第77話 増税と恩寵
「皇帝陛下はお疲れである。本日の朝議はここまでとする」
ゾエンが宰相として宣言した。
「なお、ジェ・デスカ財務公司判事に関しては、追って沙汰する」
ゾエンの声は低かった。
ひれ伏していた官吏が、びくっと身を震わせ身体を起こした。そその顔は自らの朝服ほどにも青ざめていて、脂汗を流していた。
その有様は、余りにもベイオの不安を掻き立てた。
……追って沙汰するって……沙汰って……
まさか、まさかそんな。
そんな言葉が脳裏に渦巻く
「皇帝陛下、退出」
ゾエンの声で、官吏たちは再びひれ伏す。そのままゾエンは玉座の壇上に登り、ベイオを立たせた。そして、自らの身体で見えないように隠しながら、ベイオの首根っこを掴んで玉座の脇の扉へと無理矢理歩かせたのだった。
「……やってくれたな」
皇帝専用の通路に出てジュルムが扉を閉じると、ゾエンはそうつぶやいた。
「まったく……だからあれほど、黙って玉璽を押せと言ったのに」
苦虫を噛み潰すゾエンに、ベイオは恐る恐る尋ねた。
「さっきのジェ・なんとかさん、なんで青ざめてたの?」
その問いかけに、ゾエンはさらに深い皺を眉間に刻み込んだ。
「ジェ・デスカだ。歳は離れてるが、ファランの母方の従兄にあたる」
苗字が同じだから、もしやと思えば。
「それだけ生れが良くても、様々な派閥の勢ぞろいした公開朝議で、上奏文を皇帝自らに却下されたのだ」
皆一様に、皇帝の前でひれ伏していたが、派閥というからには内心はそうしたくない者たちもいたのだろう。つまり、反皇帝派だ。
「少なくとも、ジェ・デスカの官職は剥奪されるだろう。下手をすれば、彼の派閥のかなりが巻き込まれる。そうなれば、皇帝を支持する派閥の一角が崩れる」
それに加えて、とゾエンは続けた。
「彼自身は、おそらく自害するだろう」
今度はベイオの顔から血の気が引いた。
「だ、ダメだよそんなの! 命は大事にしなくちゃ……」
震え声でそう訴えた。ファランの親戚なら、なおさらだ。
しかし、ゾエンは目を閉じて
「川を下る舟の船頭が交替しても、いきなり川上へ進むことは出来ん。同じように、あの前国王からお前に変わっても、国の仕組みを一気に変えることは出来んよ」
確かに、ゾエンの言う通りだった。
「典範に従うなら、官職の剥奪は避けられん。そして、官吏にとっては官位こそが全てだ」
「なら、その決まりを直せば……」
食い下がっては見たが、ゾエンは冷たく言い放った。
「事が起きてから決まりを直して、無かったことにするのか?」
ベイオも、これには反論に詰まってしまった。
……信号無視しちゃってから、信号を撤去しろと言うようなものか。
事後法という、法制度の禁忌だ。ある日、飲酒や喫煙を禁止する法律を作ったとしても、それまでに飲酒喫煙していた者を罰してはならないのだ。罰せられる側は、その法律を守る機会すら奪われるのだから。
そして、そうした非道がのさばっていたから、それを直していこうと言っていたのは、ほかならぬベイオだ。
ダメ、絶対。なのだ。
「……どうしたら助けられますか?」
上目遣いのウルウル目。演技ではなく、本気の。
ゾエンはため息をつくと答えた。
「ついて来い。執務室で話そう」
大股で歩むゾエンの後ろを、分厚い正装に足を取られながら、皇帝ベイオは懸命に追いかけるのだった。
ポン、とその肩に手が置かれる。
「せめて、胸を張れ。お前は皇帝だろ」
ジュルムの言葉に、ベイオはうなずいた。
* * *
控えの間で、女官たちに分厚くて暑い金襴緞子の正装を脱がせてもらい、ベイオは普段着へ着替えた。そのまま、ゾエンの執務室へ向かう。
差し向かいに座る皇帝と宰相だが、私的な場所なら義理とはいえ父子だ。上座のゾエンの前で、ベイオはちんまりと正座した。
ジュルムは部屋の外で警備。
「まず、ジェ・デスカだが。剥奪される官職の代わりとなるものを与えればいい」
「……官職の代わり?」
「例えば、お前の学校だ」
なるほど、と思ったのだが。
「どんな教科なら教えられます?」
ベイオの学校が教えるのは工学技術だ。しかし、官吏が科挙のために学ぶのは呪学であり、工学などの実用的な学問は雑学と呼ばれ、官吏からは忌避されている。
実際、引退した官吏に担当してもらったのは、読み書き計算の基礎講座だけだった。
しかし、ゾエンの解答は単純だった。
「学校の経理などを任せればいい」
国家の財政も学校の経理も、お金の計算や仕分けが重要なのは同じだ。そして、確かに手が足りないのも事実。
「皇帝の恩寵として、今夜にでも話しておこう」
「よろしくお願いします」
ベイオは丁寧にお辞儀した。
「では、次の懸案だ」
ゾエンは話題を切り替えた。
「増税のことだが……もう少し信頼して欲しいものだな、義理とは言え父親なのだから」
「はい……でも……」
うつむいてしまう。
ゾエンがため息をつくのは、今日はもう何度目か。
「ファラン姫が夢で見た顔のない獣、民衆の蜂起に関しては、私も考慮している。だから、民が絶望に至らないよう、救いの余地を残してある」
救いの余地、という言葉に反応して、ベイオは顔を上げた。
「どんな風に救うのですか?」
「これも皇帝の恩寵だ。増税で食料が足りなくなった町村に、年貢の一部を恵んでやるのだ」
無理な増税を行い、それで苦しくなったところには国から回してやる。何やら、どこかの国の消費税のようだ。
……なるほどな。でも……
「……でも、それなら最初から、飢えたりしない程度までしか徴税しない、とでも決めておけば――」
ベイオの言葉は遮られた。
「それでは、本当に困っている者たちへ回す分が出てこないぞ」
そう。どこの町村も、元からギリギリか足りないくらいなのだ。これが、ディーボンの手助けで行った検地からわかった、本当の収穫量だ。
今では、先の
……来年の春先には……春先……あれ?
「ゾエンさん。台風や
「うむ……確かにここ数年、人頭税は上げられ続けて来たからな」
そして、ゾエンは教えてくれた。先代の国王の最後の十年間で、かなりの重税となってしまったことを。
「昔は、半人前の人頭税に数えられたのは、十歳以上の男子だった。人頭税そのものも、一人当たり一石程度だった」
「それがなんで、こんなに重く?」
「朝貢貿易だ」
ゾエンによれば、本来の朝貢とは下の立場の国が潤うものだと言う。下から上に貢いだ物の数倍から数十倍の返礼品が、上から下に
要するに、朝貢は中つ国の安全保障システムの一部だ。朝貢を断るのは、謀反の兆候だと見なされる。そして、朝貢を続ければ下の国々は大きな利益に預かれる。
麗国の場合、朝貢貿易の利益を独占したのは王族だった。その貢物として、国内で消費する穀物より優先して作られたのが、生薬として珍重された
「じゃあ、朝貢の対価として王族がもらう贅沢品のために、僕ら麗国の民衆はどんどん貧しくなって行ったの?」
「そうだ」
……シェン・ロン老師が、政治の腐敗を嘆いていたわけだ。
内政ばかりか、外交も腐りきっていた。わかっていたことではあるが。
そして、何もしなくても人口は勝手に調整されていく。餓死や子殺しという形で。
近代以前の時代は、どの世界でも過酷なのだ。
ベイオ自身、あの村で、いつ死んでいてもおかしくなかった。何とか生き延びられたのは、母エンジャが読み書きができたためだ。貧村では得られない知的労働を、年貢の代わりに
「問題は、この仙麗人参ですね」
「うむ」
ゾエンによれば、秋に種をまいても収穫までに五~六年もかかる上に、その土地の栄養素を根こそぎ吸い取ってしまうのだという。そのため、さらに十年は土地を休ませる必要がある。
冷涼な気候を好むので、生産は北部が殆どだ。南部育ちのベイオは初めて知ったのだが。
……ほとんど食料生産の敵じゃないか!
「仙麗人参、この秋からは作付けナシで」
「ああ、そうだな」
「今、育ってるのは全部収穫して、食用にしましょう」
「うむ……しかし、薬用だからな」
「美味しくないんですか」
「……栄養は、あるはずだ」
良薬口に苦しとは言うが……。もし食事に出てきても、何とか食べることにしよう。
そう、心に誓うベイオだった。
「それで、春先の食糧難ですけど、そこだけなら備蓄米などを放出すれば何とかなるはずですよね」
「その後は?」
「半島南部なら、秋撒き小麦が早い時期に収穫できる……はず」
台風で田畑をやられた南西部に作付けすれば良い。
南部は冬でも比較的温暖だが、山がちで耕地が少ないのが難点だ。それでも、秋の半ばにまき、台風シーズン前の初夏に収穫できるのは有利だ。北部は耕地が広く取れるが、気温が低いため収穫が夏の終わりごろになる。とはいえ、台風は流石にここまで来ないだろう。
そして、仙麗人参で荒れた土地の対策も必要だ。流石に十年も寝かせておくわけにいかない。栄養価の低い土地でもよく育つ作物がないか、探す必要があるだろう。
しかし、農業は流石に専門外だ。どうしても歯切れが悪くなる。工業高校卒業生としては、専門に特化すべきだろう。
「それから、恩寵として返す税は貨幣にしましょう。年貢を納めるとき、すぐに渡しておくんです。ファラン銅貨は信用が高くなってきてますから、もらっておけば安心できますし」
「それで、春先に穀物を購入させるのか」
「ええ。買わずに済めば貯蓄になりますし、これから僕が作り出す品々を購入するための、可処分所得となります」
貨幣経済の普及もまた、工業化への第一歩だ。
こうして今後の重要な政策が決まって行くその裏で。
この日の公開朝議の件が発端となり、反皇帝派が動き始めたことを、ベイオはまだ知らない。
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