第80話 襲撃
夜、都の某所。窓を閉め切り、ロウソクの明かりの下に集まった男たちが、額を寄せ合っていた。
まだ残暑が納まりきらない季節だが、その額にうっすらと汗を欠いているのは、部屋の気温だけが原因ではなかった。
「許し難し、不徳なる皇帝!」
「あのようなガキ、皇帝などであるものか!」
「ディーボンという後ろ盾が無くなった今、あのようなものを主上と仰ぐなどまかりならん!」
口々に皇帝への呪詛を口にする彼らは、言わずと知れた反皇帝派の貴族や上級官僚たちだ。先日の公開朝議以来、毎夜のようにこうした密会が都の各地で行われている。
「もう我慢できん。あのような不埒な者、実力で排除すべきだ」
一人がそう口にすると、その場に緊張が走った。
あからさまな
しかし、互いに顔を見回すと、誰ともなくうなずいた。
「そうだ。もはや言葉ではどうにもならない。あの小生意気なリウ・ゾエンも、古だぬきのル・セイロンも、話しにならん」
「……で、どうする?」
「お主ら、呪法ぐらい使えるだろう?」
一人がそう
呪法の元となるのは、身分の上下を絶対視する呪教。その教えを真っ向から否定する事に、いくばくかの抵抗を感じないではない。
だが、相手は「徳の無い皇帝」だ。こちらか道徳的に優位である以上、何をしようがこちらが正しいに決まっているのだ。
禁忌はたやすく踏みにじられた。
「命を奪うなら炎の矢だな。雷撃は威力も距離も足りぬ」
「だが、
「それに、形ばかりとは言え、皇帝だ。普段の警護は固い」
「宮城が焼け落ちているから、居宅はゾエンの家ではないか?」
「貴族街のど真ん中だぞ!?」
下手に攻撃を仕掛けて、自分らの自宅まで延焼してしまってはたまらない。
「館には、防禦の結界や呪符もあろうぞ」
「なんとか、彼奴が一人になる場面は無いことか」
「それなんだが……あの小僧、学校などと言うものを始めたらしいぞ」
「学校? 手勢に科挙を受けさせるのか?」
「いや……呪教ではなく、技術を教えるらしい」
「技術……だと? そんな下賤な雑学」
彼ら貴族にとって、物作りなど無粋の極み。下々の者に作らせ、出来上がったものを自慢すればよいのだ。
「ベイオなら自ら教えたがるだろう」
そうつぶやいたのはヤンドン。ベイオの育った村の元代官だ。
彼は前国王の逃避行に同行せず、都に潜伏していたのだった。この類の会合に参加しているのは、
たまにはこうして注目を浴びるのも良いものだ。
「彼奴の警護は獣人だ。力は強いが、呪法は使えぬ。それに、物作りが絡むと、彼奴は警護もつけずに出歩くことも多い」
ヤンドンの具体的な指摘に、周囲はたちまち盛り上がった。
早速、翌日から学校周辺での監視が始まった。
そしてまさにその日、ベイオは獣人の子供だけを連れて南大門へ向かった所を、彼らに見つかったのだ。
* * *
燃え上がる楼閣を見上げて、アルムは泣きじゃくった。
「ベイオが、ベイオが死んじゃうだよ! 誰か、誰か、ベイオを助けて!」
無力だった。干ばつで乾ききった木材の火の回りは早く、あっという間に階段は焼け崩れていた。左右に広がる城壁をよじ登れば楼閣へ渡れるはずだが、既に一階部分は火の海だ。
助けようがない。絶望がアルムの小さな胸を締め付け、立っていることもままならない。その場にうずくまり、震えるだけだった。
その頃、燃え上がる楼閣の二階で、ジュルムは逆に冷静だった。
「ペイオ! 一かパチか、
そう言うなり、彼はベイオを抱き抱えた。背丈はそう変わらないのに、軽々と。
「え? わっ、待って!」
そんなベイオの心の準備など無視して、ジュルムは欄干の上に飛び乗った。床よりも火の回りは少ない。そのまま、細い横木の上を全力疾走。牛若丸もかくやあらん、という猫科の身の軽さと瞬発力で、火の海に炙られる欄干を駆け抜け、その端からジャンプ。
焼け崩れた部分を飛び越え、城壁に着地し、勢い余って二人でゴロゴロと転がった。
「イタタタタ……」
全身の痛みに耐えてベイオが起き上がると、眼下の火の海が目に飛び込んできた。
「え、そんな……」
城壁にすがり付くように広がっていた貧民街に火が燃え広がり、焼き付くそうとしていたのだ。技術学校の生徒たちの住む家があるあたり。
折から拭いていた南風が、南大門の炎を煽ったのだ。
「大変だ! 火を消さないと!」
「ペイオ下がれ! お前が危ない!」
ジュルムが後ろからベイオを抱え、城壁の端から下がらせた。呪法の炎の矢は途絶えていたが、下から見える位置にいるのは危険だった。
「助けなきゃ! 火を消さなきゃ!」
「お前に何ができる!? 自プんの事を心配しろ!」
ジュルムに諭され、ベイオは黙り込んだ。
……でも、何とかしなきゃ。僕が皇帝なんだ。僕より上はいないんだから!
きつく目を閉じ、強く心に願った。
誰か、都を救って!!
* * *
主婦ヤノメの優雅な昼下がりは、唐突に終った。
「……あら? 何か焦がしてしまったかしら」
木こりの夫、ボムジンの帰宅に合わせて、夕餉の煮物を作っていたところだ。具材を切って、とろ火でコトコト煮込む素朴な料理。こうした家事を、出来るだけ呪法を使わずに自ら行う。それが、最近のヤノメの楽しみだった。丁寧に教えてくれるエンジャにも感謝している。
「これはきっと、よろしくない事ですわね」
念のため竈の火を消して、ヤノメは家を出た。場所は都の中央部。貴族街との境目にある借家だ。広くはないが中庭もある。
そこから南の方を見ると、真っ黒な煙が立ち昇っていた。
「この感じ……ベイオが苦しんでるみたいですわ」
そうつぶやくと、周囲に人目が無いことを確認して、
結い上げた長い黒髪がほどけ、全身を覆う。黒髪は黒光りする鱗となり、黒龍が庭先から天へと昇った。
上空から見る都の南端は、炎に包まれていた。特にひどいのは南大門で、壮麗な楼閣が全焼していた。そこから火が移ったのか、門のこちら側の貧民街が燃えている。
南大門は、ヤノメが初めてベイオと出会った場所だ。見ると、彼の運気が城壁の上に輝いている。
そこから、「都を救って」という切なる声が響いてきた。
彼女は即座にその声に応えた。あたり一帯の大気をかき寄せ、火災の上昇気流に合わせて上空に送り込む。たちまち巨大な積乱雲が生じ、内部で稲光が閃き、雷鳴も轟きだした。
そして、雨。雲の中の水分が上空で冷やされ、氷結し、落下しながら再び融け、地上に降り注ぐ。
「雨だ! ヤノメさんだ!」
天を見上げ、ベイオは雷雲の中に舞う黒龍に手を振る。その顔に当たる雨粒。稲妻。
たちまち、バケツをひっくり返したような土砂降りとなった。雨水が炎を消し留め、火災はたちどころに鎮まってゆく。
安堵する間もなく、ベイオの横から真っ赤な毛玉がタックルして来た。
「ベイオ! ベイオ! 生きてた!」
アルムがベイオにしがみつき、獣人パワーでギュウギュウと締め付ける。
「アルム! アルム! 死んじゃう!」
必死でなだめて、絡められた手足を振りほどく。それでもアルムは泣き止まない。
「ベイオ、死んじゃうと思った。怖かった」
「うん、僕も死ぬかと思った」
死因は異なりそうだったが。
アルムのびしょ濡れの赤毛をなで、落ち着かせる。
「ほら、ジュルムが頑張って助けてくれたんだ。ありがとう、しなきゃ」
ベイオはジュルムに向き直って、まず自分が礼を言った。
「ジュルム、ありがとう」
「俺はお前の護衛だ。やるペきことをやっただけ」
凛々しい縞々王子だ。惚れてしまいそう。
アルムもベイオから顔を離して、ジュルムに向かって頭を下げた。
「ありがとう、……ジュルム」
とたんに、ジュルムは真っ赤になった。
……クールな王子さま、どこ行った?
* * *
反皇帝派の実行犯たちは、駆けつけたアルム父とジーヤにより、一網打尽となった。間抜けなことに、自分達が引き起こした火災に阻まれて逃げ損なったのだ。
しかし、今回の一派はごく一部で、派閥の数も構成員も流動的だ。特に、襲撃の後押しをした元代官、ヤンドンは実行犯に加わっていなかった。
そのため、今後どのような騒ぎを起こすか、全く予断を許さない。
ちなみに、ベイオは子供だけで都を出歩いていたことで、またもやゾエンに叱られることになった。
おかげで、落下の実験は無期延期となってしまった。何しろ、実験に適した高い建物がもうないのだ。
しかし、それ以上に頭の痛い問題が持ち上がったのだった。
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