヤノメがハムギョウ道にたどり着くことになっている。
「羨ましいよな。俺なんて、船旅で戻るまで子供の顔も見れねぇのに」
ラキアの軽口は、皇帝が新婚夫婦に気を利かせただけだと想っているからだ。ボムジンもその点は同じだが、実際には重要な役目を負わされている。
しかし、それはまだ後日のことだ。
幸いにも、ボムジンの船酔いはブソン港で一泊すると綺麗に治ってしまった。それまでの分を取り返すかのように「うまいうまいうまいうー」と食べまくるボムジンのおかげで、旅の後半は食糧危機になるところだった。
そして秋は深まり、ベイオもまた帝都を後にした。
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